インクル134号 2021(令和3)年9月25日号 特集:共生社会をつなぐ人 Contents 公的インフラとしての電話リレーサービス開始 2ページ 共生社会を手話でつなぐ 3ページ 共生社会を「声」でつなぐ 4ページ 共生社会をつなぐ人 5ページ 時間と人間の緩い共生社会 6ページ 盲ろう者の日常生活をサポートする通訳・介助で共生社会をつなぐ 7ページ コロナ後の要約筆記と共生社会 8ページ サインで、人と人がつながる 9ページ 保育士さんが作った「おもちゃ店」 10ページ 95歳の店主が営む「時計店」 11ページ キーワードで考える共用品講座第124講 12ページ 目からウロコな共用品 ご存じですか? 13ページ 新型コロナワクチン接種券の配布と情報提供について 14ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 表紙:絵本『ゆうこさんのルーペ』より 2ページ 公的インフラとしての電話リレーサービス開始 日本財団電話リレーサービス理事長 大沼直紀(おおぬまなおき)  音声電話の誕生から145年間、私たちは目の前にいない人とも話ができる“テレ(遠隔)コミュニケーション”の恩恵を受け続けてきました。 耳の聞こえる人たちにとっては情報授受の世界を格段に広げてくれた音声電話。しかし、耳の聞こえない聴覚障害者にとっては自分たちに縁のない遠い存在でした。 その結果、聴覚障害者と耳の聞こえる人との間に大きな情報格差が生み出されてしまったのです。  電話機を発明したグラハム・ベルは自宅では電話嫌いであったという逸話があります。聴覚自ら発明した電話が役立たないものだったという申し訳なさがそうさせたのかもしれません。 ベルが電話機を発明した翌年(1877年)、2台の電話機が他のどの国よりも早く日本に輸入されています。そういう意味では我国は電話普及の先進国であったといえるでしょう。 それにもかかわらず、聴覚障害者のための電話リレーサービスについては世界に後れをとり、日本はG7の中で唯一の公的サービス未実施国という後進国だったのです。  日本財団が電話リレーサービスのモデルプロジェクトを開始したのは2013年でした。 手話や文字で発信された用件を通訳オペレータが音声に代えて相手に伝え、その返事を聴覚障害者に手話や文字で即時にリレーする仕組みです。 約1万3000人の登録者の利用料は全て日本財団が負担し、聴覚障害者の日常生活に有効に活用されました。 しかし、サービス提供が毎日ではない、夜間は使えない、緊急通報に対応できない、一般の方からは聴覚障害者にかけられない一方通行であるなどの問題がありました。  その後7年に渡り実施された日本財団のモデルプロジェクトの終了を機に、その実績と聴覚障害当事者の評価をもとに公的インフラ整備へと向かう国をあげての動きが活発化しました。 そして2020年6月には「聴覚障害者等による電話の利用の円滑化に関する法律」が可決成立しました。 これにより総務大臣により指定される「電話リレーサービス提供機関」と、電話提供事業者からの負担金を原資とする交付金が適正に運用されるための「電話リレーサービス支援機関」が設置され、 2021年7月から法律に基づく公共インフラとしての本格的なサービス提供が開始されたのです。 24時間365日、緊急通報にも対応し、聞こえる人からも聴覚障害者等からも双方向で電話ができるようになりました。  広く社会に周知し多くの人に利用していただくための課題も少なくありません。 手話リレーを必要とするろう者や文字リレーを必要とする難聴者、発話困難者に加え、声を使って話し相手の話は文字で受け取りたいと考える中途失聴者や高齢難聴者へのサービスの実現も望まれます。 字幕表示機能付き電話があればもっと便利になります。主要な公共施設や被災地避難所に設置する公衆電話なども検討されなければなりません。 手入力文字表示から自動音声認識字幕表示へと向かう必要もあります。サービスの種類を広げることにより10年後の利用者数は40万人とも推定されます。 通訳オペレータの養成も重要課題です。電話が使えないことで当たり前の便利さを失ってきた人や社会参加に制限を受けてきた人が世の中にはまだ多く存在します。 電話リレーサービスの普及により電話から隔絶されてきた聴覚障害者等の歴史に新たな電話文化が創られるような予感がします。 電話リレーサービスイメージ 3ページ 共生社会を手話でつなぐ 手話通訳士 森本行雄(もりもとゆきお) 「わたしは手話ができません」  「彼女の耳は聞こえないんだよ」――20歳の時でした。劇団の付属養成所で、これから一緒に学ぶことになったYさんの耳は聞こえませんでした。 それまで、聴覚障害者との接点が全くなかったわたしは、「書けば通じるだろう」とその日からYさんと筆談を始めました。 手話の存在を知らなかったのですから。でも、手話で生活しているYさんにとって、耳が聞こえるわたしたちの日本語は外国語に近いものでした。  日本語だけでは、Yさんには十分には伝わらなかったのです。それがわかってから、Yさんがわたしの手話の先生になりました。 筆談や、五十音を表す指文字でYさんにたずねると、その言葉の手話が返ってきました。  Yさんに出会ってから四か月がたち、手話を覚えることが楽しくなっていたわたしは、通っていた大学で聴覚障害の学生Hさんに出会いました。手話で自己紹介したわたしに返ってきた のは、「わたしは手話ができません」。幼いころに聴覚障害となったHさんですが、ずっと地域の学校で学び、日本語で育っていたからです。高校までは教科書で予習し、友達のノートを 書き写して復習をしていたHさん。大学に入ったとたんに学習の環境が変わり、思うようには学べなくなっていました。そのことを知り、Hさんと共に大学内に手話サークルを作りまし た。趣旨に賛同してくれサークルに加わった仲間たちと、Hさんの授業に同行して筆記や手話で先生の言葉を伝え始めました。それがわたしの通訳の始まりでした。 「お母さんは先生の先生だね」  それから多くの聴覚障害者に出会い、手話を学び、地域の手話通訳をするようになっていました。  ある時、小学校での手話通訳で依頼者の聴覚障害の母親から、初めて参観日に来たと言われ驚きました。母親は参観授業の後のクラス懇談の席で、小4の娘さんから学校に来ないでと 言われていたことを明かしました。聞こえない両親が苦労して育ててきたのですが、聞こえる娘さんにとっては聞こえない親は恥かしい存在になったのです。  でも娘さんの気持ちを変えたのは、クラスのお母さんたち。聞こえない母親を先生に、学校で手話の勉強会を始めたのです。そこには娘さんの大好きな先生も加わっていました。その 様子を見た娘さんは、しばらくして母親に笑顔で話したそうです。「お母さんは先生の先生なんだね」と。それからは両親を恥ずかしく思うことはなくなったそうです。それが、聴覚障害 者が手話で地域とつながったと実感したできごとでした。共生社会における手話の役割だとも感じました。 手話がなければ生きていけない  66歳になった今も手話通訳を続けているわたしには、聞こえない人から言われた忘れられない言葉があります。 「聞こえるあなたたちは、手話を忘れても生きていける。でも、私たちは手話がないと生きていけない」。 それが、手話を学び続けている私の活動の原点です。 写真1:2020年度東京大学卒業式で手話通訳(東京大学のfacebookから) 写真2:2015年のIBSA ブラインドサッカーアジア選手権 2015での手話通訳 4ページ 共生社会を「声」でつなぐ 日本点字図書館朗読ボランティア 石橋迪子(いしばしみちこ) 初めまして!私は、1940年に視覚障害者に書籍の文字を点字や声に変換し貸し出すために設立された日本点字図書館で朗読ボランティアをしている石橋迪子です。 朗読ボランティアとは  日本でテープレコーダーの製造、発売が始まった当初、高価で貴重な一台が、豊田滿子(とよだみつこ)さんから日本点字図書館に寄付されました。 それがきっかけで昭和33年に、点字の図書に加えて、図書を耳で読む「声のライブラリー」(録音図書)が同館で始まりました。 その読み手が朗読ボランティアです。内容が正しく伝わる様に、書いてある通りに読むことが求められますが難しい点があります。 ①同音異義語でアクセントも同じ(科学と化学など)や、音だけではわかり難い言葉(売血など)の、字の説明の補足。 ②切れ目が違うと意味が違う時(〝この種の/商家にとって面目丸つぶれの事件〟と〝この種の商家にとって/面目~〟では意味が違う)の正確な読み方。 ③図表、写真、イラストの読み方等です。  職員の方と相談して、補った箇所が、原本には書いてないことがわかる読み方で、原本の雰囲気を損なわず、最少の介入で正しく伝える、言わば、黒子の役目だと思っています。 私は  ラジオ福島に3年勤務した後、東京でフリーアナウンサーになりました。 テレビ東京の担当者、鶴岡巍(つるおかたかし)先生が、日本点字図書館の録音図書開始時から朗読ボランティアへの指導をされておられ、ご紹介いただいたのがきっかけです。  当時、仕事や家庭に忙しく、年に数回伺うだけの助っ人状態が10年以上続きました。その頃、利用者が多く集まる会での驚きが、今も忘れられません。 利用者を案内する職員が親身で温かく、利用者の家族かと本気で思いました。この温かさが、読むことにも一番大切だと教えられました。 助っ人からレギュラーになり、今はコロナ禍で、自宅録音が生き甲斐です。 共生社会での役割  「共生社会での役割」について、朗読仲間にも聞きましたが、答えが出ません。皆様にお知恵を拝借したいと思います。 私達、自動音声ではない、人間の朗読ボランティアのセールスポイントを考えてみました。 ①技術がある:何が大切か、聞いてすぐわかるよう読む。 ②個性がある:お好みの朗読者の声でほっとしていただく。同じ録音CDを毎日楽しんで聞いて下さる方、良かったというお便りをいただくことも稀にある。 ③親切心がある:利用者が持参した本を相対して読む、対面朗読で、お子さんの学校のプリントや手紙を、その場で頼まれ、喜ばれることもあるそうです。  こんな私達朗読ボランティアを、どこで、どの様に使ったら、共生社会のお役に立てるか、コーディネートを是非宜しくお願い致します。  今、思うことがあります。道を尋ねたり、席を譲られたりした時、して下さった方のお顔がたちまち素敵に見えたこと!仕事でも家族でもない他人様のその場の親切は、小さくてもキラキラ輝いて残っています。 これも、つながり。朗読でも働きたいですが、その時その場で、役に立つオバさんになれるよう、もう一歩、前に出る気持ちで、声をかけていきたいと思いました。 写真:石橋迪子氏 5ページ 共生社会をつなぐ人 (視覚障害者の声で社会をつなぐ)みみよみ 荒牧友佳理(あらまきゆかり)  「視覚障害者は目が見えない分、すごく耳がいい、音を掴むのが上手だから、それを生かして語りや朗読のボランティアをしている人も多いのよ」始まりは、何てことのない、いつもの会話だった。  全盲の母とは視覚障害者に関する話題が多い。普段なら世間話で流れてしまうはずの会話。 でもその時ちょうど、カッコイイからYouTuberになりたいと思っていた私は、「朗読してくれる人がいるなら、YouTubeで朗読チャンネルを作ろう!」と、軽すぎる気持ちで始めたのが「みみよみ」の始まりだった。  今でこそ、月に20万以上稼ぐ所属ナレーターを抱えるほど仕事の数は増えてきたけれど、まさかこの頃はそんなことができるなんて夢にも思ってもいなかった。  そんな時出会ったのが佳美(よしみ)ちゃん。彼女は視覚障害を意にも介さず、タイでNPO法人を設立し、貧困地域の子供達に本の楽しさを広げる活動をしていた。 そんな彼女が私に日本財団主催の社会起業家向けの創業支援プログラムに参加することを勧めてくれたのだ。 あまりにも眩しい彼女の生き方を目の当たりにし、「そんなの私にはできるわけないじゃん」なんてとても言えず、応募したことから、この物語は大きく動く。  そのプログラムでは起業に関するあらゆることを教えてもらった。 そこで、「今時小学生だってYouTubeチャンネルくらい持ってるんだ!」と言われ、悔しいながらも大きく方向性を変えた。 それでできたのが、視覚障害者がナレーションを行う会社「みみよみナレーション事務所」なのだ。  でも、看板を出しただけでは誰にも知ってもらえない。ここまでやって引っ込めるのは悔しい。 そんな気持ちがバネになって、その後しばらくは企業へみみよみを宣伝してまわることになる。 時には邪険にあしらわれたり、話を取り合ってもらえないことも多かったけど、応援してくれる企業も多かった、世間は私が思うよりずっと優しかった。  一部上場企業の株主総会のナレーションや、オーディオブックの作成、ラジオやテレビCMのナレーションなど、沢山の依頼をいただいた。 まだ設立1年の事務所にこんなにチャンスをくれた取引先の皆さまには感謝の気持ちでいっぱいである、精一杯仕事をしていくことで、お返しをして行きたいと思う。  そして最近、弊社の全盲ナレーターが商業映画の音声ガイドを務めた。日本で初めてのことだ。 これも、ナレーター本人がこの配給会社のモニターとしてワークショップに参加し意見を述べるなどの地道な活動と、何十社断られてもナレーターの道を諦めずに戦い続ける彼の血の滲むような努力がある。  高価な機材を揃え、音声編集の方法まで独学で学び、ナレーター・声優という仕事に賭ける彼の努力が実を結んだ瞬間。こんな素晴らしい瞬間に立ち会えた私は本当にラッキーだ。  振り返ればいつも、私にとって視覚障害者は「助ける」存在でなく、「助けてくれる」存在だ。 これからもきっと、みんなの情熱や強い意思から沢山の学びを得るのだろう。  みみよみナレーション事務所はまだまだスタートしたばかり。これからも険しささえも楽しみながら山を登っていきたい、みんなで。 写真:都内のスタジオにてガイド音声収録風景 6ページ 時間と人間(じんかん)の緩い共生社会 ハワイ州社会福祉省 障害者リハビリテーションカウンセラー 草地美穂子(くさちみほこ)  ある日スーパーで会計を待つ私は「これ何、どうやって食べるの?」とレジ係に尋ねられた。 「これはゴボウ、油炒めがおいしいよ」と答えると、「あら私はゴママヨサラダよ」と後ろの客。 「へえ、それもおいしそうね」とレジ係。列はさらに長くなるが、皆「レジ端会議」を聞いている。 先日も運転中、前の車と対向車線を来た車がすれ違いざまに両方止まったかと思うと窓を下げて話し始めた。 後続車が2台になったところで再発進。私がハワイ島に来て間もないころはこういう光景にイライラしたものだが今ではこれが普通になった。 東京出身の私でも郷に入っては郷に従えるものだ。  こういうところでは、バスに車椅子客が乗ってきてしばらく止まっても皆会話したり音楽を聴いたりして待つ。乗客も運転手も皆当然のことをしているという風だ。 日本の20年間は?  日本のバリアフリーは、私がアメリカにいるこの20年でかなり整備されたと聞くが、設備利用率はどうだろうか。 障害者の人口比は先進国はどこも似たようなものだと思うが、日本で障害者の姿が目に見えて増えたとはあまり聞かない。 障害者の方は「目立ちたくない」「時間がかかって周りに申し訳ない」とか思っていないだろうか。 非障害者の側では「急いでるのに」「何もこの混雑時に出てこなくても」などと感じていないだろうか。 聴覚障害者である私でさえアメリカに住み慣れるまではこのように思ったりしていた。  最初に10年住んだサンフランシスコは都会だったが障害者はどこにでもいた。 混んでいるバスでも車椅子客がガンガン乗車してくるが、周囲の対応は過疎地ハワイ島のそれと同じだった。 コロナ禍を契機に  一般にアメリカ社会が日本より緩いのは生活速度だけではない。人と人の境も緩い。学校でも体験実習が多く、障害のある生徒でもどんどん社会に出る。 大学になると多くの学科に必須の研修がある。産学共同や社会奉仕の精神は社会に浸透しているから、事業主も研修生受け入れには慣れている。  社会人研修も体験実習型が多い。数年前、ハワイ大学の障害学生支援室で働いていた時、低所得層の学生に対する教育効果を高めるため、教官・職員対象の全日研修が行われた。 内容は「貧困家庭生活シミュレーション」。参加者はグループごとに疑似家族を形成し、各々役割を与えられた。 一か月間の生活を一日に凝縮し、タイマーを使って、仕事・学校・家事といった様々な日常の活動を台本に沿って模擬体験する。 私の役は、幼い弟がいる父子家庭の12歳の姉。父親不在の時に、滞納家賃を大家にお詫びに行ったり、電気代を払いに銀行へ行ったり。お腹が減ったのに冷蔵庫にはゆで卵が2個だけ。 未使用の色鉛筆セットを売って食費を捻出することを考えた。長期貧困にあえぐ人たちの本物のストレスには比べるべくもないが、この日だけは彼らのストレスを体全体で感じることができた。  生活速度と人と人の間が緩い社会は、社会的弱者だけでなく全ての人に住みやすいと思う。 日本のGDPや平均寿命は世界最高レベルだが、国民の幸福度指数は62位。経済的には豊かで長生きの割に人生の充足感は乏しい。 コロナ禍を「わざわい」でなく「緩く」生きる好機とみてはどうだろうか。 写真:魚の卸売り店で研修をしている発達障害の研修生("Full Life"提供) 7ページ 盲ろう者の日常生活をサポートする通訳・介助で共生社会をつなぐ 東京都盲ろう者支援センター センター長 群馬大学共同教育学部 客員准教授 前田晃秀(まえだあきひで) 1.盲ろう者向け通訳・介助員とは?  盲ろう者とは、視覚と聴覚の両方に障害のある人のことをいいます。盲ろう者はその障害ゆえに、「コミュニケーション」、「移動」、「情報入手」という3つの困 難を併せ持っており、盲ろう者が社会参加を果たすためには、その3つの困難が同時に解消される必要があります。しかしながら、視覚障害者や聴覚障害者向けの福祉サービスや家族によ るサポート、福祉機器の利用等の手段では、多くの場合、3つの困難の一部しか解消されません。  そこで、3つの困難を同時かつ十分に解消するために、盲ろう者を専門的に支援するのが、「盲ろう者向け通訳・介助員」(以下、通訳・介助員)です。 2.通訳・介助員の役割  通訳・介助員は、盲ろう者本人や場面等の状況に合わせながら、以下の3つの支援を組み合わせて提供します。 (1)意思疎通支援  盲ろう者のさまざまなコミュニケーション方法に合わせて、意思疎通を支援します。 その内容は「1対1での対話」や「通訳」です。 通訳とは、周囲の言葉を盲ろう者のコミュニケーション方法に変換する(例:音声→触手話)とともに、必要に応じて、盲ろう者の発信を他の人が分かる方法に変換する(例:手話→音声)行為です。 (2)移動支援  盲ろう者が安心して安全に移動できるように、移動介助をします。直接、通訳・介助員の肘や肩を盲ろう者につかんでもらうことで、移動介助をする方法が一般的です。 ただし、弱視の盲ろう者の中には、本人の意向により、触れずに盲ろう者に手が届くくらいの距離を保ちながら通訳・介助員が見守ることもあります。 (3)情報支援  目で見ることのできる視覚的情報(例:人の表情、駅の電光掲示板、郵便物など)や言葉以外の聴覚的情報(例:笑い声、電車の発車ベルなど)を、盲ろう者のコミュニケーション方法に合わせて伝えます。 問診票やアンケートの記入など、盲ろう者本人の求めがあれば、代わりに書く(代筆する)こともあります。 3.通訳・介助員派遣の現状と課題  通訳・介助員の派遣については、「盲ろう者向け通訳・介助員派遣事業」(以下、派遣事業)等の名称で制度化されており、利用登録をすれば、全国どこに住んでいても、盲ろう者は通訳・介助員の派遣を受けることができます。 全国の派遣事業の登録盲ろう者は1161人、登録通訳・介助者は6327人です(2019年度の全国盲ろう者協会の調査より)。  国の制度として位置づけられ、利用者や支援者の数も年々増えている一方で、派遣事業に割り当てられる予算は十分ではありません。 多くの自治体では、年間一人当たり利用できる派遣事業の時間数は300時間未満であり、通訳・介助員を利用できる時間が1日1時間に満たない盲ろう者が数多く存在するということになります。  盲ろう者が共生社会の一員として、豊かな日常生活を送るためには、必要とするときに、必要な時間数、通訳・介助員の派遣を受けられるよう、より一層の制度の充実を図っていくことが求められます。 写真1:通訳・介助員と移動する盲ろう者 写真2:通訳・介助員から触手話で通訳をうける盲ろう者 8ページ コロナ後の要約筆記と共生社会 特定非営利活動法人 全国要約筆記問題研究会 理事 長尾康子(ながおやすこ)  要約筆記とは、話し手の話の内容をつかみ、それを文字にして伝える、聴覚障害者のためのコミュニケーションの保障です。1960年代に考案され、現在は手話通訳と同様に福祉サービスとして全国で行われて います。2019年度末時点で全国の市区町村の77・7%が要約筆記者派遣事業を行っています。意思疎通の福祉サービスから要約筆記は、利用場面や対象者の状況により、さまざまな方法があります。対象者が多数の 場合は会場のスクリーンに投影する形を取ります。1~2人の場合は対象者の近くで行います。いずれの場合でも「手書き」によるものと、「パソコン」を用いる方法とがあります。  機会があればじっくりご覧いただきたいのですが、要約筆記は話し手の言葉をそっくりそのまま文字に置き換えているわけではありません。話し手の意図をつかみながら文章を構成し表出しています。  要約筆記は市区町村が行う「意思疎通支援事業」の一つに位置付けられており、主な利用者である難聴者・中途失聴者のコミュニケーションを保障する「通訳」として機能しています。 難聴者が要約筆記を利用しながら、その場の音声情報に取り残されることなく、同時的に意思決定や合意形成に参加できることを目指しているのです。  コミュニケーションを仲介するには権利擁護、対人援助の知識も求められることから、多くの自治体では(一社)要約筆記者認定協会が実施する「全国統一要約筆記者認定試験」を採用し、要約筆記者の技術向上と全国的な平準化を進めています。 コロナ禍と要約筆記  1年半以上にわたり人々の生活に大きな影響を与えている新型コロナは、難聴者の暮らしにも打撃を与えています。これまで難聴者は会議や集まりの場に要約筆記を付けることで社会参加を実現してきました。 ところが対面での集まりが困難な状況の中では会議自体が行えなくなってしまいました。  社会ではリモートによる会議が急速に普及しましたが、聞こえの状態やコミュニケーションの手段が多様な難聴者が、オンラインで社会参加を果たせる配慮や環境はほとんど整っていないのが現状です。 「会議や講演の内容は後から記録で読めばよい」というのでは、その場の参加から排除されることになってしまいます。  そこで今、全要研が注目しているのはインターネットを利用した「遠隔要約筆記」です。 2020年の春から、(一社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴)と共同で実証的な研究を進め、全国で公的派遣として実施できるよう、働きかけを進めています。  人類が新型コロナを克服した後は、対面のコミュニケーションが回復するのと同時に、デジタル化が加速し、オンラインコミュニケーションも等しく扱われる時代が来ると言われます。  時代に応じた技術や考え方を要約筆記に取り込み、遠隔要約筆記に代表される新たな意思疎通支援のあり方を模索することは、コロナ後に出現する新たな障壁の除去に資するものと考えます。 誰もが、対面でもオンラインでも参加できる社会こそ、真の共生社会と言えるのではないでしょうか。 写真:遠隔要約筆記の様子 9ページ サインで、人と人がつながる (株)アイ・デザイン 代表 JIS案内用図記号委員会、ISO/TC145/SC1国内委員会主査 児山啓一(こやまけいいち)  私は駅や空港などの公共空間のサインデザインの仕事をしています。 サインは、一言でいえば「情報を提供する手段」のことで、公共のサインは、大人もこどもも外国の方も含めてあらゆる方に同じ情報を伝えることが必要です。 しかし文字や音声言語による表現には理解の程度に限りがあるので、そのような時に役立つのが、言語に依存しないピクトグラムです。 ピクトグラムとは?  ピクトグラムは、一見してその意味がわかるため、難しい文字や専門的な用語を知らない人々や言葉が違う国の人々にも同じように容易に理解でき、 また高齢者や障害者配慮の視点からも世界共通のユニバーサルデザインの一環として役立つ、と言われています。 また、みんなが同じものを使うことで便利になるので、JISやISOにもなっています。遠くから見ても小さくしても分かるように図形はできる限り単純化されます。 一般的に色は使いませんが、安全に関するものは緑色、危険や禁止、火災は赤色、注意は黄色、指示は青色という国際ルールがあります。 また日本では男性トイレは青、女性トイレは赤色が一般的に使われています。 共生社会のトイレのあり方  トイレの男女区分は誰も疑うこともせず利用してきましたが、共生社会という広い視点で見直したとき、そこに様々な問題があることがわかってきました。 一つはトランスジェンダーの人が性を意識しないで利用できる設備がなかったこと、もう一つは夫婦間あるいは親子間をはじめとして介助が必要な場合の異性介助が気がねなくできるトイレがなかったことです。 もちろん、いままで「多機能トイレ」「だれでもトイレ」という名称で整備されてきたトイレは解決手段の一つではあるのですが、誰でも利用できる一方で、障がいのある人から「使いたいときに使えない」という指摘が多く寄せられていました。 そこで、公共トイレを使いやすくするために、機能分散という考え方が国土交通省から発表されました。その中の一つが男女共用トイレです。  設備的には介助のために二人入ることができる少し広めが理想的です。 男女共用トイレを表示するピクトグラムに色彩を使うことは特定の性をイメージさせるので望ましくありません。 また、性別に関わらず使用できるので、男女ブースを示す男女間の仕切り線は不要です。 このようなアイデアでできあがったのが「男女共用お手洗」ピクトです。 今までと見た目はほとんど変わりませんが、色彩による精神的なバリアを取り除き、 性を意識しないで利用できるトイレとトイレピクトができあがったことは、まさに共生社会にふさわしい出来事と言えるでしょう。 写真:共生社会における理想のトイレ配置とトイレサイン(交通エコロジー・モビリティ財団ウェブサイトより) http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/allgender_toilet/ 10ページ 共生社会をつなぐ人 保育士さんが作った「おもちゃ店」 木のおもちゃ店 開店  2020年11月に、日本の木を中心にしたおもちゃ屋さん「道生庵」が、東京都杉並区にオープンしました。  開かれた扉から覗くと、8畳ほどの茶色のカーペットが敷かれた部屋に木製の玩具、布の玩具、絵本など約200種類が壁面に陳列されています。 中央のテーブルには、来店した人達が遊べるおもちゃが20種類ほど並んでいます。  この店が他と異なるのは、販売だけでなく、貸し出しを行っていることと、この場所で遊ぶことができることです。 開店のきっかけ  店名の道生庵とは、「何かの道に進む時の出発点」と教えてくれたのは、この店をたちあげた長谷川弘子(はせがわひろこ)さんです。彼女は27年間、保育園で保育士をされ、今も現役の保育士です。  玩具店を始めたきっかけを、次のように教えてくれました。「先輩保育士達が、木のおもちゃは長く使えて、子どものために買ったものが、孫にも遊んでもらえて財産になると教えてくれました。 その言葉を信じ買い貯めていくうち、結構な量になりました。ところが孫はいつになるかわからないし、いつまでもしまっておくのも勿体ない。 だったら地域に提供してもいいのではないか。またこれらの集めたおもちゃ達は私にとって大切な思い出も詰まっている。 変な話だけど売れるより、レンタルで戻って来るとどこか嬉しかったりするのではないかと思ったんです」 そして「もう一つは、保育園に、おもちゃの販売をしにきてくれているおもちゃ店『トムテ』の笠井廣(かさいひろし)さんからの影響でした。 笠井さんは、おもちゃを持参しながら保育園を定期的に訪問し、子どもたちがどのように興味を持ち遊ぶかを保育士たちにわかりやすく説明してくれました。 園芸店を営んでいた父親が、お客さんたちに自信をもって商品を紹介する姿と重なり、いつか自分もそんな玩具店を開きたいと思っていました」。 お客さんの反応  「最初は何だろう?とけげんな表情で入店される方もいますが、レンタル?遊んでいいの?と驚いたり、喜んだりしてくれます。 コロナ禍の影響もあるのでしょう、時には育児不安を抱えているようなお母さんが来ることもあります。 ちょっとした相談にのったり、話し相手になったりすることで、笑顔になって帰って行かれます。 地域のお母さん向けに、身近な素材で作れるおもちゃや遊び方の紹介もしています。それは保育士の私だからこそと思ってやっています」。 保育士も来店  開店しているのは、土曜・日曜の週二日ですが、障害のある子どもたちや保育士も多く来店します。私が訪問したわずかな時間の間にも5名の方が来店。 長谷川さんからの貴重な玩具情報を談笑しながらも熱心に聞かれていました。 保育士の人たちに玩具に望むことを聞くと「少し前までは、動かなくなると分解し直すことで、子どもとのコミュニケーションもはかれたけれど、今の玩具は開けることもできないものが多い」や、 「コロナ禍で木のおもちゃを消毒するとささくれる」など、この店は貴重な話を聞くこともできる空間になっています。 星川安之(ほしかわやすゆき) 写真1:「道生庵」 写真2:長谷川弘子さん 11ページ 共生社会をつなぐ人 95歳の店主が営む「時計店」  中央・総武線の西荻窪駅南口から5分ほど歩くと「須田時計店」と書かれた立て看板が目に入ります。 時計店とありますが、店内に入ると各種の時計と共に、ネックレス、宝石類、眼鏡も並べられています。  このお店がオープンしたのは、今から70年前の昭和25年11月1日、店主の須田喜八郎(すだ きはちろう)さんが25歳の時でした。 須田さんは、16歳で精密機械会社に入社、測定器の技術部門に配属され、時計・眼鏡・貴金属の基礎を学びました。 会社に勤務しながら、時計修理の職人だった叔父さんに、時計の技術を学び25歳の若さで時計店を開店させました。  当時は、朝早くから夜11時まで、外から見える修理机の前で仕事をしていたため、ほろ酔いの人たちが帰宅するための目印にしていたこともあり、「西荻窪の灯台」とも呼ばれていました。 そんな須田さんですが、50歳になった時、身体に異変がおこりました。いくつかの病院に行きましたが「検査する限り、悪いところはありませんね」と言われ、最後に辿り着いた病院で「運動不足が原因かもしれません」と言われました。 さっそく、ジムに通い、毎週のように山にも上り始めたところ、みるみるうちに体調が回復、95歳になった今でも現役で、毎日店にでて難しい修理に応じています。  須田さんが、70年間で修理した時計は数知れず、直せなかったものは記憶にないと言います。その秘訣をたずねると「共同作業です」と即答されました。 「時計を修理するには、壊れた部品を交換しなくてはいけません。芯棒、歯車、ネジなど、それら一つ一つは、それぞれの専門家がいます。 その仲間たちが部品を提供しあい、お客さまの時計をまた動くようにさせてもらっているのです。 また、地域内の時計店でも、自分の所では修理困難な場合は、できる店を紹介しているんです。」  私も須田時計店を初めて訪れたのは、同じ地域の別の時計店からの紹介でした。 時計のベルトが壊れ、高齢の女性店主の店に行くとさっそく修理机に向かい格闘してくれること20分、 「このばね棒、もともと『く』の字になっているのではなく、お客さんが背広に引っ掛けた時、曲がってしまったんだわ。 申し訳ないけれど、この時計に合う長さのばね棒がうちにはないの。30メートル先の時計店のご主人は器用だから直してくれると思う」と、ライバル店を教えてくれたのです。 そのライバル店が、「須田時計店」だったのです。  紹介された店に行くと眼鏡に小型のルーペを付けた須田さんが、「どれどれ、ううむ、このバネ棒は曲がってしまっているね」と、曲がったばね棒を器用に外し、22ミリの新たなばね棒を見事に付けてくれたのです。  須田時計店には、障害のあるお客さまも、今までに多く来店しています。 車椅子使用の方が見えてから、入口にスロープを設置し、耳の不自由な方とは、メモ帖を使って筆談をし、目の不自由な方には、取扱い説明書を読んでさしあげるなどが、極自然と行われています。 代読は希望されれば仕事以外の文書も読んでさしあげますとのこと。自然と、障害のある人と社会を結ぶ拠点にもなっているのです。 そんな拠点で一番多く聞かれるのが、元気のコツ。須田さんはいつも「栄養」、「運動」、「休養」と、50歳の時から続けている生活サイクルと共に、答えてくれています。 星川安之 写真1:須田時計店 写真2:須田喜八郎さん 12ページ キーワードで考える共用品講座第124講 「共生社会へのウィンドウ」 日本福祉大学 客員教授・共用品研究所 所長 後藤芳一(ごとうよしかず) 1.共生  「共生」は1870年代に、異種の生物が空間を共有する関係として唱えられた。生物間の関係は、初めは捕食・被食を中心に考えられたが、競争、共生、寄生なども含めるようになった。 現在では、関係は単純な分類を当てはめられない(関係は境目がなく変化し、状況によって変わる)とされ、共生はこれらすべてを含む上位の概念とされている。  よって共生は互恵的とは限らず、個体どうしの共存にもとどまらず、生体内(例:菌)や細胞内にも及ぶ。 ヒトを含む一般的な細胞(真核細胞)は、細胞内に別の生物(例:細胞内共生細菌)がいて成立する。 人の存在自体が、元から体内において共生を体現してきたといえる。 2.共生社会  共生の考え方は、社会的な分野でも用いられるようになった。仏教では1920年代に共生(運動)が提唱された。 近年の政策では官邸、内閣府、文部科学省がそれぞれ独自に共生社会の定義を示し、厚生労働省は地域共生社会を提唱する。  法による定義がないため、表現は用途や組織ごとに揺れがある。一例として官邸がパラリンピックに備えて2017年に示した定義は 「障害の有無にかかわらず、女性も男性も、高齢者も若者も、すべての人がお互いの人権や尊厳を大切にし支え合い、誰もが生き生きとした人生を享受」できる社会である。 本稿では、いろいろな特性のある人が、ともに暮らしやすい社会と考える。 3.共生社会を担う人  共生社会を実現し、それを深めるには課題が残されており、いろいろな役割が必要だ。不便さのある人との共生を念頭に、推進に関わる人とその役割を見よう。 第1は、不便さのある当事者のコミュニケーションを補うことで障壁を取り除く。 担い手自身が実践を通じて共生社会の一部となり、その推進を担う役割だ。本誌の事例では手話の森本(敬称略)、朗読ボランティアの石橋、盲ろう者向け通訳・介助員の前田、要約筆記の長尾である。  第2は、モノやサービス、媒体を開発・提供することで、当事者の活動やその介助者を間接的に支える。 本誌の事例では電話リレーサービスの大沼、朗読チャンネルの荒牧、サインの児山がこれにあたる。 ほかに「ビースコア」(点字楽譜作成ソフト)を提供する村上恭子(むらかみきょうこ)など。  第3は、ウィンドウを示す。壁の一部が開いているのが窓。遠くを望む視野に、広い世界が広がる。 課題が残る一方、共生社会はすでに一部実現している。そこでは未来が今に同居する。それを知ることで、通りすぎていた人が共生社会を担う側の人になる。 共生社会につなぐ役割だ。表紙の芳賀、おもちゃ店の長谷川、時計店の須田がそうだ。 「障害者が高齢社会の水先案内人」(大熊由紀子〈おおくまゆきこ〉)、「ウィンドウ」(筆者)、パラリンピックなど。 4.その先へ  共生ということばの歴史は長く、認知も広がった。取組みを受け継いで「その先」へと深めたい。  第1に、「共生」の意味の再確認。生物学の定義では、共生は「異種」間の共存だった。不便さのある人が異種であっては困る。 不便さや違いは、同じ種の中での個性だと再確認したい。真の意味の包摂である。  第2は、共生と唱えるからには、別の種への配慮はどうか。老犬や事故犬用の車いす、化学物質開発での動物実験の抑制などの取組みは、未来に開いたウィンドウだ。 草木に仏性をみて、モノにも魂が宿ると考える日本には、ウィンドウの存在に気づき、世界を導く役割がある。  第3は、空間の拡張。暮らしや活動の場は広がり、サイバーという新空間も生まれている。  第4は、時間の拡張。温暖化が過去からの蓄積で生じたように、今を生きることは今だけで閉じていない。 過去と未来を結ぶ点として今があり、後も先もつながっている。過去に負債があればあがない、未来に価値を送りだす。当たり前を実現した先に、やることが広がっている。 13ページ 連載 目からウロコな共用品 ご存じですか? 『世界ピクト図鑑』著:児山啓一(こやまけいいち)  世界26か国80都市のピクトグラム約1000点の写真を収録した図鑑。駅や空港のサインデザイナーで、 ピクトグラムの標準化にもかかわる児山啓一さんが世界で撮影したピクトグラムの写真を項目別、国別に分類し、わかりやすく解説しています。  項目別のページでは、非常口やトイレなどのアイテム別にピクトグラムを分類し、国ごとの表現の違いを一覧できます。  ピクトグラムの選定にかかわる専門家がユニークで鋭い視点からピクトグラムを紹介した今までにない一冊です。 写真:『世界ピクト図鑑』(ビー・エヌ・エヌ) 料理をやわらかくする「デリソフター」  いつもの手料理や市販の惣菜、冷凍食品などを見た目や味を変えず、やわらかくすることができる調理家電があります。 「デリソフター」(ギフモ)は、炊飯器のような機械に料理を入れると、野菜なら15分、肉なら30分ほどで舌や歯茎でつぶせるほどやわらかくなります。 加齢や病気、怪我などで噛む力・飲み込む力が低下してしまった方も、専用の介護食やミキサー食ではなく、家族と同じ食事が楽しめます。 写真1:「デリソフター」(ギフモ)(写真右)https://gifmo.co.jp/delisofter/ 写真2:調理前と調理後の比較(写真左) 開け閉めがラクになる「網戸の引き手」  網戸の多くは持ち手がなくてつかみにくく、開け閉めしにくいのが難点です。 「網戸の引き手」(小久保工業所)は、内からも外からも開けやすいように、形状の異なる屋内側用と屋外側用の引き手をセットにした便利グッズです。 色はホワイトとブラウンの2色。付属の粘着テープで簡単に取り付けられ、網戸の開け閉めがラクになります。  同時発売に「窓の引き手」もあります。 写真:「網戸の引き手」「窓の引き手」(小久保工業所) しゃべる扇風機「ポチ扇」  料理や洗い物で手が離せないときや、就寝時にリモコンが近くにないときにも便利な「DC音声操作サーキュレーター扇風機 ポチ扇」(シロカ)。 「ポチ、聞いて」と話しかけると、音声認識モードになり「はい、何ですか?」と反応してくれます。 その後に「あつい」、「強くして」、「おつかれさま」などの10パターンの指示ワードに応じて音声で返答し、動いてくれます。  扇風機の性能も充実していて、優しく静かな微風から、パワフルな強風まで対応しています。 写真:「DC音声操作サーキュレーター扇風機 ポチ扇」(シロカ) 14~15ページ 新型コロナワクチン接種券の配布と情報提供について ~さいたま市の事例から~ 個人賛助会員 芳賀優子(はがゆうこ)  7月に入り、我が家にも新型コロナワクチン接種券が届きました。私たち夫婦はさいたま市に住んでいますが、市報で大まかな情報は入手していました。 二人とも弱視で、夫は紙媒体の市報をルーペで読み、私はCDにデータ録音された音訳版を利用しています。  2017年から4年間、さいたま市障害者政策委員会の委員を務め、障害福祉部署や障害者団体の委員の方ともつながりを持つことができました。 そこで、障害のある人のワクチン接種について、政府からどんな連絡が出ているのか?それに基づいて市ではどんな配慮を行っているのか?調べてみました。 政府からの事務連絡  障害者団体からの要望書を受けて、厚生労働省は3月3日付で各自治体に対して、「新型コロナウイルス感染症に係る予防接種に関する合理的配慮の提供について」という事務連絡を発出しました。  この事務連絡は、障害種別ごとに、「相談体制や情報の提供」「ワクチン接種時」に分けて、具体的に事例を示し、公的な福祉サービスをスムーズに受けられるような配慮を、自治体に求めています。 ・聴覚障害者には、FAXやメールなどの電話以外の手段を用意すること。また自治体のサイトで字幕映像などを活用して情報提供すること。接種会場では、コミュニケーションボード等による案内をすること。 ・知的障害者や発達障害者には、情報提供や接種会場で、専門用語・抽象的な表現を用いず、絵・写真などを活用してわかりやすく丁寧な案内をすること。 ・視覚障害者には、ワクチン接種の郵送物だとわかるように、点字や拡大文字での表記をすること。また、自治体のサイトでテキストデータでの情報提供をすること。接種会場では、音声や放送などでの案内をすること。 さいたま市の工夫  さいたま市は厚生労働省の通知、プラス独自の工夫をして、障害のある市民ができるだけ接種を受けやすくするように環境を整えようとしています。 ①聴覚障害のある人  さいたま市聴覚障害者協会の協力の下、手話による説明動画を製作し、サイトで公開しています。 また、内容をわかりやすく簡潔に記載した通知文も同封しています。 ②視覚障害のある人  接種券の封筒の右下のほうに、切り欠きと音声コード(Uni-Voice Blind)をつけることで、「これは接種券が入っている大事な封筒であること」を、触ってもこの音声アプリからでもわかるようにしました。  封筒に記載してある予約センターの電話番号等、予約には欠かせないワクチン接種券のIDとパスワードが、明度差のはっきりした背景色と文字で書かれています。 「大きな文字」にフォーカスが当たりがちですが、もっと効果の高い「明度差をしっかりつけること」に着目した点は特筆すべきです。普段から利用者をよく見ているからこそできることです。 ③知的障害のある人  封筒に同封されている通知文を、ルビがついたPDFファイルで市のサイトに公開し、情報入手に配慮しています。 ④その他  特に障害のある人に限ってはいませんが、市内の各区役所や一部の図書館などに「予約のお手伝い窓口」を設置して、ネットが苦手な方や、一人での予約が不安な方のサポートをしてくれます。 私の視力では、予診票の小さなスペースへの記入ができないので、代筆の相談をしたところ、とてもスムーズに応対していただけました。  電話での予約を、すべて同じ電話番号のナビダイヤルで受け付けていることも、視覚障害のあるなしにかかわらず、とても分かりやすい方法です。 情報を発信する市にとっても、メリットは大きいと思います。(7月28日からフリーダイヤルに変更) 平常時がものをいう  先に上げた、各障害に合わせた配慮内容は、市の障害福祉部署と市内の障害者協議会とが話し合いの場を持ち、そこで申し合わせています。  封筒への切り込みと音声コードを提案したのは、市の障害福祉部署です。 時間がない中、点字や音声デイジーといったステレオタイプにとらわれることなく、このような即実行可能な提案ができたのには理由があります。  さいたま市には「ノーマライゼーション条例」があり、2つの附属機関と、登録した一般市民が障害の問題を話し合う「市民会議」があります。 そのどれにも、視覚障害者が普段から参加しており、障害部署の職員の方々も参加者をちゃんと見ていて、視覚障害の多様性を理解していました。  また、「今できること」を選んだ、さいたま市視覚障害者福祉協会の判断も大きかったと思います。 “対話と目線”  自治体のワクチン接種の準備は、厳しい時間的制約と毎日刻々と変わる状況の中で行われています。市にとっても、障害者団体にとっても大変難しい話し合いだったはずです。 また、申し合わせたことも、担当部署の間の連絡がうまくいかなかったり、混乱が生じたりして、実現できなかったこともあります。 わが家に届いた封筒は、記載事項もレイアウトも全く同じでしたが、私のには、右下のほうに切り欠きがついており音声コードが印刷されていましたが、夫のにはそのどちらもありませんでした。  また、それまでのサイトのアクセシビリティが、ワクチン接種のオンライン予約に大きく影響したことも否めません。  では、このような非常時であっても、100%でなければならないのか?決してそんなことはないと、私は思います。 とにかく、「何とかなること」がまず大事なのではないでしょうか?その視点で見てみると、今のさいたま市の状況は、70~80%何とかなっていると思います。  それは、市の担当部署と障害当事者が、普段から対話できる状況にあり、お互いに思い込みにとらわれずに知恵を絞った結果です。 どちらにも、「誰かに丸投げ」「前例踏襲」という姿勢はありませんでした。  この環境があれば、今回の経験は次に向けての貴重な資料となります。 例えば、「大切なお知らせに使う封筒すべてに、切り欠きと音声コードを入れることを標準にする」 「コールセンターでの問い合わせや予約時に障害があることを伝えると、事情が分かったオペレーターにつなぐ仕組みを作る」といった、 障害のある人にも市にもメリットのある提案を導き出せます。  このレポートを書きながら、国連の障害者権利条約が高く推奨する、「建設的対話を通して、お互いに課題解決を図ること」の意義を、深く感じることができました。 写真1:封筒全体 写真2:ユニコードと切り欠き 16ページ 共生社会をつなぐ人 【事務局長だより】 星川安之  今回の特集「共生社会をつなぐ人」は、芳賀優子さんから聞いた「ルーペの話」に登場する男の子にお父さんが伝えた一言がきっかけでした。 弱視の芳賀さんが、電車内で小型のルーペで本を読んでいると、右隣の男の子が、その右隣のお父さんに「あれ何?あれ何?」とルーペを指さして聞いています。 それに対してお父さんの一言が「おばさんに、聞いてみたら」でした。「見ちゃいけません」と子どもにいう大人が多いとのことですが、このお父さんの言葉は、芳賀さんの意表を突くと共に嬉しく、男の子との会話が弾みました。  特集の「共生社会」は、国立特別支援教育総合研究所が、「これまで必ずしも十分に社会参加できるような環境になかった障害者等が、積極的に参加・貢献していくことができる社会」と定義しています。  共生社会の入り口は複数の場所に設置されていると想像します。けれども、「共生」に対して、興味や関心がなかったり、思い込みが強かったりする場合には、その入り口がどこにあるかが分かりません。  「障害者は見てはいけない存在」といった思い込みをもった大人に入り口の場所や行き方を聞いても、正確な答えは返ってこないと思われます。  冒頭の「おばさんに聞いてみたら」と息子に伝えたお父さんの言葉は、共生社会の入り口の場所を示し、やってきた男の子に話しかけて答えた芳賀さんは、入り口の扉をあける役目をはたしています。  この実話を絵本にすることを、合同出版の坂上美樹(さかがみみき)さんが受け止め、多屋光孫(たやみつひろ)さんが絵本の文書と絵を描き『ゆうこさんのルーペ』という絵本になりました。 今号のインクルの表紙には、そのいくつかの場面を紹介しています。さらにこの絵本を、目の不自由な人も情景が浮かびやすくなるように、朗読劇にしたのが、バリアフリー演劇結社ばっかりばっかりの皆さんです。  絵本や朗読劇になるまでの経緯をラジオで4週にもわたり紹介してくださると共に、朗読劇への助成をしてくださったのは日本テレビ小鳩文化事業団です。  今回の特集では、電話リレーサービス、手話、要約筆記、朗読、ナレーション、指点字、店舗、文化を通して、共生社会をつなげている人や機関から、つなぐ手段、つなぎ方、そしてつなぐ意味にも及んでご紹介していただいています。  共用品推進機構は、障害の有無、年齢の高低等に関わらず誰もが使える製品・サービスを共用品・共用サービスと名付け、その普及に努めていますが、 目標は、ほとんどの製品・サービスが共用になり、わざわざ共用品・共用サービスと言わなくてもよくなることです。 共生社会も、共生が実現できれば、共用がとれ、「社会」という言葉に戻すことができます。そのためにも、つなぐ人の役割はますます重要になってきていると感じています。 共用品通信 【イベント】(オンラインイベント) 心の目線を合わせる「脳がコワれた」7月30日 心の目線を合わせる「摂食障害というこころの病」8月20日 【会議】 第26回通常理事会(書面審議) 評議員・監事意見交換会(オンライン会議システムZoom)6月25日 理事意見交換会(オンライン会議システムZoom)6月29日 第2回オンラインE&C会議 7月1日 第3回オンラインE&C会議 8月7日 第4回オンラインE&C会議 9月18日 【委員会】 第1回AD国際標準化委員会(本委員会)7月5日 第1回TC159国内検討委員会7月9日 第1回 TC173/SC7国内検討員会7月12日 第1回アクセシブルサービスJIS原案作成委員会7月26日 【講義・講演】 岡山県UDアンバサダー養成講座(7月14日、星川) 早稲田大学(7月17日、森川) 日本福祉大学(9月4日・5日、森川・星川) 広島大学(アクセシビリティリーダーキャンプ)(9月8日、森川) 法政大学(9月18日、星川) 【報道】 時事通信社 厚生福祉 6月29日 「角砂糖の広がり」 時事通信社 厚生福祉 7月20日 レコードが伝えてくれるコト トイジャーナル 8月号 保育士が作ったおもちゃ屋さん トイジャーナル 9月号 「共生社会の教養」 福祉介護テクノプラス 8月号 「共生社会の教養」 福祉介護テクノプラス 9月号 ナレーションの会社「みみよみ」 高齢者住宅新聞 7月14日 楕円形の大きな傘 高齢者住宅新聞 8月18日 コミュニケーション支援用ボード シルバー産業新聞 7月10日 ケアシューズ「あゆみ」 日本ねじ研究協会誌 7月 ねじと共用品(かしわ餅) 都政新報 7月30日 共生社会への第一歩①「おばさんに聞いてみたら?」 都政新報 8月6日 共生社会への第一歩②「じゃんけんのグーの大きさ」 都政新報 8月13日 共生社会への第一歩③「杉並でのアンケートを生かす」 法友文庫だより 夏号 だれもが使いやすい製品・サービス第1回 アクセシブルデザインの総合情報誌 第134号 2021(令和3)年9月25日発行 "Incl." vol.22 no.134 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2021 隔月刊、奇数月25日に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:https://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 星川安之 事務局 森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、木原慶子、田窪友和 執筆 荒牧友佳理、石橋迪子、大沼直紀、草地美穂子、後藤芳一、児山啓一、長尾康子、芳賀優子、前田晃秀、森本行雄 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙デザイン 西川菜美 表紙 絵本『ゆうこさんのルーペ』 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。 その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。 上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。