インクル137号 2022(令和4)年3月25日号 特集:「誰一人取り残さない」を考える Contents 【本の街で、こころの目線を合わせる】 神保町ブックセンター オンラインイベント 2ページ こころの目線を合わせたその先 4ページ 劇団「フライングステージ」 5ページ 本を聴く「オーディオブック」 6ページ アクセシブル・ブックス・サポートセンター設立に向けて 7ページ NPO法人ハイヒール・フラミンゴ 8ページ 「誰一人取り残さない」いちばんの近道って、なんだろう? 10ページ キーワードで考える共用品講座第127講 11ページ 「共遊玩具」「共用品・共用サービス」の普及に向けて 12ページ 「誰一人取り残さない」を考える本 14ページ 杉並区民生委員・児童委員への調査報告書 15ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 2ページ 【本の街で、こころの目線を合わせる】12月17日 神保町ブックセンター オンラインイベント 気がつけば4分の1が、障がいのある社員になっていた?! ユニバーサル農園「京丸園」「めねぎ農園のひみつ」を教えます 誌上再現 星川(ほしかわ):  今日は絵本『めねぎのうえんのガ・ガ・ガーン』(合同出版)の舞台、京丸園の鈴木厚志(すずきあつし)さん、緑(みどり)さんと、 絵本作家の多屋光孫(たやみつひろ)さんを、神保町ブックセンターのイベントにお招きしお話をうかがっていきます。 障がい者との出会い 厚志:  京丸園の鈴木厚志です。400年近く浜松の地を耕してきた農家の13代目です。農園を拡大させるために、求人を出したところ、応募されたのが障害のある人たちでした。 僕は、障害者は農業で働けないと思っていたので、お母さんと来られましたが、履歴書の封も開けないで「無理だと思います」と言って、履歴書をお返ししました。  お母さんは「なんとかお願いできないか」最後には「給料はいらないから働かせてくれ」と言われたんです。 僕はその当時30歳、その言葉の意味がわからなかったです。仕事は金を稼ぐためと思っていたので、お母さんのその意味がわからなかったのです。 その言葉がずっと引っかかっていたので、福祉関係の友だちに聞いてみると、「『この世に無駄な人は一人もいない』って聞いたことあるか」と尋ねられました。 「無駄じゃないと思うよ」と話したら、友だちは「お母さんはそれを信じてるんだよ」って。障害を持って生まれてきても、きっとこの子に役割があるんだと信じている。 だから断られるのは承知で、なんとかチャンスを貰えないかと回っていると教えてくれたのです。  僕はそれを聞いた時に、自分が働くということを真剣に考えてこなかったことに気づいたのです。それが彼らとの出会いで、障害を持った人たちやそのご家族との接点が生まれました。 そして、それが今回このようなかたちで絵本になっていくきっかけとなりました。 絵本に 緑:  厚志の妻です。この絵本の中には『ウォーリーをさがせ!』みたいに、ちょこちょこっと登場しています。 私は日々農園の雑務仕事をしています。京丸園のことを絵本にするお話を、お電話でいただいた時に即答しました。 まさかそんなことと思いつつ、半分は嬉しくてそうなるといいなと思って、即答しました。 その時に星川さんから「社長の返事を聞かなくていいのですか」と聞かれたんですが、「大丈夫、社長はもうOKだから」と(笑)。 多屋:  多屋光孫と申します。絵本作家で挿絵画家です。今回の絵本の文と絵を担当しました。 去年の『ゆうこさんのルーペ』に続いてこれが2冊目です。 京丸園 厚志:  障害を持った人たちと27年前に出会い、農場の仲間になってもらったおかげで、当時は家族10人でやっていた農園が、今は100人が働く農園になりました。 障害を持った人たちが働ける現場を作ってきたら、高齢の人たちも、女性も働きやすくなり、若者たちもまた入ってくるようになり、多様な人たちが一緒に働けるようになりました。 その辺りの話を、うちの総務を担当している女房に振りたいと思います。 緑:  補足をさせていただきます。私たちは家族の農園だったのが、絵本にあるように、特別支援学校の生徒さんを先生が連れてこられて、いろいろなことが変わっていきました。 けれども初めからうまくいっていたわけではありません、こだわりの強い人は自分が納得するまで何度も説明を聞き直してきます。 その時はなぜそうなるのかわからず先生に聞いて対応するの繰り返しでした、それが今では、本当にいろんなさまざまな人たちが農園で働いてもらえるようになってきています。 星川:  ありがとうございます。多屋さん、高校での授業の様子をお聞かせください。 多屋:  都立工芸高校で、先生が国語の授業で、この絵本を読んで下さり、生徒たちの感想文をいただきました。抜粋して読んでみます。 多かったのが、「人を仕事にではなく仕事を人に合わせるということに共感した」という生徒さんです。 「やっぱり人を見ただけで決めるのはよくない」とか、あとは高校生なので、部活とかアルバイトをやっている時に、後輩に指導をする時「同じことをやってたなぁ」というのが多かったです。 その他にも、「僕がこの作品を読んで感心したのは、鈴木さんのすばやさでした」「私も先生のような心がきれいな人になりたいです」 「この本を読んで思ったことは、発想や考え方を変えてみることで、世の中が変わるということです」などの感想がありました。 ユニバーサル農園 星川:  次に、ユニバーサル農園について教えてください。 厚志:  障害を持った人たちが農場に来てくれることで、農業の弱点に気づくことができます。 今農業人口がどんどん減って、「有休農地」という耕されない農地が増え、これからの日本の農業をどうしていくのかという課題に直面しています。  その現状の中で農業の弱点を知ることができて、なおかつ障害を持った人たちが働けるようにしていくと、いろんな変化が起こっていくと手応えを感じるようになったんです。 そのため、NPOを作って、ユニバーサル農業や農福連携というものをいろんな人たちに知ってもらう。 障害を持った人たちのためというよりは、「農業を強くする」というキーワードで取り組んでいます。 星川:  1つの農家だけではなくて広がりは重要ですね。海外からもあるんですか? 厚志:  おかげさまでユニバーサル農業や農福連携という、「農業」と「福祉」の連携は世界の問題でもあって、世界の農業をどうしていくかにもつながるんです。 世界にもやはり障害持った人たちがいて、各国どこにも福祉の問題がある。その中で農業と福祉を連携させることによって、もっとおもしろいことができる。 みんなが思うおもしろさは、世界でも同じようです。今この取り組みに24カ国の人たちが関心をもち、京丸園を訪れてきています。 国内だけでなく、多くの国とも連携できたらよいと思っています。 星川:  すばらしいですね。この絵本も多くの国で翻訳されるといいですね。ありがとうございます。 写真1:鈴木厚志氏(左)、絵本『めねぎのうえんのガ・ガ・ガーン』(右) 写真2:鈴木緑氏 写真3:多屋光孫氏 4ページ こころの目線を合わせたその先 神保町ブックセンター 永礼欣也(ながれきんや)  神保町ブックセンターのイベント会場は満席でイベントの始まりを楽しみに待っている方で溢れかえっていました。 2019年8月23日『本の街で、こころの目線を合わせる』イベント第1回目は満席御礼で開催されました。  このイベントは当事者以外にはなかなか伝わらない悩みを抱えての暮らし、その日常を「本」を通じて発信する当事者や支援者、専門家の方々をお招きし、 彼らの悩みや感じている事、専門的な知識などに耳を傾け、参加者と共にこころの目線を合わせて、誰もが暮らしやすい社会を目指してはじめたイベントです。  神保町ブックセンターは旧岩波ブックセンター跡地にできた書店と喫茶店と仕事場を兼ね備えた複合施設で、神保町という長い歴史のある本の街で、 「本と人との交流拠点」をコンセプトに開業し、ひょんなことから共用品推進機構の星川安之さんより、 様々な悩みを当事者がマンガを通じて発信する本を出版している合同出版さんの坂上美樹(さかがみみき)さんをご紹介いただき、 イベントの目的がお店のコンセプトにも合っていて、3者の合同でイベントの企画が始まりました。  気付けば2年4カ月で20回開催し、1036名の方々が参加してくださいました。 参加者の反応  イベントはトーク形式で当事者×専門家や支援者など双方の聞きたい事や価値観を発信できるようにこれまで様々な方にご登壇いただき、 絵本作家による絵本の朗読や当事者自身のアート作品の紹介、芽ねぎの栽培の実演など、色々な手法で発信してきました。  私が驚いたのはイベント参加者の半数以上は当事者ではなく、当事者の家族や友達など身近にいる方の参加が多かった事です。 「普段自分が接している事が間違っていなかったんだ」や「こういう事考えているんだ」など、身近にいるからこそ、自分事として考えている方が多く、 イベントの最後の質疑応答では質問が続出し予定時間をオーバーする事もしばしばです。  コロナ禍に入ってからはオンラインでも開催することになり、今まで参加できなかった遠方からの参加者もいらして、より当事者の声が遠くまで届くようになりました。 『知る』から『行動する』へ  昨今、自らを発信する手段はSNSを中心に様々なツールがあります。コロナ禍でオンラインが日常化されイベントを通じてたくさんの方々に参加いただき、 情報の発信を行っていますが、これからは興味がない方にどう知ってもらうかが課題です。  誰一人取り残さない社会をつくるためには、少しでも多くの方に知ってもらう事が重要で、知る事により、何をすれば共に暮らしやすい社会が実現するか、 実現に向けて行動に移す一歩が踏み出せると思います。こころの目線を合わせたその先には、その一歩を踏み出せるように本とイベントを通じてこれからも発信していきます。 写真:神保町ブックセンタートークイベント 5ページ 劇団「フライングステージ」  関根信一(せきねしんいち)さんが代表を務める劇団フライングステージの二本立ての演劇を観たのは昨年の6月、「Pinkピンク」は、ピンクのランドセルを欲しがる男の子の話、 「アイタクテとナリタクテ」は学芸会で人形姫の役を演じたい男の子の話でした。 きっかけはコーラスライン  1992年、当時20代後半の関根さんが、劇団を発足させたのは「府中青年の家事件」の裁判を傍聴したことでした。 同性愛者の団体に対し、都が「青年の家」の利用を拒絶した事に対して同会が起こした裁判です。  関根さんは、自分の性に対し違和感を感じ、女性っぽい振る舞いに、小中学校ではいじめの対象となりました。 早く中学を卒業し進学校に行けばいじめはなくなると考え、受験勉強は深夜まで及びました。 深夜ラジオで、ミュージカル「コーラスライン」を知り、受験勉強の合間をぬって日生劇場でみた「コーラスライン」は、関根さんの人生を変えることになりました。 このミュージカルでは、俳優になるためのオーディションの場面があり、応募者の一人が、ゲイであることを告げる場面がありました。 ゲイであることを他人に伝えたことのない関根さんにとって衝撃であったと共に、いつか自分も演じる立場になり、ゲイであることをオープンにしたいと思ったのです。 裁判の傍聴  高校では、演劇部に入りのめりこみ、卒業後も多くのミュージカルや演劇に出演しました。しかし、ゲイであることをカミングアウトするには至りませんでした。 20代後半になり、限界を感じ始めていた丁度その時に、ニュースで知った「府中青年の家事件」の裁判を傍聴したのです。 小さな法廷の傍聴席には、不当な事件に抗議するために、自分と同じLGBTの人達が、LGBTであることを隠さずにいたのです。 そこで出会った人たちは、94年8月28日に、日本初の東京レズビアン・ゲイパレードを開催した南定四郎(みなみていしろう)さんと繋がっている人たちでした。 南さんたちには、演劇を通じて社会に伝えたいことがあるとの思いで、劇をおこなうための劇団名「フライングステージ」がありました。 しかし、演劇に精通している人がいなかったこともあり、名称だけがある状況でした。その劇団名に、息を吹き込んだのが関根さんだったのです。 それ以来、劇団フライングステージの作品の台本は、関根さんの手で作られ、数多くの作品が上演され、多くの人の偏見や思い込みが消えていっています。 演劇は社会の鏡  冒頭で紹介した私が見た二本の作品「Pinkピンク」と「アイタクテとナリタクテ」は、私の中にあった思い込みや偏見を、見事にとりさってくれました。 2つの作品とも、声高に「差別反対!」「偏見撤廃!」とは、一言も言っていません。劇は、現在の社会を鏡として伝えることで、伝わることがあると、関根さんは言います。 社会で何が行われているかに気づいてもらい、どうしてその状態になっているかを知ってもらう、その後、その課題をどう考え、そしてどう行動に移すかは、劇を見てくれた人に委ねているのです。 人が動くのは、金を積まれた時や、脅されている時ではありません。人が動くは、ただ一つ「心が感動した時」です。そのことを、関根さんの劇は、教えてくれます。 関根さんは、劇団に息を吹き込むと同時に、自らゲイであることをカミングアウトし、社会とLGBTとを、演劇を通じて結んでくれているのです。 星川安之 写真:「フライングステージ」チラシ 6ページ 本を聴く「オーディオブック」  オーディオブックとは、書籍を音で提供するもので、読む本ではなく「聴く本」。スマホに専用のアプリをダウンロードし、聞きたい本を選べばすぐに使うことができる。 聞こえてくるのは、AI技術で合成された音声ではなく、声優の人たちの声だ。購入する前に、2分ほどの試し聞きができるので、購入後の失敗も少ない。読み上げるスピードは、4倍速まで設定できる。  通勤・通学中はもちろんのこと、ランニング、料理をしながらでも本を聴くことができる便利なサービスだが、今回は、audiobook.jpを通してオーディオブックを提供している(株)オトバンク会長、上田渉氏(うえだわたる)に話を伺った。 失明したおじいさんのために  上田氏がオーディオブックを始めたのは、自身のおじいさんが緑内障で失明していたからだ。駅伝、スポーツなど、テレビで放送される番組を耳で聴いていたという。 子供のころ、おじいさんの書斎で見た埃の積もった本、大きな虫眼鏡。完全に目が見えなくなるまで、活字を読もうと闘っていた姿をそこに見た上田少年は、おじいさんのために何かしたいと思った。 オーディオブック成功の秘訣  上田氏は、学生だった2004年にオトバンクを設立した。「そのころ主流だった携帯電話が小型化パソコンへと進化することも、通信速度が速くなっていくことも予測していたので、機器に関する課題は時間が解決すると考えた。 オーディオブックについて、無理だからやめておきなさい、と多くの人にたしなめられても、熱意をもってロジックを考えたことが成功の秘訣だったのではないか」と上田氏は言う。 会社の経営も、夢のようにふわっとしたものではない。自ら価値を生み出す人を採用するため、理念の共有と達成の道すじをはっきり示し、社員が課題をもって切磋琢磨する環境を作っているそうだ。 また、定時無し・コアタイム無しのフルフレックス制を導入し、通勤ストレスをなくすため、「満員電車禁止令」を敷いている。 広がるユーザーや用途  どちらかというと情報が届きにくい高齢者層のユーザーがここ数年で増えているのも、オーディオブックの認知度が上がったことの表れだという。 目の不自由な人のために始めた(株)オトバンクのオーディオブックは、障害のない人の間で広がっている。 これは、障害のある人の専用品として出発した電動歯ブラシや温水洗浄便座といった共用品と同じだ。 一般の人たちの間で話題になれば、障害のある人にも情報が届きやすくなる。  新型コロナワクチンを接種した翌日、副反応の発熱で寝たり起きたりしていた知人は、オーディオブックから流れてくる小説の声に癒されたという。 シニア層に入る友人が「近くが見えにくくなった目をこらして活字を読んでいると血圧が上がって困る」というので、オーディオブックを勧めた。 これで健康診断の血圧測定を心配しなくてよくなったと喜んでいる。  オーディオブックのユーザーと用途は、まだまだ広がりそうだ。 金丸淳子(かなまるじゅんこ) 写真:「audiobook.jp」のアプリ 7ページ アクセシブル・ブックス・サポートセンター設立に向けて ABSC準備会座長代行 落合早苗(おちあいさなえ)  2019年6月、視覚障害者等の読書環境の整備の推進に関する法律、いわゆる「読書バリアフリー法」が制定され、同月のうちに施行されました。  出版業界では、翌2020年7月に日本書籍出版協会にアクセシブル・ブックス委員会(AB委員会)を新設。 また昨年9月には、AB委員会と連携する形で、日本出版インフラセンター(JPO)に「アクセシブル・ブックス・サポートセンター(ABSC)」設立に向け、ABSC準備会を立ち上げました。  施行から2年半。基本方針として示されているアクセシブルな電子書籍の普及促進は、残念ながら進んでいるとは言い難い状況です。  ABSC準備会では、①出版社に対する情報提供、②電子書籍の自動音声読み上げ(TTS)対応促進、この二つの指標で出版業界に呼びかけていこうと考えています。  昨年12月には、出版社向けに説明会も開催しました。 出版社に対する情報提供  日本国内の出版社数は、現在約3000。うち、JPOの「出版情報登録センター」を利用している出版社は、約2300。 ABSC準備会では、この2300社に対して、アクセシブルな読書環境の整備に向けて、出版社に期待されている役割や、障害者団体の取り組みに関する情報を、冊子とウェブで提供していきます。  また、印刷用データからアクセシブルなデータを抽出するための手間や費用の負担をいかに軽減できるか、 提供したデータが目的外に流用されてしまうのではないかとの不安をどう解消するかといった、諸課題の解決に参考となる情報もレポートします。  このレポートは、障害者団体/障害者支援団体や図書館などにも送付します。希望があれば、テキストデータの提供もします。 電子書籍のTTS対応促進  法案成立後、基本方針として示されていたのが、電子書籍のTTS対応です。  日本国内の電子書籍は、数え方にもよりますが、すでに100万冊を超えたと考えられます(正確な統計データは存在しません)。 すでに市場に流通しているもののうち、21万冊程度は、出版社とサービス提供者との合意があれば、TTSに対応できます。まずはこれを進めていきます。 それ以外のものをどうしていくか、あるいはすでに流通しているものでなく今後製作される電子書籍を、よりアクセシブルなものにするために何ができるのか、といったことも研究し、広く共有していきます。  2022年1月からは、JPOが運営する本の総合カタログサイトBooksにおいて、電子書籍やオーディオブックの表示も出はじめました。 来年度中には、このサイトそのものもアクセシブル対応する予定で、どの本が市場で手に入るのかをガイドする役目を担います。  ABSC座長代行という任に就いて、私自身、視覚に障がいのある方と接する機会が増えました。件のレポート向けの取材で点訳現場を訪れてABSC準備会の活動について話したところ、 「(視覚障害者等向けに)どんな本があるのか、わかるだけでも嬉しい」という感想が返ってきました。晴眼者の私にとってはあたりまえの情報が、彼らに届いていなかったという実態に、少なからずショックを受けました。 はじめの一歩を踏み出すことが大切なのだと、励まされたように思います。  課題は山積みしていますが、一つひとつ整理し、関係者、関係団体の知恵を借りながら対応していきたいと考えております。 8ページ NPO法人ハイヒール・フラミンゴ  川村義肢株式会社(大阪府大東市)は、戦後すぐに義肢・装具を開発・販売する会社として設立されました。 義肢・装具の役割は、立つ、歩く、持つ、握るなどですが、目標はその人が望むことができるようになることです。 そのために、同社は、福祉用具にも事業範囲を広げ、本社入口には、ショールームを設置。多くの福祉機器・介護用品が展示され、体験もできるようになっています。  そこで相談員として、さまざまなニーズに応えているのが野間麻子(のまあさこ)さんです。野間さんには、もう一つ、仕事で出会った仲間と作ったNPO法人ハイヒール・フラミンゴの代表という顔があります。 ハイヒール・フラミンゴ  同社が2017年に始めた「義足でやってみよう!」というイベントは、それまで交流が少なかった義足の人同士が情報交換する貴重な場でもありました。 参加者の一人である高校教師の髙木庸子(たかぎようこ)さんは、悪性軟部肉腫で片足を切断しなければならない時、 人づてに紹介された義足の教師からの「必ず教壇に戻ってきてください、できたらかっこいい短パンで」という言葉で、前に進むことができました。 「足を失っても自分らしくあるために、好きな服を着て、好きな靴を履いて、そしてもう一度教壇に立とう。今までで一番素敵な靴を買おう」 そんな思いを抱いて切断後、義足で向かった店で購入したのは、ヴィトンのハイヒール。卒業式で生徒の名前を呼ぶ彼女の足には、そのハイヒールが輝いていました。  「義足の女性に会いたい」そんな思いでイベントに参加した髙木さんでしたが、女性の参加者は極端に少なく、事務局の野間さんに相談しました。 野間さんは、同社で義足を作った女性を対象とした「女子会」を企画。18年6月9日、第1回の義足の女子会が開催されたのです。 会場は、華やかな飾り付けが行われ、心地よいジャズ音楽が流れる中、アロマの香りが参加者を迎えました。 参加者は、初めて会った人同士にも関わらず、終始笑い声が絶えない、心が通じ合う時間を過ごしました。 そして、いつしか自分たちでも気づかなかった心の澱(おり)を、きれいに吐き出せる場所になっていたのです。 この会で満場一致で決めたのが「ハイヒール・フラミンゴ」という会の名称でした。 会のロゴマーク  女子会のこれからの活動の形を模索していく中、転機となったのは日本女性学習財団が募集している「未来大賞」への応募でした。 義足ユーザーの髙木さん、義肢製作者の青木千佳(あおきちか)さん、義肢事業推進を担当している松井由起子(まついゆきこ)さんと野間さんが、 それぞれの思いをオムニバス形式で書いたレポートは、見事、大賞を受賞したのです。 しかも、審査員の一人を通じて紹介された動物カメラマンの方より、アフリカの湖から今まさに飛び立とうとしている片足のフラミンゴの写真をロゴマークにしてプレゼントしてもらえたのです。 広がる夢を一つずつ  毎月開催されている交流会「フラミンゴ・カフェ」は、義足の女性たちが抱えてきた思いを打ち明ける場であるだけではなく、夢を叶える場でもあります。  「京都を着物と草履で歩く」、「海岸で足に波を感じる」、「義足にネイルをする」、「春のハイヒールを選ぶ」など、これまでは難しいと諦めていた経験を数多く重ねていったのです。  その後、会社の枠に捉われず活動を広げ、より多くの女性義足ユーザーの出会いの場になることを目指すため、NPO法人の設立に向けた準備がスタートします。 フラミンゴとの対面  ハイヒール・フラミンゴの夢はさらに広がります。会のロゴマークにもなった羽を広げて飛び立つフラミンゴを本場ケニアのボゴリア湖に見に行こう!そんな夢の実現に向けて、着々と計画が進められました。 しかし、その頃から髙木さんの病は進行していきました。皆の願いも叶わず、20年1月、翌月のケニア行きを前に、髙木さんは天国に旅立ったのです。  20年2月28日、昨日までの雨がやみ、ボゴリア湖のほとりには、周囲を埋め尽くし、大空を自由に飛び回る無数のフラミンゴたちの姿がありました。 髙木さんが遺した義足とあのヴィトンのハイヒールも、仲間たちと一緒にアフリカの大地を踏みしめたのです。 これから  22年2月現在、NPOのメンバーは75名、そのうち義足の会員が13名。コロナ禍でオンラインを取り入れたことも大きく、北海道から沖縄まで会員の輪が広がっています。  髙木さんの命は閉じてしまいましたが、彼女が叶えたかった「義足になっても自分らしく、行けるところではなく、行きたい場所へ行ける社会の実現」という夢のバトンは、 野間さんをはじめ多くの仲間に引き継がれ、「誰一人取り残さない」というゴールにむかって確実に進んでいるのです。 星川安之 写真1:体験コーナー 写真2:メンバー 写真3:フラミンゴマーク 写真4:京都を着物と草履で歩く 写真5:フラミンゴの群れ 写真6:メンバー写真 10ページ 「誰一人取り残さない」いちばんの近道って、なんだろう? 株式会社ヘラルボニー 代表取締役・CEO 松田崇弥(まつだたかや)  私自身が代表を務める株式会社ヘラルボニーは、「異彩を、放て」をミッションに掲げる福祉実験ユニットです。 国内外30以上の社会福祉法人の主に知的障害のある作家とアートライセンス契約を結び、2000点以上の作品のアートデータの著作権を管理するビジネスを展開しています。 例えば、百貨店を中心に5店舗ほど出店する「HERALBONY」というライフスタイルブランドを展開していたり、日本全国50カ所以上の工事現場の仮囲いをアートミュージアム化していたり、最近ではクレジットカード事業も手がけています。  全てに一貫しているのは「支援」「貢献」ではなく純粋にビジネスとして展開しているということです。 今回、機関誌のテーマである「誰一人取り残さない」とは、まさに「尊敬」を生み出していくことなのではないか?と思いました。  突然ですが、10年前の東京駅まで話を巻き戻したいと思います。尊敬のことを考えていたとき、「東京駅を花でいっぱいにしたい」 東京駅周辺に住むホームレス・徳川国有(とくがわくにあり)さんのことを思い出したのです。 私と彼は、大学3年生の頃に出会い、芸術大学に通っていた当時の私は、彼のドキュメンタリー映像を撮影しました。 彼がとても面白かったのは、マリーゴールドや、チューリップなど、一体どこから集めてきたのか…膨大な数の種をコレクションしていたことです。 しかも、その種を東京駅周辺の道路脇に面した花壇に向けて、ゲリラ的に蒔いていくのです…まさに現代版の花咲か爺さんでした。 私は彼に頼み込んで、寝食をともにしました。そして、確信したのです。彼は「花を植えることを楽しんでいる」と。  さて、そこで一つ問いかけをさせてください。彼のことを、みなさんは尊敬できるでしょうか?  「ホームレス」という言葉の中には、さまざまな意味が内包されています。もしも尊敬できないならば、一方的にその人物の人格や能力などの格づけに囚われているかもしれません。  これは、まさに障害福祉の世界でも言えることだと考えています。例えば、ヘラルボニーと契約を結ぶ知的障害のある作家の家では、ご両親は作品を「落書き」として考えていました。 しかし、ヘラルボニーを通じて「アート」として認められ、街にオフィスに百貨店に作品が掲出されることで、家族や親戚、福祉施設の職員から「すごいね」と褒められるのです。 すると、ご両親が自宅の壁に息子の作品を飾り始めました。〝尊敬がつくられる〟ことによって、知的障害のある人が心の底から生きやすくなる。 「尊敬」の意義深さに、日々面白さを感じています。  ヘラルボニーは、アート活動をしたい会社では、実はないのです。この世界を隔てる、先入観や常識という名のボーダーに気づくきっかけを提供する会社で在りたい。 「東京駅を花でいっぱいにしたい」という、清く美しい特筆すべき感受性に目が向く世の中にしたい。 あらゆる人の尊敬を生み出すこと、それが「誰一人取り残さない」本当の社会の実現に繋がると信じています。 写真1:松田崇弥氏 写真2:アーティスト八重樫季良(やえがしきよし)氏(写真左) 写真3:ミッション 11ページ キーワードで考える共用品講座第127講 「誰一人取り残さない」を考える 日本福祉大学 客員教授・共用品研究所 所長 後藤芳一(ごとうよしかず) 1.背景と課題  新型コロナは社会の分断や貧困を際立たせた一方、デジタル化(例:WEB会議やオンライン診療)を7年早めたという。環境対応や第4次産業革命の動きはコロナ前からあった。 市場原理・近代国家を科学が後押しするなかで、全体の効率と個々の幸せに背反が生じた。今世紀を迎える頃からその解決が国際課題になった。「誰一人取り残さない」もその一つだ。  経済社会は劣化する一方なのか。その反対だ。助からなかった命が助かるようになった、昔も虐げられる人はいて、それに気づかない社会だった。 ただ、過去から積み残す課題があり、技術や社会が複雑化して課題が増え、知識や情報を得て気づきが増し、意識(例:人権)が高まって求める水準が上がった。それに対応が追いつかないことが問題だ。 2.対応策  取組みは広がっている。推進力の強い順に、強制する(Ⅰ)≫方向を示して誘導する(Ⅱ)≫自らの意思で動く(Ⅲ)であり、動機は、外から(X)と自身の内から(Y)がある。  事例をみよう。①確実なのは外からの強制(XⅠ)だ(図の「梅」)。環境規制(罰則)、株主行動(議決権を行使)、ESG(投資で選別)など。即効性はあるが強いた範囲しか進まない(★印)。 ②自分の判断(XⅡとXⅢ)や内部の動機(YⅠとYⅡ)で取り組めばより自律的だ(図の「竹」)。CSRやMDGs・SDGs、標準化(XⅡ)は枠組を通じて進める試み、 量産部品の組合せ方によって個別ニーズに対応、ロングテールを見守る(XⅢ)はモノ作りでの工夫、倫理綱領、行動規範・憲章、LOHAS(YⅡ)は職業倫理やライフスタイルだ。「竹」の領域はソフトローともいう。 ③隠れた課題に気づき未来の問題を先取りする。それを「竹」や「梅」の手法で解く。それには論理で割りだせないものが見える必要があり、姿勢、感性と磨かれた本能が要る。自らに問い自ら答えを見つける世界だ(YⅢ、図の「松」)。 3.共用品の意義  「梅」に必要なのは徹底する力、「竹」には持続するしくみ、「松」には課題を見つける力とその思想性だ。 元々「共用品を作ろう」と始めたわけではなかった。利用者の違和感に触れ、その不便さに気づき、なぜかと問い、同じ疑問をもつ人が集まって共用品ができた。 新しい課題に気づき、対応につなげた過程が「松」だ。共用品を作ると決めた後で行う作業は「竹」だ。改正障害者差別解消法で、民間事業者による合理的配慮の提供は努力義務から義務になる。これで「竹」が「梅」になる。  松竹梅を決めるのは出口の姿(提供するモノやサービス)でなく、取組みの内容だ。海外の方法を導入する活動が多いなか、共用品は日本が「松」の役割を担い、世界の「竹」につなげた例だ。 4.さらに先へ  日本では18世紀半ばに「三方よし」、さらに17世紀には暮らしや商業活動と公共をつなげる思想があった。伊藤仁斎(いとうじんさい)、石田梅岩(いしだばいがん)、安藤昌益(あんどうしょうえき)など。 米欧の取組みが市場原理で生じた課題を修正する試み(例:SDGs)であるのに対し、東洋でははるか前から公共を見てきた(15世紀の中国には時の王朝をも「私」とみなす強く普遍的な「公」の考え方があった)。  縦割り(例:脱炭素、人権)にとどまらぬよう、部分最適は新たな課題を作る。取り残さないのは「人」だけでよいか、多様性の分野では生物も対象にしている。 人権も遅れぬよう。「取り残す/残さない」は送り手の視点、受け手と共に進めるよう。先達の時代から深い視点を持ってきた我々には、その先を拓く責任がある。 図:対応策の種類 12ページ 「共遊玩具」「共用品・共用サービス」の普及に向けて 株式会社タカラトミー社会活動推進課 原田由美子(はらだゆみこ)  共用品の一つでもある「共遊玩具」の歴史は、今から40年前の1980年に発足したHT研究室の活動から始まります。 HT研究室は、創業者富とみやま山栄えいいちろう市郎の「誰もが楽しめるおもちゃ」「世の中のためになる企業経営」という遺訓を基に、障害のある子どもたちの玩具を専門的に研究、開発する組織として結成されました。 しかし、専用玩具の開発には多くの困難が立ちはだかり、一時は撤退を余儀なくされるところまで追い詰められます。その時、発想の転換を行うことで誕生したのが「共遊玩具」でした。  そして1990年、ついに「共遊玩具」第一号となる「対戦型テトリス」が発売されました。 盤面上に凸のポイントマークを付けたり、ルーレットラベルに、形状に合わせた凹抜きをするといったちょっとした工夫をゲーム盤本体に加えることで、 目の不自由な子どもたちもそうでない子どもたちも一緒に遊べるおもちゃになっています。  その後、障害のある人もない人も共に使えるという考え方、理念は玩具業界全体へ、さらには業界や国境を越えて大きく広がっていきました。 現在では、この「共遊玩具」開発の活動はCSRという大きな枠組みの中で、タカラトミーグループの社会貢献活動の一つの大きな柱となっています。 しかしながらHT研究室結成から約40年が経ち、「共遊玩具」がタカラトミーから始まったことを知らない社員が多くなってきています。 さらに2020年に国内グループ従業員に実施したアンケートでは、約二割の社員が「共遊玩具」自体を知らないということが判りました。  このことは、「共遊玩具」をつくる上でも影響が出ています。「共遊玩具」として発売するためには、適切な気遣いや小さな配慮を企画や開発の早い段階で施していくことが必要になりますが、 これらを意識して商品を企画する開発者は現在、ごく一部にすぎません。また、私たち共遊玩具の推進担当者が商品の企画に対して配慮の提案を行うこともありますが、商品化のスケジュールに間に合わないこともあり、 もう少し早く気が付いていれば簡単に取り入れられた工夫や配慮が施されずに、悔しい想いをしたことも一度や二度ではなかったのです。 「このままではいけない」  私たちは、先人たちが積み重ねてきた思い、その努力を汚さぬよう「心」を理解して、次の世代にしっかりと繋いでいけるよう活動を守り続けていくために、 「共遊玩具」の企業内での情報共有(インナーブランディング)を一から始めることにしました。  「共遊玩具」の開発を促進するための社内ガイドライン「共遊玩具開発の手引き」を作成し昨年から玩具開発に関わる部門を対象に、オンラインによる「共遊玩具開発セミナー」を実施しています。 大好きなおもちゃで共に遊べた経験が共生社会の根っこになりうることやユーザーの声などを盛り込み、「開発したい」と思ってもらえるよう「共遊玩具」の役割や意義に気付いてもらえる内容にしています。  また、「共遊玩具の歴史」を、富山幹太郎(とみやまかんたろう)会長と(公財)共用品推進機構の星川安之さんの対談、当時の資料やイラストで作成した動画で構成したコンテンツを制作し、国内の従業員に向けて配信しています。  コンテンツを視聴した社員からは、「タカラトミーグループで働いていることにやりがいや誇りを感じた」という声や、「活動を次代につないでいく重要性を認識し意識をもって行動していきたい」との嬉しい声が寄せられました。  また「共用品・共用サービス」を自らの業務に活かしたいという声が様々な職種の方から寄せられた一方、業務に活かすためには更なる知識が必要との意見もありました。  それらの意見に応えられるよう企画したのが、星川さんが講師を務める全三回の「共用品・共用サービスセミナー」です。  第一回の「調査」では、絵本「ゆうこさんのルーペ」の原作者である芳賀優子(はがゆうこ)さんをゲストに、共用品とは何か、様々な調査のこと、コロナ禍での生活の変化、調査する時のポイントを伝え、 第二回の「標準化」では、(公財)交通エコロジー・モビリティ財団の竹島恵子(たけしまけいこ)さんをゲストに、日用品等に施されている配慮のこと。標準化の必要性。ピクトグラムがどのように作られているのかを伝えています。  第三回の「普及」では、共用品推進機構 理事の望月庸光(もちづきのぶあき)さんをゲストに、お客様に楽しんでいただくための様々な工夫や配慮、普及のための施策等をご紹介いただきました。  ちょっとした工夫をすることで、誰もが使いやすくなり生活の助けになる商品やサービスを提供できることに気が付いた参加者は多く、「共用品・共用サービスをもっと知りたいと思った」との声が寄せられました。  おもちゃを通じて子どもたちは様々なことを学びます。子どものころから、お互いの違いを受け入れ、違うのはあたりまえであると理解して育ち、共生社会のすばらしさを学んだ子どもたちが大人になるころ、共生社会があたりまえの世の中になっていると信じています。  共遊玩具はおもちゃ作りを通したタカラトミーグループらしい社会貢献のひとつの形です。そして「共用品・共用サービス」は、「共遊玩具」の活動がひとつのきっかけとなり、多くの業界に広がっている活動です。 「世の中のためになる企業経営」を胸にこれからも「共遊玩具」そして「共用品・共用サービス」の普及を目指して活動していきたいと思います。 www.takaratomy.co.jp/products/kyouyu/ 写真1:小さな凸点 写真2:星川安之さん(左)富山幹太郎会長(右)との対談 写真3:芳賀さんとヤマト運輸のご不在連絡票 写真4:ピクトグラムと竹島さん 写真5:望月さん(左)と星川さん(右) 14ぺージ 「誰一人取り残さない」を考える本 障害のある人の分岐点  副題に「国際障害年から40年の軌跡~障害者権利条約に恥をかかせないで」とある本書は、日本障害者協議会(JD)の代表である藤井克徳(ふじいかつのり)さんが、 主に1981年の国際障害者年以降の障害者運動の40年間を記憶と資料で、振り返って記録している一冊です。 1981年から2020年までを、10年単位で第一期~第四期としてくくり、その期間にあった主な出来事を背景と共に是非を問いながら解説しています。 1981年以前に関しては、誰一人取り残さないの真逆である優生保護法に関しても言及しています。 写真1:『障害のある人の分岐点』 不便さ調査報告書  共用品推進機構では、前身の市民団体E&Cプロジェクトの発足時より、障害のある人、高齢者等日常生活に不便さのある人達の不便さ調査を行ってきています。 主に全盲の人達を中心に93年に行った「視覚障害者アンケート調査報告書」(要約編)は、279名の回答のうち、点字での回答が213名(墨字が66名)でした。 家の中では、家電、包装、配達物、家の外では、各種カード類、ATM、店、商品情報、外出、音・音声などに関する不便さが数多く出ています。 この調査で出てきた課題を解決するプロジェクトが作られ、JISが作られるきっかけになりました。 写真2:『視覚障害者アンケート調査報告書(要約編)』 共用品という思想  共用品推進機構の前身であるE&Cプロジェクトから今にいたる歩み、共用品の定義と原則、共用品の発想が生まれた背景、市場、共用品が日本で生まれた意味(必然性)、共用品への取組みがなぜ「思想」であるのか。 共用品をめぐる〝そもそも〟を、開発と普及に関わってきた星川安之と後藤芳一が整理しました。  現場で開発と普及を担当するとき、複雑な状況のもとで一歩先が必要なとき、他の社会課題を一から解こうとするとき、「応用」をめざすときは、原点を押さえることで答えが見つかるかも知れません。 写真3:『共用品という思想』 みんなで跳んだ  朝日新聞の記者、氏岡真弓(うじおかまゆみ)さんが、1997年11月29日の夕刊コラム「変換キー」に書かれたのが「みんなで跳んだ」です。 中学のクラス対抗、大縄跳びで、跳ぶのが苦手な生徒がいるクラスの話しあいを軸に、そのクラスの担任だった柏かしわぎ木修おさむ先生の目を通して状況を記録したドキュメントです。  クラス対抗の大縄跳びは、対抗という二文字があるように、勝つことが目的になっています。何度も話し合いを重ね、勝つこととは何か、みんなとは何か、大切なことは何かを、読み側に問いかけています。 写真4:『みんなで跳んだ』 15ページ 杉並区民生委員・児童委員への調査報告書 調査の背景  民生委員とは、地域の身近な相談相手として、行政や関係機関と住民との間に立ち、支援をつなぐ役割をする人で、 高齢者・障害者等だけでなく、相談対象が児童にも及んでいるため、児童委員も兼ねている。  私が一委員として参加している杉並区の差別解消支援地域会議では、令和2年度、同区に登録されている民生委員319名を対象に、次の項目でアンケート調査を行った。 (1)感謝・喜ばれたこと (2)委員として良かった点 (3)困ったこと (4)工夫したこと (5)その他、活動のなかで、多くの人に伝えたいこと  同会議の委員長は、実施の背景を「杉並区は以前『良かったこと調査』を杉並区在住の障害者に行い、イラスト化したパンフレットにまとめたところ、 『ちょっとした思いやりが大切』『これならできる』との声が多く寄せられた。このような可視化が誰にとってもやさしい街につながるとの考えから、 調査対象を、障害者や高齢者に関わる機会の多い民生委員・児童委員に広げた」と語っている。 調査結果  令和2年11月~12月にかけて行った調査には、59%にあたる230名からの回答があった。委員歴は1年未満の人から30年近くになる人まで幅広く、 課題に直面した際、戸惑いながらの工夫から、それらの工夫を積み重ね、自信を持っての行動まで、多様な状況にいることがわかった。  以下、設問ごとに主な回答を記載する。 (1)感謝・喜ばれたこと ・話し相手になったこと、町などで声かけ、身近に民生委員がいることの安心感への感謝。 ・素早いアドバイス及び、相談先の紹介などが感謝された。 ・緊急時夜遅くに対応した事。 その他の回答からも、上下関係のない、よい関係性が見受けられた。 (2)委員として良かった点 ・社会の仕組み、傾聴、高齢者とのふれあいでの勉強。 ・傾聴や手話の実践。 ・障害者の顔見知りができた。 ・頼りにされている実感。 その他、いい意味でおせっかいになったという回答があった。 (3)困ったこと  民生委員に対する無理解、無理な要望(金・鍵・他)、相談の時間帯、頻度、コロナ禍での接し方、障害のある人とのコミュニケーション、 訪問拒否、安否確認、個人情報の境界線、仕事との調整、民生委員の役割の境界線、連携の有無(本人・民生委員・行政等)、情報が入ってこないなど、 改善が望まれる事項についても回答があった。 (4)工夫したこと  訪問先の事前確認、見かけたら挨拶、名札/名刺の提示、主に「聞く」を心がけている、御礼(品物等)への対処、一言書いてポスティング、 民生委員としてではなく、近所の奥さんで関わる、高齢者と話す時はゆっくり、大きな声で話すようにしている。笑顔で聞く、視覚障害者の誘導方法、等。 【まとめ】  回答には共生社会へのヒントが数多く示されている。代表的なヒントの一部を紹介する。 ・街でもお互い挨拶をする。 ・地域の人たちに関心をもち、緊急時にも声かける関係になる。 ・自分だけでは解決困難な課題に直面したら、自分の思い込みで行動せず、本人や周りの人、機関と連携する。 ・経験した失敗と共に良かったことも、他の民生委員並びに関係者、関係機関と共有する。 ・ルールは守りながらも、安全を第一優先とする。 ・共生社会構築のために、ルールは適宜見直す等である。 調査は活用して初めて意味が出る。有効な活用が楽しみだ。 星川安之 16ページ 「できちょる先生」と「誰一人取り残さない」 【事務局長だより】 星川安之  製品の大量生産、大量消費は、製造業が業績をあげるための基本中の基本で、商品アイディア会議では、どれだけ優秀なアイディアよりも、どれだけ売れるかが常に、商品化を決定する基準でした。  私が学生の時、通っていた重度重複障害児の通所施設で、「ここの子ども達が遊べる市販の玩具は、とても少ない」という保育士の一言が、社会を知るきっかけとなり、また玩具メーカーに就職するきっかけにもなりました。  正義感が強かったわけではなく、中学・高校時代の数学教師が出題する応用問題を、教室で解いた時、彼が険しい顔をしながら発する「できちょる!」の一言で、問題が解けた時に得られた快感が、もう一つのきっかけとなりました。  大学に入るとユニークかつ壺にはまる評価をしてくれていた「できちょる先生」はおらず、印刷、引っ越し、喫茶店、百科事典の営業、 牧場、道路の線引き、イベント、チラシ配り、家庭教師などの、アルバイトをしていく中で、障害児の通所施設に辿り着き、解いてみたい応用問題に出会ったのです。  「できちょる先生」が出題する問題との大きな違いは、どこにもこの問題を解くための参考書が売られていないことでした。  玩具メーカーに入社してすぐの頃、同期のメンバーと「良いおもちゃとは?」について、就業後に一杯飲みながら談義となりました。 私から「障害があっても遊べるおもちゃ」と無邪気に言うと、同期の彼は、何を世間しらずに甘いことを言っているんだとの前置きの後、良いおもちゃとはを一言で「売れるおもちゃ」と言ったのを今でもはっきり覚えています。  入社半年後、新設された障害児のおもちゃを研究・開発する部署に配属になりました。最初からすべての子どもが遊べる玩具にするのは困難だと悟り、目の不自由な子供たちの玩具に絞り、専用の玩具を作っていったのです。 「良いおもちゃ談義」を、思い出す状況はすぐにやってきました。1985年プラザ合意の円高で、輸出を行っていた企業は大きな打撃を受け、障害児専用に活動する部署は存続の危機となり、 選んだ道は、専用玩具ではなく、「売れるおもちゃ」の要素をもった、障害の有無に関わらず共に遊べる共遊玩具でした。 この共遊玩具には、一社だけで行うのか?、さらには一業界だけでおこなうのか?、最後は日本だけで行うのか?という応用問題が付いてきたのです。  SDGsが国連で議論され、2030年までの目標をたて、持続可能な社会にすると共に、その時提唱されたのが「誰一人、取り残さずに」という応用問題です。  共用品・共用サービスの目標と合致するのは、多くの関係者で、同じ方向を向きながら議論と実践を継続しておこなうことです。E&Cより前の風の会をふくめると、既に40年近くがたっています。  一人も取り残さずを実現するためには、一人でも多くの人が問題を解く側に回ることと思っています。 共用品通信 【委員会】 第2回TC159国内検討委員会(1月24日) 第2回アクセシブルサービスJIS原案作成委員会(1月26日) 第2回TC173/SC7国内検討委員会(1月27日) 第2回AD国際標準化委員会(2月4日) 【講義・講演】 大阪経済大学(1月7日、森田・星川) タカラトミー共用品講座第3回(1月13日、望月庸光・星川) 早稲田大学 藤本研究室(1月13日、星川) 生活協同組合(1月21日、星川) 東京都千代田区立九段小学校 オンライン授業(2月17日、森川) 杉並区大人塾 講座(2月27日、星川) 杉並区まち博 講座(3月5日、星川) アクセシビリティリーダーキャンプ(広島大学)オンライン講義(3月2日、森川) 【報道】 時事通信社 厚生福祉 2月8日 マスクのJIS発行と展示会 時事通信社 厚生福祉 3月1日 共生社会を共にめざした友 トイジャーナル 2月号 お客さんの身になってくれる店員さん達 トイジャーナル 3月号 NPO法人 ハイヒール・フラミンゴ 福祉介護テクノプラス 3月号 全ての人のニーズに応える公園に 福祉介護テクノプラス 4月号 あきらめない会社「川村義肢株式会社」 高齢者住宅新聞 1月5日・12日合併号 ダーツのルーツ 高齢者住宅新聞 2月9日 ビジネスホテルのシャワー室の椅子 シルバー産業新聞 1月10日 非接触で生まれる工夫 アクセシブルデザインの総合情報誌 第137号 2022(令和4)年3月25日発行 "Incl." vol.23 no.137 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2022 隔月刊、奇数月25日に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:https://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 星川安之 事務局 森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、木原慶子、田窪友和 執筆 落合早苗、後藤芳一、永礼欣也、原田由美子、松田崇弥 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙 Nozomi Hoshikawa 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。 上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。