インクル149号 2024(令和6)年3月25日号 特集:いろいろな講座 Contents 能登半島地震を「誰もが」を考えなおす起点に 2ページ 創業100周年を迎えて今、思うこと 4ページ 還暦の感激 デフ・ヴォイス 5ページ 子ども達と時間を共有する楽しさ~共用品授業・講座等を通して~ 6ページ チャーミングに話す 7ページ ユニバーサルデザイン~ひとにやさしいこころを持とう~ 8ページ 筑波大学インクルーシブ・リーダーズ・カレッジが目指す社会 9ページ 見えないことを子供たちに伝える講座 10ページ 視覚障害をとおして伝えたい「色とりどりの世界」 11ページ 「おかやまUDアンバサダー養成講座」について 12ページ キーワードで考える共用品講座 第139講 13ページ さわってたのしい落語絵本、ついに完成 14ページ 工夫で自由にそしてご機嫌に 15ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 2ページ 能登半島地震を「誰もが」を考えなおす起点に 石川県工業試験場 前川満良(まえかわみつよし) 1991年石川県工業試験場に勤務し、バリアフリーやユニバーサルデザインの研究開発に従事、1996年-2009年石川県リハビリテーションセンターを兼務しテクニカルエイドに従事、 色覚多様性配慮に関する研究で文部科学大臣表彰(研究部門)を受賞、現在に至る。  令和6年能登半島地震においてお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 また、多くの方々から、様々なご支援をいただいていることに感謝申し上げます。 能登半島地震の特徴  能登半島は南北に細長く、図1で分かるように細長い東京都がすっぽり収まる広さがあります。東京都と異なるのは三方が日本海に囲まれ、その大半が山間部であることです。 また、奥能登と言われる2市(珠洲、輪島)2町(能登、穴水)は高齢化率が高く、約半数が65歳以上です。さらに障害者手帳の所持者も平均より高く約6%(世帯数では約15%)になります。  そんな能登半島で元旦16時10分に発生した地震は、ほぼ全国の震度計を揺らしました。震源である能登半島は、海岸沿いや急峻な内陸を縫うように道路が整備されています。 その全域で大きな被害を受け、道路の啓開だけでも数か月を要する状況です。これまでの震災では、早い段階で被災地から約2時間圏内に拠点が設置できました。 しかし今回は、道路網が寸断されているため、一ヶ月後でも奥能登2市は全戸、七尾市でも約半数以上が断水。二ヶ月たった今も、大半でトイレが使えません。 上下水道が復旧しない状況では、支援する人も困難な環境になるため、多くは金沢を拠点に活動しています。人・モノの支援が大幅に制約される状況が続いています。 緊急情報のUD化  発災時の緊急情報は、誰もが、即座に受け取れることが命を救う第一歩になります。 しかし、東日本大震災では地震後に放送された大津波警報、津波警報、津波注意報を示す配色は、6つのキー放送局がすべて異なっていました。  この東日本大震災の数か月前、放送業界の方々が集まる場で、色のユニバーサルデザインについて発表する機会がありました。 それが起点となり、各放送局とカラーユニバーサルデザイン機構で様々な色の見え方の人に配慮した津波情報の配色について検討しました。 各局が集って作業することで、統一化された配色案ができました。それが東日本大震災の数週間前という微妙な時期でした。 結局、当時の緊急放送には間に合いませんでしたが、夏には全局が切り替わりました。 その後、大津波警報が出されることはなかったのですが、今回の地震で初めて出され、そしてすべての放送局が図2のように同じ配色で放送することができました。 筆者もそれを見て高台に逃げることになるとは、作成当時は思いもしていませんでしたが。  たった一つの情報ですが、緊急情報を誰もがという配慮で統一化されたという点では大きな意義がありました。 この配色は徐々に波及し、気象庁の防災気象情報や内閣府の大雨警戒レベルの配色の基本になりました。  他にも緊急地震速報は即座に分かるように専用の音(報知音)が設定されています。 テレビでは「チャイム音」、携帯電話では各社統一された「ブザー音」が鳴り響きます。 誰もが音で地震と認識し、音で伝わらない聴覚障害者は携帯電話の画面で通知内容が確認できます。  このように、誰もが、どこでも、即座に情報を得て、理解するためには、情報のUD化・統一化の重要性は極めて高くなっています。 汎用品の重要性  阪神淡路大震災の頃と今では生活様式も大きく変化しています。災害対応のための変化ではなく、生活様式の変化が災害時に有効になっています。  例えば、連絡手段の主役が固定電話から携帯電話に変わり、安否確認が容易になりました。 基地局も被災し、連絡ができないエリアもありましたが、家から避難できなかった人が携帯電話で救助を求め、助かっています。 固定電話では考えられないことです。発災情報と共に、一次避難所へ自力で逃げることが難しい高齢者、視覚障害者、肢体障害者にとっては、支援を求める手段として、携帯電話は生死を分ける重要な道具になりました。  益々、携帯電話などの情報機器のアクセシビリティー向上と機器操作習得の支援が重要であることを痛感しました。  教訓は活かされたが  阪神淡路、東日本、熊本と震災を重ねて得られた教訓により、そのときよりも格段に支援は良くなっています。 自衛隊だけでなく、阪神淡路大震災後に組織化されたDMAT(災害支援医療チーム)をはじめとした医療・福祉のチームや総務省応急対策職員派遣制度などの国と自治体間の支援連携などは、緊急期、応急期に欠くことのできない支援でした。 もし、この体制が整備されていなかったらと思うと言葉になりません。  命を守る緊急期の次フェーズである避難生活支援でも、これまでの避難所での課題に教訓が活かされていました。 飲食はもちろん、段ボールベッド、間仕切り、簡易トイレなどの住環境設備が迅速に供給され、多くの被災者が助かっています。 それでも、能登半島地震の特徴から生じる課題や以前より指摘されていた課題も残っていました。  在宅やサービスによって自立していた高齢者が多い地域であり、その様な高齢者は避難所では要配慮者に転じます。 障害者の比率が高い地域に、さらに要配慮者の比率が高まることになります。したがって、避難所の環境は建物や支援用具の双方に高い水準でのバリアフリー化が求められました。 とは言え施設側の改善は急場では限界があり、テクニカルエイドが必要な場面が多くありました。結果として、危険を承知で在宅避難を選択する人が多くなりました。 今後は、災害時用の設備や用具も、「誰もが使える」といった視点で、見つめなおすことの必要性を強く感じました。 今後に向けて  これまでの教訓から様々な支援策が講じられました。いずれも十分な働きをしています。 しかし、それ以上に苦難が多い能登半島地震です。それだけ、本稿では書ききれない課題が見えてきました。  今後、それぞれの専門分野の方々が分析し、対策を考えていただけると思います。 加えて、読者の皆様には、それぞれの立場で「自社の製品が、自社のサービスが被災時にどのように使われるか、役立つか、あと一工夫あれば使えるのでは」、という発想で見つめ直す起点になってくれればと思いますし、期待しています。 図1 石川県と東京都の地形比較 図2 統一化された津波情報の配色 4ページ 創業100周年を迎えて今、思うこと 株式会社タカラトミー 代表取締役会長 富山幹太郎(とみやまかんたろう)  関東大震災の爪痕も癒えぬ東京下町で、21歳を迎えたばかりの祖父 富山榮市郎(とみやまえいいちろう)が富山玩具製作所を創設してから、タカラトミーは今年創立百周年を迎えました。おもちゃの道を志した彼の視線の先には常に世界がありました。 当時の玩具界の絶対王者と言えばドイツでしたが、その美麗で堅牢なドイツ玩具に憧れ、いつの日かそれを超えてみせる、トミヤマのおもちゃで世界の市場をにぎわせてみせると、おもちゃ一筋に生きた生涯でした。 そしてその志を継いだのが父 富山允就(とみやままさなり)です。  彼は根っからの開発マンでした。旧制中学卒業の17歳で終戦を迎えた彼は、そこからおもちゃづくりを学び、同じ世代の若い技術者たちとともに、戦後流のおもちゃづくりに邁進していきました。 折しもゼンマイから電動へ、金属からプラスチックへとおもちゃの世界にも技術革新、素材革命の波が押し寄せてきた頃のことです。 そして、彼らが生み出すおもちゃの数々はその後「トミーマジック」と称され、世界中で驚きと称賛を持って迎えられ、当社の黄金期を築きました。  しかし1980年代に入ると円高の加速が止まらず、当時輸出依存型であった当社は黄金期から一転、厳しい状況を迎えます。 そして1985年のプラザ合意が決定打となり、会社の存続すら危ぶまれる最大の経営危機を迎えることとなりました。 成功の象徴であったアメリカ子会社の売却、大幅な合理化の実施、成し得るすべての手を尽くし、会社存続の道筋をつけた後、私は32歳で社長の座を引き継ぎました。1986年のことです。  一連の合理化計画を進める中で、私はある一つの決断を迫られました。それは障害者向け玩具の研究開発部署の存続についてです。 この部署は、創業者の「障害のある子もない子も楽しめるおもちゃづくりを」という遺訓をもとに作られたもので、その想いは大切に守りたいが、当時としては会社存続こそが優先されるべきで、障害者専用玩具にまで余力がないというのが正直なところでした。 そんな私にある若手部員が「撤退するなら二度とこの分野に入って来ないで下さい」と言い放ちました。 そして「専用玩具でなくても、ちょっとした配慮で誰もが共に遊べる玩具として開発を続けたい」と言ったのです。  こうして生まれた「共遊玩具」の取り組みは、国内外の玩具業界全体へと広がっていきました。 そしてこの活動は他業界からの共感も呼び、業界の枠を越えて市民団体E&Cプロジェクトへと繋がり、8年の活動を経て共用品推進機構が誕生しました。 あの時、彼の熱意を受け入れず、「共遊玩具」開発の道を閉ざしてしまっていたらと思うと、今さらながら冷や汗のにじむ思いをしています。  人を動かす、社会を動かす、時代を動かす、その原動力は何なのだろうか、と思うことがあります。 それはやはり、そのことが何よりも「好き」であること、そして「こうありたい」と強く希い行動することなのではないでしょうか。 祖父や父はおもちゃが好きで、自らのおもちゃで世界の市場をにぎわせたいと願い、障害者も遊べるおもちゃづくりを続けたいと願った若者は、小さな配慮点で共に遊べるおもちゃを生み出しました。 では私の願いは、と考えた時、それはきっと次代を担う子どもたちの健やかな成長を育む良質なおもちゃをこの先も提供し続けていきたいということなのだと、百周年を迎えた今改めて思っています。 写真:飛翔~次なる100年を目指して 5ページ 還暦の感激 デフ・ヴォイス (一社)全日本難聴者・中途失聴者団体連合会 小川光彦(おがわみつひこ) 栃木県出身。4歳時の薬害で聴覚機能低下。1990年から聴覚障害者活動。1995 ~2010年、聴覚障害者向け情報誌「いくおーる」編集部。 現在図書館管理企業VIAX社勤務。情報アクセシビリティが活動のテーマ。2022 年、デフ・アクターズコース1期生。  NHKドラマ「デフ・ヴォイス.法廷の手話通訳士.」で中途失聴の片貝俊明(かたがいとしあき)弁護士を演じました。自然な演技で良かった、というご意見が多く、うれしい限りです!  オガワは幼少時から難聴でしたが、ろう学校経験はありません。手話を覚えたのは28歳頃、難聴者団体に入ってからです。 以来、33年以上聴覚障害者運動に関わってきました。演劇経験はほとんどありません。2010年まで聴覚障害者向け総合情報誌「いくおーる」の編集長でした。 当時、木きむら村晴はるみ美さんや故・米よないやま内山明あきひろ宏さん等とのパイプがありました。  ドラマ出演は2022年5月頃、出演者コーディネーターの廣ひろかわ川麻あさこ子さんから打診を受けました。 当初はドラマ名・役名は伏せられ、「中途失聴者役」「発音できる人」を探しているという情報のみ。 ドラマ制作側が、当事者が出演することを望んでいると知り、オーディションに申し込みました。  数日後合格通知とともに、「デフ・ヴォイス」片貝弁護士役であると知り、驚きました!丸山正樹(まるやままさき)さんの小説「デフ・ヴォイス」は2011年7月刊行以来、現在も続く人気シリーズ。 ろう者の世界を背景にストーリーが展開。実在の人物、事件がモチーフのようで、興味深く愛読していました。まさかオガワが片貝弁護士を演じることになるとは。 おそらく聴覚活用を実践していることが評価されたのかなと思っています。  ちょうど出演が決まった少しあとのタイミングで、幸運にも手話で演劇指導する「デフ・アクターズコース」1期生募集がありました。 素人同然のオガワですが、まがりなりにも約2か月間、20コマの研修と、修了公演を通して演技・演劇について学べたのは自信になりました。  撮影スタッフとの初顔合わせでは、自己紹介用に全員が名前を書いた紙を用意してくれたり、簡単なあいさつの手話を覚えてくれたり。 感激しました!このときドラマで何を使うか、全て確認しました。衣装や小道具もドラマ用背広3着に、靴、靴下までそろっていました。 振動式腕時計、音声認識アプリを入れたスマホも。撮影イメージに合うメガネが使えるよう、コンタクトにしました。  このときの相談で、片貝弁護士の設定は「口話法(発声と読話)が中心の中途失聴者」「必要なときは日本語対応手話」「ろう者の手話は少しわかる」と決めました。 補聴器、無線マイクはオガワが普段使っているものを使うことになりました。ただしNHKの方針で、製品名や、はっきり製品がわかる画像は出せないとのこと。 ほとんど普段のオガワそのままの役柄で、大変助かりました。  中途失聴・難聴者考証の必要性についても相談し、知人に依頼することになりました。シナリオのチェック、法廷場面の現地チェックを担っていただきました。  このドラマには役名のあるろう者、中途失聴・難聴者が20名以上、エキストラも含めると50名以上出演していました。現場では共通の撮影スタートの合図を決めました。 合図に気づかない聴覚障害者がいるときは、合図を複数人で出したり、共演者が伝えてくれたり、ろう者同士でリレーして伝えたり、その場で化学反応のように様々な工夫が広がりました。  いろいろありましたが、終わったいま思うのは、僥倖であったということ。 当事者運動の継続、社会の理解の深化、環境を取り上げた原作の存在、演技訓練環境の整備、さまざまな要素がからんで実現した稀有なドラマであり、出演でした。 評価、戦々恐々としています。 写真:小川光彦氏/片貝俊明 役 6ページ 子ども達と時間を共有する楽しさ~共用品授業・講座等を通して~  共用品推進機構は設立当初から約20年以上、教育現場で共用品の授業や講座等(以降「授業等」)を行っている。 小学校では45分程度、中学校では50分程度を基準として、学校に応じて構成を幾分変更し、共用品の基本的な考え方や工夫された共用品の実物や写真・イラストなどを見せながら説明したり、場面に応じて対話したりする。  対話は質疑応答の一対一の形式が多いが、時に一人の質問を共有することもある。例えば、「目の見えない人が、スーパーで買い物をする時にどうしているのか。 見えないから欲しいものが探せないと思う」という質問に対して、子ども達はどう考えるか尋ねた時のことである。大人の立場からすると答えはたくさんあるだろう。 しかし、経験値の少ない子ども達が、この問いにどのように考えるのかとても興味深い。  ここでは小学4年生の授業の一部を紹介したい。 子どもはよく観察している A児「店員さんに頼めばいい。」 B児「目が見えないから、店員さん、見つけられないんじゃない?」 C児「店員さんから声をかけるといいと思う。」 D児「店員さんが案内しているのを見たことあるよ。」 E児「店員さんは忙しそう。いつも同じところにいないと思う。」 F児「入口のところに案内する机(カウンター)みたいなところもあるよ。そこにいけばいいかな。」 G児「ぼくは、どうしていいか分からない。」 H児「うちのお母さんが声をかけてたよ。」  子ども達は精一杯考えを捻り出す。ほとんどは自分自身が日常生活で観察したもので、本当によく見ているなと感心させられる。 一所懸命考えた答えはそれだけで素晴らしい  子ども達の中には、考えがまとまらなかったり、経験していないため想像ができなかったりすることもある。 また経験したからと言って必ずしも質問と結びつくわけではない。  「分からない」と答えてしまった子どもはバツの悪そうな表情をし、周りの子どもは苦笑いをすることもあるが、考えて出した答えが「分からない」ならそれも立派な回答だ。 そのことを伝えることも大切なことの一つだと思っている。 終わった後に「あのね」  授業が終わった後、発言しなかった子どもが自分の意見を伝えにくることがある。 その中には、授業の中で「分からない」と答えた子どももいる。その子どもが話した言葉は次のようなものだった。  「あのね、さっきさ、分からないって言ったんだけど、ぼくは困っている人を見たら声をかけようと思う。」  子どもの思いや心の動きを見逃さず、一期一会の機会を与えられていることに感謝して、今後も授業等を行っていきたい。 森川美和(もりかわみわ) 共用品の授業等の概要は、「共用品ニュース」にアクセスして、カテゴリーの「子ども」、「講義・講演」からご覧いただけます。 共用品ニュース https://www.kyoyohin.org/blog/ 写真:共用品ニュースの「子ども」のページ例 7ページ チャーミングに話す 株式会社スコップ 代表 山名清隆(やまなきよたか) 1960年菊川市生まれ。共用品推進機構スタート時の活動メンバーで、インクル誌名称考案者。2004年から日本愛妻家協会を主宰。愛妻家の保護育成に努めている。 自由な大人  かつて関西の大学で初めての講義を終えた直後、ひとりの学生が「そんな自由な大人でいいですか?」と嬉しそうに語りかけてきたことが強く印象に残っています。  その後「自由な大人」は、僕のトークの土台になりました。 チャーミングにやる  安宅和人(あたかかずと)さんの著書シン・ニホンの中で、AI時代の人材で最も大切なのは何よりチャーミングさだという一説があります。 どんな専門知識より最後はその人のチャーミングさがイノベーションを起こす鍵になるというのです。驚きましたが妙にホッとした感もありました。 それ以来フォーラムでも会議でも人前でリードする時は、チャーミングさを意識してやるようにしています。 グルーヴ感  名もなき人が主体的に世の中にコミットすれば世界は変わるはずだ。というのが僕のメッセージです。  そこで講義も意図的に型破りな方法に挑みます。音楽を掛けながら登場する。いきなりイスの並びを変える。途中で生中継を入れる。外に飛び出す。罠にかける。など思いついたら色々やります。 うまくいくと躍動感と一体感が出てグルーヴのある講義になります。講義空間を対話空間に変化させる実験をします。 創意を高める  そうした工夫は受講者のモチベーションと創意を高めることが狙いです。やる気が出た。ワクワクする。何かを始めたくてウズウズする。そういう反応です。 創意とは創造する意欲のこと。合意ではなく、自分の中に湧き上がる創造の意欲。受講者の中にアイディアの畑ができることを意織しています。 スープをつくろう  リラックスしたミーティングでは「この空間を満たす美味しいスープを一緒に作ろう!」と話を始めます。個人が心地よくアイディアを出せる雰囲気を作ります。 出汁が出てグツグツ煮込めば混じり合って美味くなる。話を聞いたら言葉にする。未完成のアイディアのほうがいい。混じれば絶対美味くなる。そういう実験をいまからやろうと呼びかけます。 スライドの作り方  インパクトあるスライドの作り方について5つのポイントに整理しています。 ①スライド一枚に写真は一枚 画面に何枚も写真を配置してはいけない。キャプションは大きく短く。 ②自分の写真を使え 自分の写真をトリミングして使え。キャラ化した自分の写真を用意せよ。 ③人の表情写真を主役に 人の笑顔と姿で躍動感を醸せ。 ④言いたいことは先に言え 時系列を追うな。どう感じて、何をしたいかをズバリ言え。 ⑤おもしろがれ 伝えることを面白がれ。面白いことをやっている自分を面白がって作れ。  きょう今ここにいることを一番喜んでいる人になる。偶然がそこに立ち現れることを楽しむ人になる。 そして誰よりも無防備になる。そうするとチャーミングにやれます。 写真:チャーミングな星川さんと 8ページ ユニバーサルデザイン~ひとにやさしいこころを持とう~ 西日本工業大学 客員教授・博士(人間環境デザイン学)・(福)苅田町社会福祉協議会 会長 竜口隆三(たつぐちりゅうぞう) 東陶機器(株)(現TOTO)セールスエンジニア・UD研究所(1969年4月~2006年3月)、西日本工業大学 教授(2006年4月~2016年3月)、 西日本工業大学 客員教授(2016年4月~現在)、(福)苅田町社会福祉協議会 会長(2023年6月~現在)。  私はユニバーサルデザイン(UD)の教育を行う中で、子どもたちの「こころの教育」に取り組みたいと常々考えている。  2004年国交省の企画で、デンマーク「UD探検ツアー」に参加した時の体験が切っ掛けだ。  ツアーの中で、私は車いす使用者が利用するトイレの調査を担当したが、大便器の両サイドにゆらゆらする跳ね上げ手すりが設置されているだけだった。 コペンハーゲン市役所を訪問し、あの様な手すりの仕様で障害のある方が安心安全に利用できるのか確認したところ、「今まで問題になったことはない」と言う。  数日後の朝、コペンハーゲン市内の公園トイレに向かう車いす使用者を見かけた。向いから来る出勤途中と思われる青年と一言二言会話を交わし、一緒にトイレブースに入って行った。 青年は出て来たが立ち去ろうとはせず、ドアの所で待っている。暫くすると再びトイレブースに入って行き、今度は車いす使用者と青年が一緒にトイレブースから出て来た。 出勤途中と思われる青年が、車いすから大便器への移乗行為を手伝ったのだ。日本ではまず有り得ない。私は「負けた」と思った。  その後いろいろ調べて、デンマークをはじめヨーロッパの国々には、「フォルケホイスコーレ(国民学校)」というものがあり、6ヶ月間とか1年間、障害者と健常者が寄宿舎に入って一緒に生活しながら学ぶと知った。 生活の中で障害を持った方へのサポートが自然にできるようになる。トイレのサポートも然りである。日本国内でも子どもたちはいろんなことを学ぶが、このような「こころの教育」を行う場は殆どない。  現在私は社会福祉協議会の一員として小中学生を対象に「福祉教育」を担当しているが、最後のパートで「ひとにやさしいこころを持とう」と語り掛けている。 例えば、スーパーマーケットやコンビニの出入口の手動のドアを開けて取っ手から手を離す時に、後ろで何が起ころうとしているか?ちょっと振り返って見て欲しい。 お年寄りや小さな子の手を引いた母親がついて来ていたら、「ドアを開けたまま待ってあげる」その気持ちが大切だと。 お婆さんがお礼を言ってくれたら、皆さんは「次はお婆ちゃんもドアを開けて待ってあげてね」と目で訴えて欲しい。 やさしいこころが地域に浸透すると「この町の人ってやさしいね」という評価が高まり、UD的こころの町になるだろう。  私のUD講座では、小学4年生対象の場合「使いやすいモノづくり」について話し、子どもたちが興味を持つように文房具や身近にある商品を取り上げている。 小学高学年や中学生には「困っている人たちをサポートしよう」というテーマで話をする。 妊婦さんや高齢者へのこころ配りは勿論、車いす使用者・視覚障害者・聴覚障害者へのサポートのポイントについて具体的に説明する。 それぞれ困っている人への配慮の説明の中に、「ディズニーランド&シー」のこころ配りも加えている。ディズニーに行ったことがある子どもたちが多く、目が爛々と輝いてくる。  小学生の「福祉教育」を実施すると、受講した全生徒から感想文が届く。 その中に「お母さんにUDを教えてあげたら、とても喜んでくれたのでもっとUDを勉強したい」とか 「今度ジュースを買う時はUD配慮の飲料自動販売機を探して買いたい」等と書かれることが多く、私の話が子どもたちに伝わったのだと本当に嬉しく感じる。 写真:竜口隆三氏 9ページ 筑波大学インクルーシブ・リーダーズ・カレッジが目指す社会 筑波大学 河野禎之(かわのよしゆき)  DEI総研 伊藤義博(いとうよしひろ) 筑波大学インクルーシブ・リーダーズ・カレッジとは  筑波大学インクルーシブ・リーダーズ・カレッジ(以下、ILC)は、筑波大学が2018年から開講している、日本で初めてDE&I(ダイバーシティ・エクイティ・インクルージョン)に特化した社会人向けのリカレント教育プログラムです。 DE&Iというと、「ダイバーシティ」や「多様性」という言葉のほか、「女性活躍」や「障害者雇用」といった言葉を思い浮かべるかもしれません。 しかし、DE&Iが扱う分野は多岐に渡ります。たとえば「性的マイノリティ」や「多文化共生」、「世代」などがあります。  これらはマイノリティとマジョリティを巡る構造的な問題が共通することがほとんどですが、そのことを横断的に学ぶ機会はほとんどありません。 また、DE&Iを推進することは、特定のマイノリティを支援することだと考えられやすい側面もあります。しかし、DE&I推進の価値は決してそれだけではありません。 ILCでは、こうしたDE&Iを巡る課題や価値を横断的・多角的に捉えることを目指しています。 インクルーシブな商品・サービス開発とは  ILCの受講者は企業や団体の多様性推進担当者、福祉関係者、キャリアコンサルタント、何となくダイバーシティに関心のある人など様々です。 そこでDE&Iの多岐に渡る知識については、筑波大だけでなく東大、上智大などと連携し最先端の学術研究を提供しています。 一方で当事者や一般の消費者が直接触れる商品や体験するサービスについては、実業分野の現場で活躍する講師に「ナマの話」を披露してもらっています。 最近では共用品推進機構、ダイアローグインザダーク、アミューズメントパークの方に講義をお願いしました。 そこでは、顧客の多様性の捉え方、商品や施設、サービスを開発する上での哲学や手法、これまでとは異なるマーケティングの鍵となるワードの発見など多くの示唆に富んだものとなっています。 こうした実践知については商品・サービス開発だけでなく、人事・人材、コレクティブインパクト領域の広く第一線で活躍する識者の講義を提供しています。 受講者がそれぞれの職場やコミュニティですぐにでも活用可能なノウハウやネットワークの構築を意識した構成になっています。  全ての人が生きやすい社会を目指すDE&Iにおいて唯一の正解はないかも知れませんが、受講者同士のディスカッションや思索の機会を増やし、真のインクルーシブなリーダーのあり方を追求しています。 写真1:ILCキービジュアル 写真2:受講生や修了生によるギャザリングの様子 10ページ 見えないことを子供たちに伝える講座 箏曲家 河相富陽(かあいふよう)(河相富貴子〈かあいふきこ〉) 東京教育大学附属盲学校音楽科卒業。67年富陽会を設立。72~73年NHK邦楽オーディションに合格、77年アメリカ西海岸へ演奏旅行。 富陽会10周年演奏会。82年東京交響楽団と共演。2002年より邦楽教室「倭音(わおん)」を主宰し現在に至る。  最近、小学4年生の子供たちは、総合の時間で福祉関係、特に障害者について勉強するようです。そこで私たちは、視覚障害者の立場で、どのように生活しているかをお話に行きます。 人によって話の内容が違っているとは思いますが、私は朝から夜までをどのように過ごしているかを話すことにしています。  朝起きたら、皆さんと同じように顔を洗い、朝食の支度をします。料理も自分ですることをアピールするため、私は大根を一節もっていき、みんなの前で千切りをして見てもらいます。 次に掃除や洗濯をして、出かける日は、カバンの中を確認します。一つ一つ見てもらいながら携帯での電話やメールの仕方、財布の中の紙幣やコインの見分け方を説明します。 子供たちは、音声に驚いて興味津々です。時計は声で知らせてくれるものもありますが、会議中などに時間を知りたいことがあるので、私はこういう時計を使っていますと腕にはめている時計の蓋を開けて指で触り使い方を見てもらいます。 洋服については、ワンピースはコーディネートを考えなくていいけれど、上下を合わせなければいけないときは、1本のハンガーにセットでかけておいて、その日の天気や温度を考えて、厚手か薄手かを決めていることを話します。  外出のときは、白杖1本で歩くため、耳や鼻を精一杯使って、音や匂い、路地を吹き抜ける風を感じて、歩く場所を判断しながら行動していることを話します。 電車や道などでの危険なこと、注意していてもぶつかったり転んだり生傷が絶えないことも伝えて、困っている人がいたらちょっとだけ手を貸してほしいとお願いします。  このように説明をして、子供たちからの質問タイムに入ります。いつ頃見えなくなったの?困ることは?工夫していることは?楽しいことは?悲しかったことは?これまでに一番怖いと思ったことは?などなど。 困るのは、急ぎの郵便物やファックスを処理しきれないこと、衣類のピンポイントの汚れの洗濯。 工夫しているのは、宅配や郵便を手渡されたらどこから来たものかを配達の方に教えてもらうこと、見える人が来たときに見てほしいものを忘れないようにすることなど、いろいろです。 返事に困るのは、どんなふうにお風呂に入るか、家の中の場所はどうやってわかるのかという質問です。慣れることで解決するし、お風呂は、皆さんと同じように入っています。 なんて言ったらよいかなあと笑いながら答えていますが、何もできないと思われているのかなと苦笑してしまいます。  学校を訪問するとき、点字を紹介するのに、子供たち一人一人の名刺を作ってプレゼントしています。書き方と読み方の一覧表を添えて、後で確認してみてねと言いながら渡しますが、子供たちはとても喜んでくれているようです。 いつも時間が足りず、もう少し話せたらいろいろなことがわかってもらえるのにと思いながら授業が終わります。  皆さんから「目が見えなくてかわいそう!」と言われることがありますが、私たちは、自分をかわいそうだと思っている人は少なくて、何もかも人任せではなく、努力して、自分でできることは自分でしようと心がけている人が多いと思います。 たしかに見えていたらなあと思うことはたくさんあって、不便さを感じています。だから不便なところをちょっとサポートしてもらえたらとても快適な生活がおくれるのではないかと思うのです。 そんな時、『ちょっとサポートしてもらえると嬉しいな』と話して授業を終えます。  話をする度に、子供たちにどれだけ理解してもらえるだろうか、どんなふうに話せばよりよくわかってもらえるのだろうかと自問自答の今日この頃です。 11ページ 視覚障害をとおして伝えたい「色とりどりの世界」 杉並区障害者地域相談支援センター高井戸 ピア相談員 佐藤一人(さとうかずと) 山形県出身。平成元年39才の時にベーチェット病と判明。その後、右足がステロイド性大腿骨頭壊死によりクラッチ杖利用。 視野と下肢障害で身体障害者手帳を取り、視覚障害の機能訓練の間にピアカウンセリング講座を受講していたことが縁で、現在の職場に。  2021年の秋から、私たちは杉並区内のボランティアセンターや学校を中心に、目が見えない・見えづらい人たちのことを知ってもらうためのお話や体験会活動をしています。  見えない、見えづらい視覚に障害がある当事者の私たちが、学校などに伺う時は必ず事前の打ち合わせと意見交換を行って2~3人のチームで行くのが持ち味です。  「視覚障害」と言ってもその状況や人柄は色とりどりです。  幼い頃に視力を失い視覚記憶がほとんどない人、徐々に見えなくなってきた人や短期間に見えなくなった方など、それまでの視覚記憶を持っている人も、皆さん当然のように価値観や考え方は違います。  目の見え方も、全く見えない人、視界の周辺部は見えるけれど中心部が見えない人またその逆の人など、視覚の状態によって、困りごとも様々です。  電車で通勤されてる方、仕事を引退された人、子育て真っ最中の人など生活のスタイルや状況も違います。  「見えなくてもお料理を楽しんでいます」と言ったり、「私は料理は苦手だけど趣味の陶芸でお皿を作っちゃいました」と言って作品をお見せしたり、 スキーを楽しんでいる動画を見てもらったり、勝手に生徒さんに私たちの困りごとを想像してもらう宿題を出しちゃったりしたこともありました。  このように、視覚障害と言っても生活スタイルや娯楽や趣味など、様々な世界があることをお伝えしたいという思いで活動しています。  話を聞いてくださった方からは、「ご飯を食べるときはどんな風にしていますか?」「メイクはどんな風にやっていますか?」など、たくさん質問をいただきます。 遠慮なく聞いてもらえることで、見える人・見えない人お互いの距離が近づく気がするのでとても嬉しい瞬間です。 文字拡大ツールや、音声読み上げソフトを使用しながらスマホやパソコンを使っていることをお話しすると驚かれ、そして「私たちと同じなんだね」と知っていただけることもありました。  少し違うところもあるけれど、同じところもあると知るのは、障害のある無し問わず大切です。  今年度は小学4年生全員に点字を教え、名前を書いてもらうという学習の機会がありました。 初めて点字に触れて、実際に書いてみた子供たちにとって、それは「未知の存在」から「より身近な存在」に変わりました。  最初は「幼い子供たちには点字の書きは少し難しいかな?」と思っていたのですが、子供たちの飲み込みと吸収の速さに感動しました。 このような体験をとおして、私自身、人の持つ可能性や素晴らしさに改めて気づかされました。  「見えない人を誘導する体験」をしていただいたことで、ガイドヘルパーの資格を取ってくださった方もいらっしゃいました。 私たちのことを身近に感じ、具体的に手を貸してくださる行動に繋げてくださったことが本当に嬉しかったです。  人は自分と違う存在を警戒するという傾向があります。でも、本当はみんなそれぞれ違うところがあって、だからこそ「同じ」なのではないでしょうか。 色とりどりの世界は一つなのです。その中でお互いを理解し、支えあえる世の中がもっと広がって行けばいいなと思います。 そんなことを目の見えない私たちをとおして感じ、考えていただけたら幸いです。 写真:北田さんと山城さんの手引き 12ページ 「おかやまUDアンバサダー養成講座」について 特定非営利活動法人まちづくり推進機構岡山 代表理事 德田恭子(とくだきょうこ) 岡山県生まれ。2004年NPO法人まちづくり推進機構岡山設立後、地域の課題解決のまちづくりワークショップのファシリテーター、ユニバーサルデザインの普及啓発活動に取り組む。 「何かお手伝いをしましょうか?」  街中で何か少しでも困った人を見かけたとき、誰もが自然にこの一言をかけることができる社会。障害があるなしにかかわらず、皆が暮らしやすい社会とはそういう社会です。  岡山県では「おかやまUDアンバサダー」を育成するための連続養成講座を平成31年度から開始し、令和5年度で5年目を迎えました。 「おかやまUDアンバサダー」(以下アンバサダー)とはユニバーサルデザイン(以下UD)の考え方を広く県民に伝える「魅力発信大使」です。  アンバサダーになるためには登録が必要になります。登録に必要な条件は、10回ほどの養成講座のうち、基礎講座を2回、応用講座を1回受講すること。 その上で登録するか否かは個人の任意です。講座は毎年開催しています。また、アンバサダー登録は毎年更新する必要があります。 アンバサダー登録を開始したのは、養成講座を開設した翌年の令和2年ですが、初年度は20名、そして次年度31名、さらに72名、69名と増える傾向です。 令和6年度登録資格者は現在105名です。  養成講座の開設にあたっては、講師の選定や会場についてなど、かなりの苦労がありましたが、これまで当NPOの活動で知りえたUDの専門家の先生から多くのアドバイスをいただき、スタートすることができました。  内容に関しても試行錯誤を重ね、UDとは何かといった基礎的なことを学ぶ回から、車イス体験、視覚障害者体験など疑似体験をする回を設けたり、また同じ内容を岡山市内と市外でも行うなど、県民がより参加しやすい状況を構築しました。  しかし令和2年度、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、対面での講座の実施はリスクが高いと判断、すぐにオンラインでの開催を検討しましたが、ネット環境のない方のことも考え、ハイブリッド開催にすることを決めました。  慣れないオンラインでの講座開催に当初は苦労もありましたし、対面講座ではないことへの不安もありましたが、 会場に足を運ぶことが困難な方や県外の方からの参加申し込みを多数いただくようになり、逆に、従来の方式にこそ垣根があったことを気づかされました。 まさにオンライン(ハイブリッド)開催はUDです。誰もがどこからでも学びたい時、学べる環境があることはうれしいことです。  また、養成講座を受講してアンバサダーになることがゴールではなく、よいアンバサダーとは何かを常に模索しつづけていただくために、 最近では、登録された方々の意見交換や情報共有の場としての「円卓会議」も年3回開催しています。  アンバサダーの方々からは、「たとえば視覚障害者の方が街中で困っていたら、まずは自分が率先して真っ先にすっと声をかける、 そんな小さなアクションを周りに広めていくことも、アンバサダーの役割の一つであることを常に心がけたい」といった声が聞かれます。 アンバサダーの皆さんを通じて、県内にじわじわと、暮らしやすい社会の実現に向けた意識が広まっていることを願っています。 写真1:「それぞれの立場から」の回の様子 写真2:【基礎講座】R5.UDチラシ 13ページ キーワードで考える共用品講座 第139講「共用品の講座」 日本福祉大学 客員教授・共用品研究所 所長 後藤芳一(ごとうよしかず) 1.講義と講座(その1:送り手の視点から)  人に向けて話す方法で対照的なのは講演と講義だ。講演は大勢が相手で、テーマは自由だ。講義が扱うのは学術であり相手は少数や1人のこともある。 講演は情報や主張を伝え、講義は法則や学説の理解と修得を目的とする。  一方、講座(セミナも同義)は、形式は講義に近い。講義として成立するには分野としての体系と深さが要る(大学では15回の講義に見合う質・量が必要)。 さらに、理論的な体系(例:○○学)があってその一部を担う。講座は限られた内容を扱うため、講義から部分を切り出した内容になる。 2.講義と講座(その2:受講者の視点から)  講義(例:大学)に求めるのは理論や概念、知の枠組の修得であり、事例はそれを助ける手段である。 論理で知を深める姿勢を身につけると、課題が変化・複雑化しても応用が効く。普遍性をもち半減期の長い知である。  一方、講座は目的をもとに選別して受講する。受講目的が明確で即効・具体の効果を求めるので、「なぜか」より情報である。 講義を総合(例:フルコース)とすれば講座は単科(例:アラカルト)だ。 3.不便さをめぐる講座  暮らしの不便さについてはどうか。共用品推進機構や私事の経験をもとにみよう。 ①講座の例  機構から学校や市民向けに出講することで共用品の基本的な情報を伝えている。「アクセシブル・デザイン・フォーラム」は業界横断で情報共有する場だ。 本稿(1999年~現在)も「講座」であり、毎号の主題に対応するキーワードを整理している。共用品研究所による「『論文スキルを学ぶ』講座」(2019年度)は研究者の育成をめざした。 ②講座+アルファの例  1の定義では「講義」に届かないものの、「講座の先」に続く試みもある。 日本福祉大学大学院「バリアフリー社会と新産業創造」(1999年度~現在)や 早稲田大学「ニーズ型社会と新産業創出」(2006~23年度)は社会課題を新産業創出で解く試みであり、共用品は先例の位置づけである。 経済産業研究所BBLセミナー「共用品という思想」(2011年)は、経済学の研究者や政策立案者と共用品の意義を論じた。 大阪大学基礎セミナー「共用品という思想」(2011―12年度)は、大学の新入生に地域の高校生も受け入れてリベラルアーツへの導入を行った。 これらは星川安之さんとともに「共用品という思想」(岩波書店、2011年)をもとに行った。  理論的な整理をしておくことで「その先」を論じられる。 東京大学工学部講義「工学倫理」のうち「企業活動と倫理―社会を変える視点―」(2013年度)では、日本発の先例として共用品を取り上げた(今も視聴できる) (https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_1220/)。 4.「講座」の先へ  共用品の普及は0から1を創る仕事だった。手探りで効果を確認し、社会の理解を得る必要があった。分かりやすさが必要であり、初期は特に現場の工夫が主導した。 こうした背景から、共用品の発信は事例をもとにした「講座」を中心に行われている。  ただ、そのことが、共用品は実践の知にとどまるということを意味するものではない。 「共用品という思想」の書名に「思想」が入ったのは、出版社編集者の「お宅らのしてきたことは『思想』ではないか」という指摘による。 共用品のアプローチは不便さにとどまらず人権、差別、多様性など他の社会課題にも活用できる可能性がある。社会を広く変革することに寄与する普遍性だ。 それには、裏付けとなる理論と実証、学術的研究が要る。それができた頃には講座の先の「講義」が成立する。  ところで「講座」には、教員とその元で論文研究する学生のグループ(ゼミも同義)という意味もある。 教育と研究を通じて専門人材を再生産し、高いレベルで取組みを持続させる知の拠点だ。他の分野はそれをしている。共用品には課題として残されている。 14ページ さわってたのしい落語絵本、ついに完成 一般社団法人落語ユニバーサルデザイン化推進協会 代表理事・落語家 春風亭昇吉(しゅんぷうていしょうきち)  私が20年来あたためてきた、触って楽しい落語の絵本「ユニバーサルデザイン落語絵本」が、ついに完成します。 空想していただけの、いままで世の中に無かったものが創造され、4月に発行されます。お力を貸していただいた、多くの方々に感謝、感謝です。 演目は「まんじゅうこわい」。中国の古い笑話集にも載っている古典中の古典です。点字と触図、3Dプリントで落語の世界をより深く楽しめるものになっています。  目の不自由な方々だけでなく、晴眼者もいっしょに楽しめて、共生社会の入口になるような本にしたいと思ってきました。触図は日本点字図書館の方々に協力していただきました。 どうすれば、だれもが楽しめるものになるのか、検討を重ねてきました。いい加減なものは絶対に作りたくなかったので、細部までこだわりました。  それは私にとって、未知の発見の連続でした。例えば、鳥のカラス。晴眼者は普通の絵を瞬時に認識できますが、視覚に障害のある方は、触図をさわり、部分をスキャンして全体を認知します。 実際に私も触ってみて気づきましたが、脚があって、翼があって、くちばしがあるという、鳥っぽいことはわかっても、それがカラスであることを理解するのは非常に難しいのです。 そのため、触図には絵とは異なるデザインの工夫を凝らしています。  私は言葉による物語の流れと、触図や3Dプリントなど全体を監修しました。 日本点字図書館の嶋川久仁子(しまかわくにこ)さんには、触図の触感を当事者の方を交えて修正していただき、最後の最後まで、印刷会社と調整して、大変に骨を折っていただきました。 印刷会社の白山印刷様にも触図の厚盛印刷の高さをミリ単位で調節していただくなど特別なご協力をいただきました。  そもそも世の中にさわる絵本が少ない中で、分厚すぎず、ちゃんと感じ取れるように触図を調整するのは関係者一同が初の試みでした。 実際に、印刷工場の見学に伺いましたが、最新鋭の、日本に数台しかないという貴重な機器を使われていました。実際に触っていただければその技術力の高さを体感していただけると思います。  今回の絵本の巻末には3Dプリントのデータを掲載しています。絵本に、このようなデータが付いていることは珍しいことだと思います。 盲学校や、点字図書館には3Dプリンターがあることが多いそうです。触図に、こうした立体物を加えれば、さらに理解がしやすいと思います。 また、江戸時代の長屋の構造などは、大人でもよくわかっていない人が多いと思います。立体的に再現することは、誰にとっても意味のあることです。 3Dプリントは、筑波大学附属盲学校の元教員である大おおうち内進すすむ先生や、海城中学高等学校模型部の皆さんにご尽力をいただきました。  今後は、全国の盲学校と点字図書館に、出来立てほやほやの絵本を寄贈します。合同出版様には各方面に動いていただき、一般販売もすることになっています。 全国各地に落語家を派遣して、たくさんの方に生の落語にも触れてほしいと思っています。一冊の絵本から、3D造形物、生の落語、笑いを通じたコミュニケーションが生まれることを楽しみにしています。 まさに、「ふれる」絵本が、人と人との「ふれあい」を生み出してくれることを望んでいます。 写真:春風亭昇吉氏 15ページ 工夫で自由にそしてご機嫌に 公益社団法人日本網膜色素変性症協会 町田宏(まちだひろし) 東京都出身、横浜市で妻と二人暮らし。1980年横浜市役所入庁、1985年神奈川大学第二法学部卒業、2021年横浜市役所退職。中学時代サッカー部で神奈川県優勝、高校ではロックバンドでギターとボーカルを担当。 全国47都道府県フルマラソン完走に挑戦中(2024年2月現在11カ所達成)。今弾いている楽器はフラメンコギター、サックス、トランペット、トロンボーンなど。  公益社団法人日本網膜色素変性症協会(JRPS)の共用品ワーキンググループの町田宏です。26歳の時に網膜色素変性症と診断されました。 40歳頃からパソコンの画面が見えなくなり、白杖を使うようになりました。64歳の現在は光のみ見えます。趣味はマラソンと楽器演奏です。 好きな名言は「人間の最大の罪は不機嫌である(ゲーテ)」です。  次の工夫は見えない人のものに限りませんがお伝えします。 職場で 複合機の液晶パネルに紙枠をはめてボタンの位置を識別できるようにした/パソコンは無線のイヤホンとキーボードで職場内どこでも操作できるようにした/ 読み上げの補助を受けたい時に晴眼者の席の前でもできるようにした/他人が印刷した物と混ざらないように複合機の前ですぐに自分の印刷物を回収していた/ パソコンにフットスイッチを接続し、エクセルのセル移動は足で行った/ホチキスに針の箱を一箱くくり付けて、針切れに備えた。 点字 点字テープに情報を打って洋服に付けている/ネクタイは色やデザイン、スーツは色柄や購入年を付けている/食品には厚紙に打って貼っている/ 点字テープに長い線を打って、印として使うこともある/玄関のドアノブに付けて自分の部屋であることを確認している/ 集合ポストの底面に付けて自分のポストであることと、手紙の取り漏れがないことを確認している/ ギターの指板の2カ所に貼って位置を確認している/ただしピアノは他のピアノで弾けなくなるのでやらない。 便利なHP  以下はタイトルで検索できる。 ・駅ホーム降車位置情報 駅の乗り換えに便利な位置の車両番号ドア番号が載っている/構内図も音声で理解できる。 ・構成読みの検索 漢字を分解して書き方を説明する。 ・文字数カウント 文書の文字数を計算する。 スマホの便利なアプリ ・Seeing AI スマホのカメラに映ったものをテキスト化する/文書、色、お札の種類などを読み上げる/登録すれば写真の人物の名前を読み上げる/テレビの字幕も次々に読む。 ・Be My Eyes スマホのカメラに映したものを遠隔地のボランティアに読んでもらう/AIが写真やラインのスタンプを詳細に説明してくれる機能もある。 その他 慣れている場所でも点字ブロックがあるところでは点字ブロックに乗るようにしている/対向者が私の歩く方向を推測しやすくなる/ オートバイのハンドルなど白杖では触れない障害物があるので、衝突することを想定してゆっくり歩く/エレベーターに乗りたい場合、点字ブロックどおりに行けば押しボタンにたどり着ける/ よく使う駅の乗場位置は車両番号とドア番号を記録しておく/ホームドアの間隔は連結部を挟んでいるところは他より長いので、点字を触らずに歩数でドア番号を知ることができる/ 白杖や傘のストラップに洗濯ばさみを小さくしたようなクリップを付けている/電車で座ったときは傘のクリップを服に付けると降りる時に傘を忘れていてもついてくる/ 白杖は襟につければ倒れない/荷物の持参忘れ防止は、荷物に白杖を付けておくことで防げる/ 移動中は次の目的地に着いた時のことをイメージし、保険証や会員カードなどはすぐに出せるようにしておく/ 不要となった書類はその場で切り込みを入れておけば時間が経ってもいらないものだとわかる。  最後までお読みいただきありがとうございました。 写真:町田宏氏 16ページ 講座 【事務局長だより】 星川安之 ■印象に残っている受講した講座  今回の特集の講座ですぐに思い出したのは、学生時代に受けた講座ではなく、社会人になってから障害のある人たちから受けた、時と場所を選ばずに行われた講座である。  電動車椅子を使用している高橋秀子(たかはしひでこ)さんと、両国~浅草~三ノ輪を散策した時には多くのことを教わった。 東京水上バスにリフトが付いたこと、地域を走るコミュニティバスの運転手さんのスロープをセットする時間が、日に日に短くなっていくこと、 都営地下鉄の車椅子マークが表示されたホームドアでは、ホームが電車の乗降口に向かって傾斜しているので、駅員さんにスロープをもってきてもらわなくても、車椅子を操作して電車の乗降ができること、 歩道と横断歩道の場所では、段差が2cmあるが直角ではなく丸みを帯びているので、車椅子使用者もその段差を乗降でき、さらには白杖を使用している視覚障害者もどこから横断歩道かを認識できることなどを教わった。  歌が抜群にうまかった全盲の河辺豊子(かわべとよこ)さんからは「これ、それ、あれ」の指示代名詞は、目の不自由な人にどこだかが分からないこと、 トランプをはじめとする各種ゲームの多くは、目が見える見えないに関わらず強い人は強いこと、そして黙っていては伝わらないことだらけだということを教わった。 ■印象に残っている自分が話した講座  目の不自由な子どもたちのおもちゃを作りはじめた社会人3年目、盲児のお母さんたちにおもちゃ作りの話をしてほしいとの依頼を受けた。 学生時代から人前で話すのは苦手であったが、断れない状況だったのだと思う。 当日、講演する私に盲児の母親20名の視線が矢のように突き刺さってくるのを感じながらの1時間は、今まで感じた1時間の中で一番長かった。 今と違い、パソコンもなかったため初めて使うOHPを駆使したのは覚えているが、何をどのように話したかは、全く記憶に残っていない。 伝えたいことを十分に伝えられなかったことは確かだ。  そのような状況にも関わらず終わったあとに「これからも、障害児のおもちゃ作り頑張ってください」、「熱意が伝わってきました」といった声を、複数の聴講者からかけていただいたのである。 その言葉は話が苦手、説明下手という症状には、何にも代えがたい妙薬であった。  あれから42年、多くの障害のある人たちから学んだことを、一度自分の中で消化し、自分の言葉で話すことは、講座という形式をとらずとも今の日常になっている。  その原動力になっているのが、42年前盲児の母親20名が私にくれた言葉だと、今振り返って思う次第である。 共用品通信 【イベント(ハイブリッド)】 本の街で心の目線を合わせる(1月11日) 【会議】 網膜色素変性症協会 共用品WG(1月11日、星川) 第2回新たな日常生活における障害者・高齢者アクセシビリティ配慮検討小委員会(1月12日) 消費生活技術専門委員会(1月19日、星川) 第2回新たな日常生活における障害者・高齢者アクセシビリティ配慮に関する国際標準化委員会(1月25日) 第2回TC159AD委員会(1月31日) 網膜色素変性症協会 共用品WG(2月1日、星川) 第2回AD国際標準化委員会(本員会)(2月5日) 網膜色素変性症協会 代表者会議(3月2日、星川) 網膜色素変性症協会 共用品WG(3月7日、星川) 【講義・講演】 岡山県UDアンバサダー養成講座(1月11日、星川) アクセシビリティリーダーキャンプオンライン講演(広島大学)(3月1日、森川) 【報道】 時事通信社 厚生福祉 1月26日 合理的配慮と「座席」 日本ねじ研究協会誌 1月号 ユニバーサル落語 日本ねじ研究協会誌 2月号 コミュニケーション用支援ボード 日本ねじ研究協会誌 3月号 台南で見つけたいろいろな工夫 トイジャーナル 2月号 手づくりの立体家屋 トイジャーナル 3月号 台南で見つけたモノ 福祉介護テクノプラス 2月号 日本網膜色素変性症協会 黒い色の製品 福祉介護テクノプラス 3月号 台南の公園 高齢者住宅新聞 2月号 台南の公園 シルバー産業新聞 3月10日 公共トイレのルール コミュニティケア 3月号 「訪問看護サミット2023」レポート アクセシブルデザインの総合情報誌 第149号 2024(令和6)年3月25日発行 "Incl." vol.25 no.149 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2024 隔月刊、奇数月25日に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:https://www.kyoyohin.org/ja/ 発行人 富山幹太郎 編集長 星川安之 事務局 森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、木原慶子、田窪友和 執筆 伊藤義博、小川光彦、河相富貴子、河野禎之、後藤芳一、佐藤一人、春風亭昇吉、竜口隆三、德田恭子、富山幹太郎、山名清隆、前川満良、町田宏 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 表紙 NozomiHoshikawa 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。 上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。