インクル138号 2022(令和4)年5月25日号 特集:「続ける」 Contents 令和4年度 共用品推進機構 事業計画 2ページ 「続ける」を生きてきた半世紀 4ページ キーワードで考える共用品講座第128講 5ページ シャンプー・ボディウォッシュ容器の工夫を続けながら 6ページ 続ける意味、~常に今がボトム~ 8ページ ユニバーサルシアター シネマ・チュプキ・タバタ 10ページ 快適な公共トイレ設計を提供し続けるということ 11ページ 共用品市場規模調査~最新調査結果と続ける意味と要件 12ページ 持続可能なユニバーサルデザインタクシー事業を目指して 14ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 2ページ 令和4年度 共用品推進機構 事業計画 アクセシブルな新しい生活様式を目指して~  令和4年(2022年)3月、理事・監事の書面審議により、令和4年度の事業計画が承認されました。 今年度も、共用品・共用サービスに関する「1.調査・研究」、「2.標準化」、「3.普及・啓発」の三つの柱に、 感染症対策への取り組みを踏まえた、アクセシブルな新しい生活様式を目指して業務を遂行します。本誌では主な事業についてご報告します。 1.調査・研究  より多くの人々が、暮らしやすい社会となるために必要な事項を、ニーズ把握、製品・サービス・システムに関する配慮・考慮点の基準及び普及に関しての調査・研究プロジェクトを設置して行う。 (1)障害児・者/高齢者等のニーズ把握システムの構築・検証  製品・サービス・システムに対して、障害児・者、高齢者のニーズを把握、確認するためのアンケート調査、ヒヤリング、モニタリング調査を実施し、製品・サービス・システム供給者と需要者が連携できる仕組みを確立する。 ①障害児・者/高齢者等の日常生活環境における不便さ等の実態把握(調査方法)の検証・実施  地域における良かったこと調査を、全国に広げる準備として、これまで行ってきた「地域における良かったこと調査」を参考に、新たな地域において「良かったこと調査®」を実施する。 ②共創システム及びモニタリング調査システムの構築・検証  障害当事者団体・高齢者団体等と連携し、関係業界、関係機関(業界団体、企業、公的機関等)が共用品・共用サービス・共用システムに関するモニタリング調査を簡易に実施するための支援システムを実施し、 更にこの支援システムを恒常化するために必要な事項の分析を行い、合理的且つ有効なモニタリングの実施方法を確立する。 ③コロナ禍による新しい生活様式における不便さを解消している 製品・サービス、調査  令和3年度に実施した新型コロナウイルスの感染拡大の状況での、障害のある人たちへの不便さ調査を踏まえて作成したガイドラインを基に、不便さを解消している製品・サービスに関しての確認を行う。 (2)共用品市場調査の実施  これまでに実施してきた共用品市場規模調査及び手法に関しての分析を引き続き行い、調査対象の範囲並びに、今後共用品を普及するために必要な事項の課題抽出を行いながら実施する。 また、共用サービスにおける市場規模の調査の可能性を検討する。 2.標準化の推進  アクセシブルデザイン(高齢者・障害者配慮設計指針)の日本工業規格(JIS)及び国際規格(IS)の作成を行う。 また、その作成に資するため、国内外の高齢者・障害者配慮の規格に繋がるための調査・研究・検証を行う。 (1)規格作成 ①アクセシブルデザイン(高齢者・障害者配慮設計指針)国際規格の作成及び調査・研究  令和3年度までに行ってきた国際標準化機構(ISO)内のTC173(障害のある人が使用する機器)及びTC159(人間工学)に提案し承認された案件を、国際規格制定に向けて作業グループ(WG)で審議する。 ⅰ.福祉用具―一般通則と試験方法 2.福祉用具―間隔機能に障害のある人のための福祉用具に関するユーザーニーズ調査のガイドライン ⅲ.新しい生活様式におけるアクセシビリティ配慮設計指針 ②共用サービス(アクセシブルサービス)の国内標準化に向けた調査・研究  令和元年度から、日本工業規格は日本産業規格に名称が変わり、サービスに関する標準化が可能となったため、共用サービス(アクセシブルサービス)に関する規格作成に向けて、 職場、店舗、消費者窓口、医療、公共施設、イベント等の共用サービスに関する既存のガイドライン及び各種ニーズ調査等を整理分析し、開発すべき共用サービスの共通並びに個別規格の体系図を作成し、 アクセシブルサービス(共用サービス)規格(JIS)の作成を行う。 3.普及及び啓発  開発・販売・市場化された共用品・共用サービス・共用システムを広く普及させるため、データベース、展示会、講座、市場規模調査、国際連携等、令和3年度までに実践してきた事項を基に行う。 (1)共用品普及のための共用品データベースの実施  令和3年度までに行ってきた共用品のデータベースの試行を基に、障害のある人を含む多くの消費者が、的確な共用品を選択できる仕組みを構築するため、使いやすさや検索のしやすさについて検討を行い、 データベースを構築し試行を開始する。試行の際、令和元年度までに作成した高齢者・障害者配慮設計指針の日本工業規格(JIS)、ISO/IECガイド71、関係業界の高齢者・障害者配慮基準等、 関係機関と協議し作成した共用品(=アクセシブルデザイン)共通基準(素案)を基に作成した共用品の使用性評価制度に沿って検証する。 (2)共用品・共用サービスに関する講座等の実施・検証  令和3年度までに実施してきた共用品・共用サービスに関する講座に関して①対象(企業、業界団体、アクセシブルデザイン推進協議会=ADC)、一般市民、就学前の子供~大学院生等ごとに、 ②伝える事項(コンテンツ)、視覚的ツール(共用品のサンプル、PPT、ビデオ等)、配布資料等を用意し、対面及びオンライン講座を実施する。 更には、より多くの機関で、共用品講座を行えるような仕組みを構築し継続して検証する。 また、平成29年1月1日に発足した共用品研究所と、共用品に関する研究の情報共有を図る。 (3)国内外の高齢者・障害者、難病等関連機関との連携  国内外の関連機関と連携をし、各種情報を共有し、共用品・共用サービスの普及を図る。(アクセシブルデザイン推進協議会等) (4)障害当事者等のニーズの収集  令和3年度までに実施してきた障害のある人達を対象としたニーズやアイディアを継続的に収集しながら、収集したニーズを基に共用品の重要性を深め普及を促進する教材の検討を行う。 図1:良かったこと調査®公開イメージ 図2:標準化イメージ 4ページ 「続ける」を生きてきた半世紀 NPO法人日本障害者協議会代表 藤井克徳(ふじいかつのり)  それは、何の前触れもない突然の電話だった。「このたび、NHK放送文化賞に選ばれました。受けてもらえますか」と。 最初の内はさっぱり事情がつかめなかった。話しているうちに、人違いでないことははっきりしてきた。 「改めて返事をします」と電話を切った。翌日の電話で、「私のどこが放送文化賞の対象になるのでしょう」と尋ねてみた。  「長期にわたり障害のある人の人権を守る仕事に携わってきたことです」旨が返ってきた。 今思えば、「長期にわたり」というフレーズが心を動かしたように思う。素直に受けることにした。  3月18日の放送記念日に、歌手の美輪明宏(みわあきひろ)さんら5人の受賞者と共に授賞式に臨んだ。 私は、自身のスピーチの冒頭で、「何よりうれしかったのは、障害のある人の人権を守る活動が放送文化の対象として評価されたこと」と述べた。 うかがうところによると、70年余の放送文化賞の歴史で、人権の分野に正面から向き合ったのは初めてだという。 「放送と障害者」についての新たな可能性や発展へのきっかけになればなおうれしい。  そんな私を、簡単にふり返ってみる。最初に勤務した肢体不自由養護学校(現在の特別支援学校)での重度障害児との出会いが人権分野に触れるきっかけだった。 正確に言えば、当時は障害が重ければ養護学校すら入れず、こうした子どもたちの教育権を具体化していく取り組みを通して、人権意識が醸成されていったように思う。 並行して取り組んだのが、障害の重い卒業生のための共同作業所づくりだった。昼も夜もなく必死だったことが思い起こされる。 その後は、12年間勤務した養護学校に別れを告げ、民間の活動に専念することになる。 共同作業所全国連絡会(現在のきょうされん)やNPO法人日本障害者協議会などの役員として、障害関連政策の改善を活動(仕事)の主柱とし、現在に至っている。  「活動の足跡を通してのキーワードは」と問われたら、すかさずこう答える。「続ける」と。もう少し丁寧に言うと、「続ける」単体ということではない。 そこには、「続ける」を裏打ちするいくつかの要素がある。具体的には、「つながる」「伝える」「創る」であり、「続ける」はそれらを抜きには考えられない。 それらの集積体と言ってもいい。偶然にも、これらの頭は「つ」で揃う。私は、これを「4つの『つ』」と言ってきた。 例えば、共同作業所づくりで言うと、先ずは障害のある人のニーズを軸に関係者がつながることから始まる。 そして、地域住民や行政にその必要性を伝え、頃合いをみながら具体化(創る)へと移っていく、そしてそれを地域の共有財産として維持していくのである。 「続ける」とは不思議なもので、ある程度の段階(時期)にたどり着くと、必ずと言っていいほど、新たなつながり、伝え方の改良、より進化した具体物が芽生えてくるのである。  古い歌謡曲に「終着駅は始発駅」がある。私の「続ける論」は、この「終着駅は始発駅」のくり返しなのかもしれない。 「続ける」はエネルギーの一方的な消費にみえるが、決してそうではない。 実感としては、消費以上に新たな注入の方が多い。注入が何に由来するかであるが、この「終着駅は始発駅」をくり返す中でのさまざまな人との出会いが大きいように思う。 写真1:藤井克徳氏 5ページ キーワードで考える共用品講座第128講「続ける-私事の例から-」 日本福祉大学 客員教授・共用品研究所 所長 後藤芳一(ごとうよしかず) 「後藤さんも来ない?」 「えっ、お伺いしてよろしいんですか」 鴨志田厚子(かもしだあつこ)さん(共用品推進機構の前身であるE&Cプロジェクトの代表〈当時〉)からの誘いで、筆者はE&Cに参加することになった。1994年のことだった。  当時筆者は、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)で医療・福祉機器の開発支援を担当していた。 NEDOはサンシャインビル(池袋)にあった。  事業者10名ほどとともに、開発したあと、どうすれば事業化できるかを議論していた。 93年度に始めた福祉用具実用化助成事業に採択された企業であり、5倍の倍率で選ばれた人たちだったが、よい技術と、そのあと利用者に支持され事業になることは別と思えた。  何度か続けるうちに、共用品のことを思いだした。 93年秋に、国立障害者リハビリテーションセンター(所沢)でリハビリテーション工学カンファレンスが開かれた。 そこで行われた講演で共用品の話をきいた。三好泉(みよしいずみ)さんと望月庸光(もちづきのぶあき)さんが講師だった。  開発の先として、共用品は実用化の一つの姿ではと考えた。初めまして、と事務局にご連絡した。 星川安之(ほしかわやすゆき)さんが、分かった、と鴨志田さんと花島弘(はなしまひろし)さんとともに、池袋の勉強会に来てくれた。 冒頭のお誘いは、その帰りがけのことだった。  E&Cプロジェクトの集まりは土曜の午後に、自由学園明日館(目白)で開かれていた。初めての日、帰りに星川さんと目白駅の近くでビールを一杯。 「後藤さんは、なぜE&Cに来るんですか」「共用品はよい取組み、でも普及は途上、加勢が要りそうだ。 みんなが知るようになれば、こちらは自然にフェードアウトするかも…」最初に動機を共有した。 “思想調整”だったわけだ。  本稿のテーマは「続ける」だ。筆者は行政の仕事で福祉用具を担当し、そのなかで共用品とご縁ができた。 ただ、任期のあいだで関わったとしても、それは「仕事」として行っている、ということになる。 行政で担当する期間は1~3年なので、その期間が過ぎると別の仕事に移る。そこで終わりになるご縁も多い。  よって筆者の場合は、別の仕事に移ったあとも関わり続ければ、「続けた」ことになる。 筆者はNEDOのあと、通商産業省に新設された医療・福祉機器産業室に移った。 NEDOで2年と通産省で3年、合わせて5年間福祉用具に関わった。結果的に、共用品との縁はそこで終わらず、今にいたる。  続いた原因の第1は、5年経った時点では、普及という点ではまだ途上だったこと。第2は、E&Cでは「後藤さん」と呼んでくれたこと。 仕事で来ている人ではない、と受け入れてくれた感じがあった。日ごろ仕事だけの身には、個としての自分を見てくれているように思えた。他にも説明材料はある。 通産省の担当が終わると日本福祉大学の教員や日本生活支援工学会の活動が始まった、これで福祉用具への関わりが続いた─。 ただいずれも、終わりにしようと思えばできたことであり、説明しきれていない。  改めて考えると、目線が変わったことが原因かも知れない。福祉用具産業の「担当」の視点からは、普及、産業化、市場の拡大で、福祉用具法は一定の結果を出したかも知れない。 一方、産業界や利用者に近づき、制度もみる目線からは課題ばかりだ。福祉用具や共用品は十分活用され本来の力を発揮しているか、それを促すエビデンスは十分に提供できているか。  長く続けると仲間がふえて、その分野に詳しくなり、関わったことが形になることも増える、で、面白くなる。 だから続ける。ということでよいのか。それは自分の時間を「私」することにならないか。 世の中に、もっと強い加勢が必要なことはないか。最初の思想調整の際にフェードアウトまで展望したのは、そうしたことが念頭にあった。  それらはすべて今も変わらない。ただ、この分野はやるほど深くなる沼かも知れない。沼の底はまだ見えない。 6ページ シャンプー・ボディウォッシュ容器の工夫を続けながら  花王株式会社の社内には、会社創設時から続く「よきモノづくり」の理念が浸透している。 それは、シャンプーのキザミから字幕CMへと発展し継続していることでも分かる。 シャンプーのキザミ  1990年以前花王には、シャンプーとリンスを間違えるという声が年に十数件、届いていた。 同社は、プロジェクトを組み、盲学校に何度も足を運び、徹底した調査は、機能性に加えデザイン性も考慮したシャンプー容器の上部と側面にキザミを付ける工夫を産み出した。 実用新案を取得したが、その後放棄したのは、他社がリンス容器にキザミをつけ、流通や利用者が混乱することを避けるためだった。 この考えは、異業種他社の心も動かし、紙パック牛乳とジュース類、家庭用ラップとアルミホイル、缶アルコール飲料と清涼飲料等、目の不自由な人が、触って識別可能な包装が産まれるきっかけとなった。 報告会での問いかけ  花王がシャンプーの識別調査をしている同時期に、日本点字図書館と市民団体E&Cプロジェクトは、視覚障害者279名に「日常生活における不便さ調査」を行っていた。 「識別が困難な製品は?」での回答で最も多かったのがシャンプー・リンス容器の識別だった。その結果を、企業に伝える報告会には、10社の本部長クラスの人たちが参加した。 報告会の前半は調査結果の報告、後半は参加各社のシャンプー・リンスを区別する取り組みの情報共有の場となった。 点字シールの配布、容器の大きさを変えるなど、それぞれ有意義な工夫だったが、会社の枠を越えて共通して採用するには至っていなかった。 そんな中、花王で包装容器のデザインをされていた青木誠(あおきまこと)さんから、 「花王では、数年前より毎年、目の不自由なお客さまから、『シャンプーの前にリンスをしてしまった』といった声をいただいています。 そこで一年前からプロジェクトを組み、試作品を作って目の不自由な人、目が見える人にそれを試してもらいました。 その結果、花王のシャンプー容器の側面に、キザミを付けることにしました。 他社がリンス容器にキザミを付けると使う方が混乱すると思い実用新案に登録しましたが、権利は無償で公開することにしています。 ご賛同をいただけるのなら、シャンプー容器にキザミを付ける工夫を共有できればと」と発表された。 1991年、花王から発売されたキザミ付き第一号のシャンプー容器を皮切りに、牛乳石鹸、日本リーバがすぐに追従した。 その後このキザミは、日本産業規格(JIS)に採用されたことも大きく、今では日本で販売されるほぼすべてのシャンプー容器の側面に、付けられるに至っている。 ボディウォッシュへの広がり  それから20年以上経ち、当事者団体から「シャンプーのキザミは、目の不自由な自分たちにとって大変役立っている。 けれど、宿泊施設や公衆浴場には最近、シャンプー、リンスと、ボディウォッシュの三つの容器があり、どれも同じ形でリンスとボディウォッシュを識別することが困難である。 何とかならないだろうか?」という要望が届いた。さっそくメーカーの業界団体の日本化粧品工業連合会、購入する側の日本ホテル協会と日本旅館協会、 そして規格を作成・統括する機関が集まり討議し、ボディウォッシュ容器用に、触って識別できる識別記号を決め推進しようという結論が出た。 日本化粧品連絡工業会内に検討委員会が設けられ、花王から参加した木嵜日出郷(きざきひでさと)さんから、ライン状凸表示の案が出され、視覚に障害のある人たちに確認してもらい採用となった。 花王では2015年4月より「ビオレu」ボディウォッシュより順次導入され、その後各社からJISに掲載された通りのボディウォッシュが続々と発売されるに至っている。  これらの工夫は継続するだけでなく、詰め替え用やホテルなどの業務用、さらには片手で使用できる容器にも採用されていることを、 現在プロダクトデザインを担当されている平田智久(ひらたともひさ)さんに紹介していただいた。 テレビCMの字幕に広がる CMに字幕を  「よきモノづくり」には、よきモノを「伝える」が含まれている。 2011年に、社内で行われたユニバーサルデザインの勉強会の外部講師は、聴覚に障害のある松森果林(まつもりかりん)さんだった。 講演の中で、「どうしてCMには字幕がないのですか?」との投げかけがきっかけとなり、 翌日、字幕付きCMのプロジェクトが社内に立ち上がり、菊池雄介(きくちゆうすけ)さんなどのメンバーが実現にむけて活動を始めた。 「話者の名前を表記する」「表示位置を動かさない」などの字幕表記ルールを聴覚に障害のある方々の意見を聞きながら作成。 同時にテスト放送に向けて関係部署に協力を求めたところ協力をおしむ社員はいなかった。  しかし、放送局によっては、字幕付きCMの放送に必要な機器がない、複数社の提供番組では、字幕が他社CMにかかってしまう恐れがあるなど、課題が次から次へとあがってきた。 菊池さんたちの判断は、「やれるところからやっていく」だった。1社提供の番組枠から始めたところ、多くの好反響があり、他の広告主企業や放送局への働きかけも、前向きに受け取ってもらうことができた。 その結果、複数社の提供番組、地方の放送局でも、字幕付きCMに対応できるようになり、2022年10月からは、全国の放送局、全てのCM枠で字幕付き放送が可能になる予定である。  青木さんと盲学校でキザミのシャンプーを共に研究した伊東美樹(いとうみき)さんは現在、消費者部門で、障害のある人たちの声を受け止めることを続けている。  岩井浩美(いわいひろみ)さんは、社会貢献部で次の世代に繋げる役を担っている。 根幹にある企業理念を軸に時代と使う人に合わせて、応用問題を解くように繋がりながら「続ける」組織と人で、社会は支えられていると実感する。 星川安之 写真1:シャンプー容器のキザミ(左) 写真2:ライン状の凸表示の付いたボディウオッシュ容器 写真3:キザミを付けたホテルなどの業務用の容器 写真4:字幕付きCM 8ページ 続ける意味、~常に今がボトム~  共用品推進機構の理事の望月庸光さんは、1983年4月にオープンした東京ディズニーランド(TDL)の「ミート・ザ・ワールド」という 日本の歴史を伝えるアトラクションで、遣唐使役のオーディオアニマトロニクスフィギュアで登場している。  望月さんは大学卒業後、映画・テレビ「日本沈没」や怪獣映画の特殊撮影用の造形物作りの仕事についた。  東京の祐天寺で幼少時代をすごした望月さんは、近所に住宅が建てられる現場で、大工、左官屋、ペンキ屋さんなどがその場で木を切り、砂を混ぜ、色が塗られているのを見るのが好きだった。 切った木材の「余り」を譲り受けた望月さんと同級の友達は、船や飛行機を作っては、空き地や原っぱで遊んだ。 1メートルほどの「黒船」を作った時には、庭に大きな池がある裕福な友達の家に行き浮かべて遊んだりもした。 作る楽しさはその後も続き、特殊美術の仕事につながった。  仕事は特撮用の特殊美術で、美術監督が描いた絵コンテの意図に沿った模型やショーセットを作ることだった。 撮影日に合わせるために、作成現場に何日も泊まり込み、徹夜して完成させる。 ある時、嵐の海の中を走る船を完成させほっとすると、美術監督が「この船の窓、開けられるようにできないか?」と言ってきた。 望月さんは、「すさまじい荒れの海をいく船の窓を開けることはない!」と思ったが渋々窓を開閉できるようにした。 ベテランの美術監督の「万が一の時のその提案」は、いくら時間をかけ精魂込めて作ったモノでも「ここが最終ゴールではない」ことを、望月さんに教えてくれた。 プロレスとディズニー  1960年代の金曜夜8時から一時間、日本テレビでは、一週間おきに、プロレスとディズニーのアニメが放映されていた。望月さんは、初めてみたディズニーアニメに魅了された。  そんな望月さんが、特殊美術の仕事についてから7年目のある日、5年後にオープンするTDLの小さな社員募集記事が目にとまり、迷わず応募した。 一次、二次と試験は進み、最終面接で「その長髪と髭は切りますか?」との質問に、「入社が決まったら」と答えての合格。 幹部候補として入社したため、入社後すぐにアメリカのディズニーでの研修に一年間行った。 フロリダディズニーワールドでの研修中、夜中のアトラクションでネイティブアメリカンの血をつぐ現地スタッフから、貴重な話を聞くこともあった。 冒頭の遣唐使はその時に、人体測定をされたものである。 TDLのオープンベスト10  帰国後は、アトラクション建設やオーディオアニマトロニクスを担当し、1983年4月15日を迎えた。 創始者のウォルトディズニーのモットーは、「全てのゲスト(来園者)はVIP(Very Important Person)」、 現在、国連が目標としているSDGsの「誰一人取り残さない」は、半世紀以上前から同テーマパークの根幹になっている。 とは言っても、TDLがオープンしたと同時に、全ての人が全てのアトラクションやイベントに参加できたわけではなかった。 特に、障害のある人たちに楽しんでもらうためには、何が必要かは、当事者に聞かないとわからない。  望月さんが開園後、間もなく実施したのが、目の不自由な人たちにパーク内のアトラクションを体験してもらい、楽しかったもののベスト10を伝えてもらうことだった。 その時、一位のスペースマウンテンの次に多くの票を得たのが、グランドサーキットというゴーカートを運転するものだった。 生まれてこのかた、自動車の運転ができると思っていなかった人たちだが、右と左のタイヤの中央にレールがありコースから外れず、 前の車と接近すると減速したり止まったりする仕組みになっているため、生まれて初めての運転が楽しめたのだ。  ものごとを変える時、多くの場合、不便な点を確認し、その修正で終始することが多い。 しかし、その手法だと、「使えない」から「使える」までは変化させられるが、「使いやすい」にまでのヒントにはならないことが多い。 望月さんが編み出したこの分野のこの手法は、共用品推進機構が1991年から行ってきた「不便さ調査」に加え、2013年から始めた「良かったこと調査」に引き継がれている。 障害者割引なし  TDLは、1983年の開園当初より、2021年10月まで障害者割引を行っていない。 そもそも全てのゲストがVIPであるため、来園された方の中で、意図するアトラクションやイベントに参加できないことは、モットーに反することなのだ。  ベスト10の実施を皮切りに、さまざまな障害のある人たちにパークを体験してもらい、良かったことと共に不便さも聞き、通り一遍の修繕ではなく、さらに楽しめるように毎年、毎年変化させていっている。  ディズニーシーは、パークの中央が海になっている。毎日、時間になるとその海で、船に乗ったディズニーキャラクターたちがショーを演じる。 海の前には、ゲストが間違って落ちないように柵があるが、車椅子使用者にとっては、丁度、目の高さになり、前方が見えにくい。 そこでショーの間だけ、その柵を倒して、前方が見えるようにするのだが、「今から魔法をかけますので、目をつむってください」とスタッフが言った後に、柵を倒すので、 車椅子使用者が目を開けた時には、視界がひらけている。このような変化は、パーク内のいたるところに、さりげなく広がっている。 これも、最近言われはじめた障害のある人が社会やモノに合わせる「医学モデル」ではなく、モノや社会が障害のある人のニーズに合わせる「社会モデル」が、 言葉が生まれる以前から実践されているのである。 続ける  「今がボトム」は、望月さんからよく聞く言葉である。今回、望月さんに話をうかがってあらためてその言葉の元がわかったように思う。 それは、特撮の美術監督が彼に言った「この船の窓、開けられるようにできないか?」だ。人は、一つの作業が終わると、次の作業にかかる。 それは、自然なことであるが、作業が終わった時に、「ほんとうにこれでゴールか?」と自問する、それは常に「今がボトム」であることを自覚できないと、その自問はできない。 共生社会の実現は、この自問を続けることではないかと、望月さんと話していて強く思った次第である。 星川安之 写真1:遣唐使イメージ 写真2:ゴーカートイメージ 10ページ ユニバーサルシアター シネマ・チュプキ・タバタ(CINEMA Chupki TABATA)  東京都北区。JR田端駅から歩いて5分の商店街に、小さいが、手厚く温かいサービスでもてなす映画館「シネマ・チュプキ・タバタ」がある。 上映時間が近づくと、入口に人が並ぶ。映画館には見えないため、何の行列かと通りを歩く人が足を止める。 観る人を選ばない映画館  同館は、障害のある人も一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアターだ。常時、日本語字幕付きで上映している。 車椅子スペースはもちろんのこと、20席すべてに音声ガイド、イヤホンジャックを搭載。完全防音の鑑賞室は、子供が静かにしていられなくなったときに利用できる。 どれも障害のない人の邪魔にならず、観る人を選ばない映画館だ。  映画の音響は、最高級の設備を備えた。豊かな森にいるような「フォレストサウンド」で、360度の方向から音が届く。 取材の日は、上映前の注意事項を同館代表の平塚千穂子(ひらつかちほこ)氏が読み上げた。この低くてゆったりした声もまた、フォレストサウンドだ。  同館の母体は、「シティ・ライツ」という、視覚に障害のある人の映画鑑賞をサポートするボランティア団体。その団体で活動していた平塚氏の夢は、自分の小屋(映画館)を持つことだった。 そのために、クラウドファンディングや寄付を募り、多くの人の支援を求めた。そして2016年9月、ついに長年の夢をかなえた。 私、放牧しかしていません  長い間、バリアフリーの映画鑑賞に取り組んできた平塚氏に、「続ける」ための秘訣を聞いた。答えは「好きなことなら続けるでしょ? 私、放牧しかしていません」。 ルールを作ったり、スタッフを指導したりせず、一緒に活動する人が楽しいと思う気持ちを原動力にして、それぞれの人に任せてこれまで続けてきたという。確かに“放牧”だ。 田端の人たちとともに  この映画館を作るときに平塚氏は、商店街の人たちに、障害のある人が来るようになることを説明した。 すると、体が不自由になることは他人事ではないからと、映画館を歓迎してくれたという。  当時、商店街には客にも厳しく接する店主のいる飲食店があり、その店を視覚障害の人も利用するようになった。 しばらくすると店主は「12時の位置にコップがあります」などと、テーブルを時計に見立てて視覚障害の人に物の位置を教える「クロックポジション」を習得していたという。 どうやら、常連になった視覚障害の人に教わったようだ。「元々やさしい街が、もっと良くなったと感じる」と平塚氏。  映画館の取材のあと、商店街で蕎麦をいただき、映画館前の茶屋の抹茶ソフトクリームで締めた。 この店のご主人がぐるぐると回しながらクリームを積み上げる手が止まらない。 この街の人たちの愛情と一緒で、クリームも大盛りだった。 金丸淳子(かなまるじゅんこ) 写真1:シネマ・チュプキ・タバタ 写真2:平塚氏(左)と同館スタッフ 11ページ 快適な公共トイレ設計を提供し続けるということ 一般社団法人日本トイレ協会 会長 小林純子(こばやしじゅんこ) 1.トイレ設計をはじめたころ  日本の公共トイレが変わり始めたのは1985年くらいだといわれています。私は、それ以前は建築設計者でしたので当然トイレは設計していました。 公共トイレの設計に携わり始めたのは、1987年、瀬戸大橋建設時、新観光名所のトイレ「チャームステーション」の設計からです。新しい公衆トイレ出現を目的にしたプロジェクトでした。 当時、他のインフラは一応整備されていましたが、公衆トイレは、まだ未整備で、人々の認識は、(公共トイレの中でも公衆トイレは特に)4K(暗い・臭い・汚い・怖い)の場所でした。 設計に関しても、他建築物と比べると公衆トイレの資料や事例は、本当に少なかったのです。 2.設計・設計者だけでなく  本や資料に頼れない中で、実際に設計をするには、まず、その利用者がトイレの中で、どういう行動や行為を行っているか。 また、トイレの現状にどんな不都合を感じているかを知ることです。多く人々に意見を聞き設計に落とし込んでいきました。 「狭い」に関しては人体寸法を基準とし何が適正寸法か等。「臭い」の原因は何か、どう変更すればよいか。 「怖い」安全性の確保の設計のポイントは?「暗い」は照度だが、自然光をどう取り入れるか等々。  また、街の中で、本来人々はトイレ空間に何を求めているか。既成概念に捉われず考える中で、臭く怖い故に「一時も早く出たい」ではなく、 本来は、排泄して少し「ほっとし、元気になる快適なトイレ」を求めているのではないかと気付きました。 そして、そこは「持続して快適で、誰一人残すことなく提供されなければならない」と考えるようになりました。 3.提供し続けるとは  設計していくと、設計者だけでは解決しにくい問題の方が多いことに遭遇します。そこで、建築主、清掃者と共にトイレ定期会議をすることとしました。  ある事例では、供用開始時から、建築主や清掃者が一堂に会して、そのトイレのその後の使われ方と評価等を議論し、20年間記録し続けた経験があります。 みんなで「こと」に処していると、快適化の持続へ力が働くものです。トイレ内で想定外の問題が起っても根本的に解決できました。また、公共トイレの活動で表彰される経験もしました。 4.継続は力  その後も、公共トイレに取り組む時、様々な異業種の方々に知恵をお借りすると、解決の道が開けることを何度も経験してきました。 自分の分野もコツコツ、しかし、みんなともダイナミックに解決する方法を探すことを繰り返して、いつの間にか37年目に入っています。  続けることは、「対象の本当の姿を知る」に近づくことです。社会の価値観は変わっていきますが、どんな時にもうわべだけでの解決にしない力が「継続がもたらす力」なのではないかと思います。 写真1:JR タワーサッポロ パセオ 写真2:東武電鉄竹ノ塚駅客用トイレ 12ページ 共用品市場規模調査~最新調査結果と続ける意味と要件 日本能率協会総合研究所 凌竜也(しのぎたつや) 26年続く市場規模調査  市場規模調査は、1996年にスタートし定点調査として26年間継続させてきた。 ここでは最新の調査結果の紹介と共に、調査を続ける意味、今後も続ける要件等について述べる。 最新の調査結果 【全体傾向】  調査対象とした各品目の合計値にみる、2020年度の共用品市場規模金額は、3兆302億円と推計され、前年比で▲1.3%(402億円減)と、約6年ぶりの減少となったが、3兆円台は維持した。 大きな事業環境の変化となったコロナ感染症の拡大が、出荷額を大きく押し下げることも想定された中、その影響は全体金額で見る限り最小限にとどまった。 【今回調査のポイント】  ただし品目別にみると、少なからず影響を受けている状況がうかがえる。  まず全体出荷額の1/3以上を占めている「家庭電化機器(10,820億円:2.3%、222億円増)」は、出荷額を伸ばした。 コロナ禍での在宅時間の増加に伴う「巣ごもり需要」により、空気清浄機や調理器具等の品目が大きく伸びたのに加え、特別定額給付金の支給も追い風となった。 同様の背景で「映像機器(2,920億円:2・8%、80億円増)」も主力の薄型テレビで大型機器の台数が伸び、全体出荷額増となった。 「ビール・酒(4,942億円:▲1.7%、85億円減)」も、巣ごもり需要が追い風になったが、その好影響は(経済が停滞する中で)主にビール系飲料の中でも価格帯の安い「新ジャンル」や、 「ビール系以外の飲料」に及んだが、「ビール」は出荷額が落ち込んだ結果、全体では微減となった。その他「住宅設備(2,671億円:▲8.5%、247億円減)」は、 新設住宅着工戸数がコロナ禍の影響で前年度比で大幅に減少したことにより需要の先送りが起きたのに加え、営業活動の制約等の影響も受けた。 一方で「ガス機器(2,548億円:2.0%、50億円増)」においては、「住宅設備」と同様、新設住宅着工戸数減の影響も受けながらも、在宅時間の増加により調理機会が増えたことで出荷額を増やした。 続ける意味 【調査の意義から】  共用品市場規模調査の開始時に最初に検討委員会で議論したのは、調査実施の意義であり、これは次の3つに整理されて今なお意識されている。 ①市場規模の把握を通じた、共用品の社会全体の趨勢や課題の把握 ②産業界各分野に対して共用化配慮への関心を高め、特に共用品/共用サービスを開発しようとする各分野の事業者や自治体・行政に向けた基礎情報の提供 ③共用品/共用サービスに関する、社会一般に対する普及啓発に役立つ基礎情報の提供  この中で、①はそもそも継続を前提としていることを意味し、②や③においても、産業界の全ての供給者が、 多様な利用者の立場に配慮した製品を生み出し続ける状況にならない限り、意義が薄れることはないと思われる。 【定点調査機能の視点から】  定点調査は、よく健康診断に例えられる。同じ時期に同じ項目を調査(検査)することで、時系列の推移を把握し、特に変化があった場合に、その真因を探る手掛かりとする点が類似している。 その意味で市場規模調査は、共用品が出荷額の視点で、社会で存在感を持ち続けていることや、各品目の時代による変化等を確認し、これを社会に発信することで共用品の普及を後押ししてきた。 この機能は今後も求められると思われる。 【供給者の視点から】  共用品を生み出す側の視点からは、自らの事業領域における共用品の位置づけの確認、また新たな領域に踏み出す場合の、対象領域の基礎的な市場情報の一環、という意味付けが可能だ。 いずれの場合も、直近の数値や現在に至る趨勢、またこれに基づく将来展望の基礎となる点で、意義を見出すことができる。 【利用者の視点から】  利用者の最大の関心事は、おそらく自らにとって使いやすい製品が普及していることであり、共用品全体の出荷額の数値自体への関心は必ずしも高くないかもしれない。 しかしここ数年のコロナ禍に代表される、社会環境の大きな変化が、共用品を生み出す供給者にどのような影響を及ぼすのか (特に事業環境が厳しい場合にマイナスの影響はないのか等)については、大きな関心があるはずであり、ここに調査結果を発信し続ける意義が存在する。 今後も続けるための要件  このように各種の視点から「続ける意味」は列挙できるが、今後も続けるためにはいくつかの要件があると考える。  まず調査形式を時代に合わせていくことが求められている。 たとえば、これまで出荷額という企業にとって秘匿性の高い情報を扱うことを鑑み、郵送による配布・回収を原則としてきたが、 在宅勤務が普及し、回答担当者の方の出社率が減ったこと等により、調査票の配布に時間がかかるケースもある等、回答期間が延びる傾向にある。 メールやWEBでのやり取りを含め、調査実施の形式・時期等の見直しは欠かせない。また内容面では、定点調査として継続させる意味は残るものの、 品目選定や配慮点、また出荷額という指標の妥当性等も含め、新たな時代における、調査の意義の効果的な実現に向け、改めるべき課題は残されており、これも継続して検討していきたい。 写真:図表 金額推移グラフ(1995年~2020年) 14ページ 持続可能なユニバーサルデザインタクシー事業を目指して 宮園グループ採用教育室 鈴木邦友(すずきくにとも) 「ユニバーサルデザインタクシー」宮園グループでは今を遡ること40年以上も前からこのタクシーサービスをおこなっている。 決してここ数年の潮流にあやかってはじめた事業ではない。  その第一号の運行がはじまったのは1980年。当時の名称は「リフト付きタクシー」。 ユニバーサルデザインなる言葉すらめったに耳にすることのない時代で、宮園グループの本社がある地元自治体との契約による運行だった。 その翌年にはさらに近隣自治体とも契約を締結、やがて都内の多くの自治体との契約のもと、「リフト付きタクシー」の名称で運行をおこなうこととなった。 いわば現在普通に存在する個別福祉輸送や民間救急、民間医療搬送、そしてユニバーサルデザインタクシーの先駆けともなる事業だった。  当時この事業をはじめた頃は、当然専用の車両などなく、市販のワンボックス車を購入し、後部に荷物運搬用のリフトを取り付け、 車内に車いすやストレッチャーの固定装置を設置し、入り口に補助ステップを付けたり車内に手すりを張り巡らしたりした試行錯誤によるハンドメイド車両だった。  ちなみにそのデザインは、都内でお馴染みの緑に黄色のラインの東京無線カラーだった。  都内の自治体との契約による運行だったため、それぞれの車両はそれぞれの自治体が指定する利用者の移送に限られ、 現在のユニバーサルデザインタクシーがおこなう流し営業や駅待ち営業はしていなかった。 ただしこのようなサービスは今までどこにも存在していなかったことから、利用を希望する方々からの問い合わせが多く、宮園グループのコールセンターは日々電話対応で追われていた。 料金は乗車から降車までの特大タクシーメーターによるメーター制で、リーズナブルだったこともあり、利用が集中する時間帯には、予約が重なることなど日常茶飯事だった。 利用者同士で施設や病院から相乗りで帰ったなどということもしばしばあった。  車両の仕様や装備は現在のユニバーサルタクシーとは比べものにならないくらい充実していた。 宮園グループのリフト付きタクシーは、その名のとおり全車車いす用のリフト付き。また特殊な車いすや、 大きな車いす、電動車いすやリクライニング車いすなどにも対応していて、車いすの仕様や形状で乗車をお断りするようなことはなかった。 しかも車いすの固定台数は2台。さらにストレッチャーでの利用も可能で、二人体制でお部屋の寝具から病院の診察台までの搬送も対応していた。 もちろんお付き添いの方も2~3名乗ることができ、時に車いすやストレチャーのお客様の他に、入院用の大きな荷物やヘルパーさんの移動用の自転車まで積んで走ることもあった。  もちろん乗務員も福祉送迎や患者搬送の訓練を受けたベテランのみの構成で、一人体制では危険を伴う搬送の場合には2名以上の体制で対応することもあった。 医療行為を伴う搬送の場合には、看護師の同乗も可能だった。  ちなみにリフト付きタクシー、寝台車、民間救急車、福祉送迎車等全ての車両に対応できるドライバーを、ユニバーサル乗務員と称していた。  宮園グループのリフト付きタクシーは、名実ともに100点満点のスーパーユニバーサルデザインタクシーだったのだ。  一般タクシーにユニバーサルデザイン化が本格導入されはじめたのは2015年ごろ。 福祉輸送業界のみならずタクシー業界にもユニバーサルデザイン化の波が打ち寄せられはじめ、タクシー業界全体でタクシーのユニバーサルデザイン化が叫ばれるようになってきていた。  その礎を築いたのが、「標準仕様ユニバーサルデザインタクシーの認定制度」において2012年3月30日にその第一号に認定されたNV200バネット(ユニバーサルデザイン)タクシーだった。  それ以前にも一般タクシーの中にユニバーサルデザインタクシーがなかったわけではない。 宮園グループでも、セダンタイプではあったが、後部ドアーが大きく開き、後部左座席が回転して外側に向き、足腰の弱い方の乗車や車いすからの移乗が楽にできるタクシーを導入していた。 車いすごと乗車することはできなかったが、お客様から高い評価を得ていた。  NV200タクシーは当初ニューヨークのイエローキャブに採用され、その後わが国でもユニバーサルデザインタクシーのスタンダードとなった。 宮園グループでは、2013年にタクシー部でそのプロトタイプを導入、その後台数を増やすことになった。  NV200タクシーは宮園グループのリフト付きタクシー同様ワンボックス車をベースにしたもので、室内は広く、 後部ハッチが大きく開き、格納式のスロープで車いすのお客様はそのままスムーズに乗車ができた。 一般ユニバーサルデザインタクシーということもあり、メーカーのPR用パンフレットには車いすのままお客様を乗せるシーンのほか、 ベビーカーごと乗るシーンや自転車を載せるシーン、大量のスーツケースを載せるシーンなどが掲載されていた。 現在は販売中止になってしまったようだが、その機能・性能・品質の高さに、今も大切に使っている事業者は多い。  そして現在スタンダードになりつつあるのがJPN-タクシーだ。宮園グループでも保有タクシー全体の90%以上がこのJPN-タクシーになった。 そのうち我が国のタクシーの大半がこの車両になるだろうと言われている。  ユニバーサルデザイン機能を持ちながら、小型ミニバンがベースのためドライバーの負担が軽減され、セダン用の立体駐車場も使えるようになった。 またLPGのハイブリットのため燃費もよく環境性能も高いので、事業者にも優しい車両になっている。 さらにロンドンタクシーを彷彿させるデザインから一般利用者からの受けもいい。  もちろん乗務員をはじめ社員の採用においても、宮園グループでは多くの壁を取り払ってきた。  その一つが障がいを持つドライバーの積極採用。1975年からはじまった取り組みで、社内のバリアフリー化をはじめ、車両の改造によるユニバーサルデザイン化をおこなってきた。 また高齢者の採用や未経験者、新卒者の採用、さらに性的マイノリティー者の採用差別の廃止などにも取り組んでいる。 当然入社後もそれらの違いは一個性と位置付け、同一労働同一賃金の中で平等な待遇で仕事をしていただいている。  宮園グループは全ての人々に安全で快適な移動を提供している企業。私たちにとって、 ユニバーサルデザインやその活動は常態として存在するもので決して特別なものではない。  今までもそうであったように、これからもまた持続可能な活動としてつづけていくことになる。 写真:NV200バネットタクシー(写真上)、JPN-タクシー(同下) 16ページ 続ける 【事務局長だより】 星川安之  新型ウイルスの感染拡大で、今までの生活様式を続けることが困難もしくはできなくなりました。 それまで当たり前におこなっていた外出は、口には必ずマスクをかけ、公共機関を利用する前には入口で消毒し、人とは距離をとり、 普段会話する場面には、相手との間に透明板が設置され、少人数、小さな声でと、今までの推奨されてきた「実際に会って陽気に声を出して話し合う大切さ」は、自然と謳われなくなりました。  それに代わって中心に移動してきたのが「非接触」です。それまでごく一部で利用されていた「テレビ会議」が、名称を「オンライン会議」と変え、 通学、通勤をせずに、勤務する「テレワーク」という名称の非登校、非出社が推奨され、次のコマ(ドミノ牌)が倒れる位置に正確に置かれたドミノ倒しのように、 瞬く間に日本中に広がっていったと、書きたいところですが、実際はそうではありませんでした。  昨年度、共用品推進機構が、日本障害フォーラム(JDF)に協力いただき行った国内の障害のある人及び佐野竜平(さのりゅうへい)さん(法政大学教授)に協力いただき行った アジア15か国への「コロナ禍での生活ニーズ調査」から、「オンライン」、「テレワーク」を難なく使いこなしている人ばかりでなく、 アジアの国によっては、享受している人の方が少ないと推測される状況でした。  勉強、仕事以外では、コンサート、演劇、各種イベントなど、中止になったものも数多くありました。  そのような状況で、食堂やレストランも、店内での飲食は、中止や時間短縮など、多くの規制がかかりました。 店内での飲食が行えなくなったために、テイクアウトやオンラインでの注文に切り替え、並行して行う店も多くありました。 しかしここでも、店としての準備が追い付かず、営業を終えていった店も多くありました。 利用する側も、テレワークと同様に、ネット等の仕組みが、活用できる人とそうでない人に分かれてしまいました。  既に日本では、施設や交通機関に関するバリアフリーに関する法律が制定されており、コロナ禍以前は、障害のある人が使えるようになってきていました。 感染拡大されてくると、冒頭の感染予防が実施されましたが、想定外のこの状況は、障害のある人たちが、その予防が難なくできるかまでの考慮はされていない状況でした。 今回『インクル』の特集テーマ「続ける」は、コロナ禍という想定外の状況で、「続ける」とは何か、そのままの状況で「続ける」、変化させて「続ける」、 一度停止させてから「続ける」など、多様な「続ける」を考え、答えよという難易度の高い応用問題のようです。  この応用問題、人との繋がりは大丈夫か?、他人を心底大切に思えているか?を、出題者から突き付けられている…と思ったりもしています。 共用品通信 【共用品推進機構 会議】 理事・評議員・監事意見交換会(3月29日) 【委員会】 ISO/TC173/SC7/WG7 WD 6273規格作成委員会(3月11・22・29日、金丸) ISO/TC173/SC7/WG7 WD 6273規格作成委員会(4月7・19日、金丸) 【会議】 杉並区 差別解消法会議(3月14日、星川) 【講義・講演】 コミュニティふらっと成田(4月17日、星川) 日本トイレ協会(4月20日、星川) 自治医科大学(4月12日、星川) 日本福祉大学(5月21・22日、森川・星川) 【報道】 一橋ビジネスレビュー春号 論文 より多くの人が使える共用品へ 星川 Kodomoe4月号 だいすけお兄さんのパパシュギョー 白泉社 星川へのインタビュー 時事通信社 厚生福祉 3月1日 共生社会を目指した友 時事通信社 厚生福祉 3月11日 ハイヒール・フラミンゴ 時事通信社 厚生福祉 3月25日 劇団フライングステージ 日本ねじ研究協会誌 2月 共生社会を伝える玩具 トイジャーナル 4月号 劇団フライングステージ トイジャーナル 5月号 針金細工で60年 福祉介護テクノプラス 4月号 交わる場を作る竹虎 福祉介護テクノプラス 5月号 劇団フライングステージ 高齢者住宅新聞 3月9日 「伝わる」マスク 高齢者住宅新聞 4月20日 公衆電話 シルバー産業新聞 3月10日 スーパーの棚に並ぶもの シルバー産業新聞 5月10日 決めごとと色 アクセシブルデザインの総合情報誌 第138号 2022(令和4)年5月25日発行 "Incl." vol.23 no.138 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2022 隔月刊、奇数月25日に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:https://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 星川安之 事務局 森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、木原慶子、田窪友和 執筆 後藤芳一、小林純子、凌竜也、鈴木邦友、藤井克徳 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙 シャンプー・リンス・ボディウォッシュ容器 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。 その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。 上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。