インクル 第113号 特集 広辞苑・共用品・E&Cプロジェクト 目次・ページ 広辞苑 第7版に「共用品」 2、3ページ 視覚障害者・弱視者の不便さ調査 4ページ 「報告書」から「朝子さんの一日」へ 5ページ 出会い、繋がり、生き続ける 6ページ 私にとっての バリアフリーは銀座から 7ページ 年表・イラスト・写真で振り返るE&Cプロジェクト 8、9ページ E&Cというフィールド 10ページ 音を見たことありますか? 11ページ 「プリペイドカード」JIS見直しの経緯 12ページ キーワードで考える共用品講座第103講 13ページ 西荻センターまつり2018 14ページ 共用品研究所 第二回 勉強会 14ページ アクセシブルデザイン関連JIS、3件制定 15ページ 「アクセシブルデザインシンポジウム2018」開催 15ページ 事務局長だより 16ページ 共用品通信 16ページ 表紙写真:広辞苑 第七版 広辞苑第七版に「共用品」が掲載! 詳しくは特集ページを御覧ください 2、3ページ 特集:広辞苑・共用品・E&Cプロジェクト 広辞苑 第7版に「共用品」 はじめに 2018年1月12日、10年ぶりに改訂された広辞苑の第7版には、第6版の24万に加え約1万の言葉が加わりました。 「日本語として定着した、または定着すると考えられる言葉」が掲載の基準になっているとの事。 今回、共用品が「障害の有無や身体特性に関わりなく、誰もが利用しやすい製品」の語釈で新たに掲載されました。 掲載されたことで、共用品と関連している言葉がどの版から掲載されているかが知りたくなり、神保町の古書店をめぐりました。 第1版から7版の広辞苑を揃え、バリアフリー、点字ブロック、点字、点字図書館、手話、福祉用具、ユニバーサルデザインなどが、いつから掲載されたかを調べたのが、図表1です。 点字は、第1版から掲載されていますが、点字図書館、点字ブロックなど、二つの言葉が合わさった言葉が掲載されるのは、第4版からかなどと推測するのも楽しい作業でした。 雑誌『世界』で紹介 発行元岩波書店の雑誌『世界』では、2月8日発売の3月号から、新たに広辞苑に載った「言葉」を紹介する連載がスタートしました。 その第1回に「共用品」が選ばれました。『世界』に掲載された文書に加筆したものを次に紹介します。 共用品の誕生 共用品という言葉の元が生まれたのは1991年4月6日、東京高田馬場にある日本点字図書館(日点)の集会室でした。 その日の会合には、職種、年齢等が異なるメンバー20名が、年齢の高低、障害の有無等に関わりなく共に使える製品やサービスを世の中に広げるために集まりました。 呼びかけ人は3名。工業デザインの草分けの一人である鴨志田厚子(かもしだあつこ)さんは、男性中心で作られる多くの製品に疑問を持ち、 子ども、女性、高齢者そして障害者を考慮したデザインにいつか取り組もうと考えていました。 花島弘(はなしまひろし)さんは日点の盲人用具部長で、盲人用具を日本に広めていました。 私、星川(ほしかわ)は玩具メーカーで、盲児用玩具を開発した後、障害の有無にかかわらず共に遊べる玩具を業界全体に普及させる仕事をしていました。 「共に使える」は、玩具業界だけでなく、多くの業界が枠を超え取り組むことが必要という思いで花島さんに相談、 以前日点を見学にきたことのある鴨志田さんの事務所を訪ね、共用品を普及させるためのプロジェクトを発足させたいこと、 そこの代表に就任してほしいことを依頼したのです。鴨志田さんの快諾が、「楽しみながら共用品が広がる社会」の意味を込めたE&C(Enjoyment & Creation)プロジェクトの誕生に繋がりました。 共用品はE&C発足当初、共用デザイン、共用製品などと言っていましたが、会合が2~3回と進むうちに「共用品」に定着していきました。 E&Cは、視覚に障害のあるメンバーの朝起きてから夜寝るまでの不便さや工夫を聞くことからスタートしました。 目の不自由な人が工夫しながら行っている身支度、料理、食事、掃除、仕事の話は、多くのメンバーの目から鱗を落とすとともに、 「知ること」の大切さを強く実感させられました。その実感は300名の視覚障害者へのアンケートへと発展、 その報告書は多くの人の目にとまりました。 E&Cでは不便さを分類し、包装、カード、サービス、操作などテーマ別に班を作り、解決策の検討を行いました。 例えば、カード班では当時主流だったプリペイドカードであるテレホンカード、交通関連カード、 買い物関連カードの識別と挿入方向が、視覚障害者にはわからないということから、 カードの挿入方向に対して左手前に、テレホンカードは半円、交通関連カードは三角、 買い物関連カードは四角の切り欠きをつけるという案を、モニターを繰り返して作成したのです。 問題はこの案をどこに提案すれば良いか。 通産省医療・福祉機器産業室 室長 後藤芳一(ごとうよしかず)さんの、 「日本工業規格(JIS)は、利用者と製造者の合意があり且つ証明できるエビデンスがあれば、国に対して提案できる」という助言がきっかけとなりJIS作成委員会が設置されました。 カード班の永井武志(ながいたけし)さんと木塚泰弘(きづかやすひろ)さんが委員となり1996年に「JIS X 6310プリペイドカード一般通則」が発行されるに至ったのです。 同調査ではシャンプーとリンスのように、同じ形の容器で中身が異なるものの識別ができなくて不便という回答も多くあがりました。 調査結果を伝えるため、企業に声をかけ報告会を行ったところ、参加した花王の青木誠(あおきまこと)さんから 「お客さまの声から検討を重ね、シャンプー容器の側面と上部にギザギザを付けることになり、実用新案を取得したが無償で公開するので使っていただきたい」との提案がありました。 1992年にギザギザの付いたシャンプーが発売され、26年たった今では市場のほぼ全てのシャンプーにギザギザが付き、 視覚障害者だけでなく、目をつむって髪を洗う多くの人の利便性に繋がっています。 青木さんはその後E&Cに合流、現在日本全国の店に並んでいる他の容器と触って識別可能な牛乳パック上部の半円の切り欠きの考案にも尽力しました。 E&Cは8年間活動し、20名だったメンバーは400名になり、他機関から調査、ガイドライン作成、展示会の実施などの依頼が増えたために1999年4月、発展的に解散、 財団法人共用品推進機構として再スタートを切ったのです。 財団になってからは国際標準化機構(ISO)と連携して事務局を担い、共用品関連のJISを国際規格にするようになりました。 規格を作る時に高齢者・障害者を考慮する国際ガイドが2001年に日本提案で制定され、その時「共用品」は「アクセシブルデザイン」と英訳されました。 現在そのガイドを元にJISは40、国際規格は22が制定されています。 共用品の市場規模は2016年度2兆8884億円と推計され、調査開始時(1995年度)から5.8倍の伸びになっています。 さらに事業は、施設やイベントなどでの応対マニュアルの作成や研修のほか、不便さ調査も視覚障害に続いて、聴覚障害、肢体不自由、高齢者に加え、難病の人達へと広げています。 また、良かったこと調査、障害のある人が応募するアイディアコンテスト、研究所の発足等へと発展し、先回りして共用品が広がる仕組み作りを行っているところです。 広辞苑に掲載された共用品の文字と語釈を見ながら、誕生から今まで共用品を支え、育ててくださった多くの方々への感謝の気持ちと共に、さらに広げたい気持ちを強く感じています。 星川安之(ほしかわやすゆき) 図表1:広辞苑に掲載された言葉 写真1:雑誌『世界』2018年3月号 4ページ 視覚障害者・弱視者の不便さ調査 社会福祉法人 日本点字図書館 杉山雅章(すぎやままさあき) E&Cプロジェクトの最初の活動は、まずメンバーの視覚障害者から不便さを聞くことから始めた。 そこから出てきたのは「洗濯機のスイッチが押しボタンからシート式になり、真っ平らでわからない」、「リモコンのボタンが多くて、電源ボタン、再生ボタンがわからない」、 「銀行のATMがある日突然、押しボタン式から、テレビ画面のようなものになった。操作できない」などの最新機器に対する不便さの声であった。 この話を聞いたある家電メーカーの技術者は「いったい自分たちはどんな製品を作っていたのか。頭をガーンと殴られた気がする」と思いを語った。 そこから、メンバー全員がもっと不便さを広く知る必要性を感じ、視覚障害者にアンケート調査をすることになった。 まず設問作りから始まった。一般のアンケートは選択式が多い。 でもメンバーは、選択肢を考えられるほど視覚障害者について知らない。 ならば「そのままの声を聞こう」ということになり、自由記述式を多用することにした。 家の中、家の外、商品の購入、商品情報の入手、日常生活の工夫・要望の5つの分野に分け「家の中で不便に感じる点をあげてください」、 「家の外で不便に感じる点をあげてください」、「使いにくい家電製品を教えてください」というような、当事者の声をそのまま回答してもらう設問が32問中24問、 全体の8割を占めた。自由記述式は回答者にも負担をかける。しかも視覚障害者は点字での回答者が多い。 はたして、十分な回答数が得られるのか?点字毎日新聞、日本点字図書館の利用者などに呼びかけたところ、279人もの方から回答を得ることができた。 しかも、そこには視覚障害者の不便さが訴えるように書き綴られていた。 自由記述の回答はまず、書かれた文章を分類する作業から始まる。 最初の設問「家の中で不便に感じる点」では1000件近い不便さが出てきた。回答者の声をキーワード化し、分類し集計していくという時間のかかる分析作業にとりかかった。 設問は、カード班、スイッチ班、パッケージ班などの各班が作ったものなので、それぞれを自分たち自身で分析、集計した。 ある設問を担当したメンバーは、「この分析は僕のライフワーク」と言って、仕事が終わった5時からオフィスの机の上に広げ、作業を行った。 そのおかげで、各班がその分析過程の中で視覚障害者の状況を理解することができ、その分析結果は各班の活動の基礎データとなった。 この調査の後、各班の活動が活発化し、プリペイトカード、家電製品等のスイッチ、包装容器などにおける配慮を提案しJIS化され、それが製品に反映されていった。 視覚障害には、盲と弱視がある。最初の調査は盲が中心だったので、1998年に弱視者の不便さ調査を行った。 弱視は低視力に加えて、見え方の障害がある。また、一見晴眼者と変わらないので、障害に気付いてもらえないという特有の悩みを持つ人も多い。 設問はまず、家の中、外、外出先などでの「表示の見え方」について質問し、その後「家電製品」、「買い物」、「駅」、「銀行」、「病院」などの具体的な場面をあげた。 268名の回答を分析すると、駅の運賃表、時刻表、バスの料金表、銀行のATMなどの表示で、文字の大きさ、表示の高さ、背景とのコントラスト、照明の明るさなどが問題としてあげられた。 このような弱視の見え方の問題は、高齢者と共通する部分も多い。 この調査の後、表示・案内図などのサインは、障害者・高齢者も含めた様々な利用者に対して見やすいデザインが検討されるようになっていき、 家電製品もスイッチやボタンの見やすさがデザインの重要な要素と考えられるようになった。 E&Cプロジェクトはこの後、視覚以外の様々な障害に取り組んでいくが、まず当事者の声を聞くことが大切と考え、不便さ調査を行うことから始めている。 写真:不便さ調査報告書 「報告書」から「朝子さんの一日」へ 宮田桂子(みやたけいこ) 「朝子さんの一日」という物語風のものを思いついたのは1992年、視覚障害者・弱視者への聞き取り調査の報告が続々と集まってきた時でした。 私たちにとってはとても刺激的で、知らないことがいっぱいの宝の山の情報でした。 でも、ふと、あまり関心のない人にとってこれらの無味乾燥な(ごめんなさい)データを見せられても、 どれだけの人が受け止めてくれるのか、いや読まれなくて当たり前、とも思いました。 本業で市場調査も手掛けていましたので、人を説得するためには調査結果をそのまま呈示するのではなく、 わかりやすく加工し情報化する必要があると思いました。 しかもこれは上司や社内へのプレゼンではなく相手は不特定多数です。 なるべく多くの人に直感的に理解してもらうためには、そして興味を持ってもらうためにはどういう形が最善か。 何の確信もありませんでしたが、一人の女性の一日を通して不便さを具体的に表現してみようと思ったのです。 それは私自身にとって最もわかりやすい表現でした。原案をお渡ししたのち絵本作家の先生、イラストレータ、出版社の方たちが素敵な本に仕上げてくださいました。 元々は報告書の付録としてくらいに考えていたものが幸運が重なって出版の運びになりました。 その後、調査結果などを公表するための展示会の話が持ち上がり、当初は福祉会館を会場にというのを、こういうものこそ銀座のソニービルを使いましょうよと働きかけました。 福祉会館はもちろん悪くはないけれど、それでは関係者ばかりが来ることになります。今まで何の関心もなかった人にこそ触れてほしかったのです。 頑張りましたよ、この時は。仕事よりも頑張った(笑)。 先方(ソニー)にとってはほとんどメリットのない話、古いビルなのに車椅子用のトイレを用意してほしいとの要望を受け入れてもらいました。 利己ではなく他己の精神と、若かった故の怖いもの知らずの成果かもしれません。今となっては良い思い出です。 あれから25年経って読み返してみると改善されたことが多いことに感銘を受けます。またあの当時には無かった交通・買い物用ICカードや携帯電話などの新技術が飛躍的に助けになっているのでは と想像します。その一方、スマホなどはどうなんだろうとちょっと心配しています。対応ソフトがあるのかな。結局はヒトとヒトとの繋がり、思いやる気持ちが一番大事ということは変わっていないの だろうなとも思いました。 主人公を朝子さんという名にしたのは、出版物の紹介があった場合には「あいうえお」の「あ」、 アルファベットなら「A」が最初に来るだろうとの計算がありました。 何としても広く世の中に伝わってほしいとの思いからです(効果があったかどうかはわかりませんが)。 一日の始まりの朝、太陽の上る希望の朝、という意味はもちろん込めました。 善意の人には生真面目な方が多いようです。しかしいくらかのしたたかさも必要だと私は思っています。 E&Cプロジェクトはボランティアの位置づけでした。聞き取り調査は数人ずつのグループで休日に直接お宅を訪問し蓄積されました。 私はしかし本来こうした事は行政がすべきことと思っていました。私たちがボランティアで活動することが行政を甘やかすことになるのではないか、と。 今もこの辺りの事はわかりません。 とはいえ、その後粘り強く続けてきたE&C及び共用品推進機構の方々の活動が広辞苑への掲載、 つまり世の中への浸透・一般化という着実な根に結び付いたのでしょう。 写真:『朝子さんの一日』 出会い、繋がり、生き続ける 静岡文化芸術大学 教授 谷川憲司(たにかわけんじ) E&Cとの出会い 情報機器メーカーに勤めていた私は、90年代に新商品の企画開発に携わっていた。 「これからの世の中で必要になるものは何だろう」。 そう自問自答していた時にふと目にとまった新聞記事 「目の不自由な人や高齢者に優しい共用品の提案、銀座ソニービルで開催」。 何か鍵が見つかるのではないかと銀座に向かい、展示された「共用品」を見て稲妻が光った。 即電話してE&Cに入会を申し込んだのが1993年のこと。 まず「エイジフリー班」に所属し「高齢者の交通機関とその周辺での不便さ調査」に参加した。 アンケート作成、集計、分析、原稿作成など月例会だけでは時間が全く足らず、毎週のように夜に集まって作業していた。 その報告書がほぼまとまってきた96年春、筑波技術短大の松井智(まついさとし)さんが技短を卒業する二十歳の若者を数名率いて来て、 「聴覚障害班」を立ち上げるというので、新たな世界の広がりを期待してその班へも参加を決めた。 聴覚障害班 健聴・難聴の男女のメンバーでの会議は、まず議論自体がバリアで手話通訳が頼りだった。 会議終了後のE&Cで割り箸の袋で筆談したりジェスチャーしたり、様々な工夫をしたことが、最初のバリアフリー実体験だったかもしれない。 ビッグテーマはE&Cが一丸となって取り組んだ「バリアフリーは銀座から」で開催した「E&Cコンサート」。 手話コーラス、音に合わせて光る装置、字幕などを準備。手探りの開催だったが結果は大成功!  聞こえる人も聞こえにくい人も一体となって楽しんだことはバリアフリーの可能性の発見であった。 「音見本」 続いて取り組んだのは生活の中に流れている音情報に関する調査。 普段何気なく聞いている物音や機器の音、人の声などの「音情報」が、 音のある世界・音のない世界で比較して見られるように工夫したリーフレットを作り「音見本」と名付けた。 「音見本」の目的は二つ。一つは聴覚障害者に向けてどんな音情報があるかを紹介すること。 もう一つは聴覚障害者が知らなかった音、生活に必要な音は何かを探ること。 99年春に「音見本」は完成し、聴覚障害者、聾学校などに送付した。 音情報に関するアンケートの回答は「音見本調査報告書」にまとめ、 以降の活動の基礎として活用されている。 静岡文化芸術大学とE&C 2011年に私は静岡文化芸術大学の教員となった。 2000年に開学したユニバーサルデザイン(UD)を理念とする大学で、 歴代教授にはE&C理事長の鴨志田厚子氏をはじめ、木塚泰弘氏、三好泉(みよしいずみ)氏など、 E&Cで活躍した先輩が名を連ねる。ここで教鞭をとる一方、地域と連携したUD活動などに携わっている。 新聞記事を見て飛び込んだE&Cとの出会いから、発見が脈々と繋がっている。 E&Cの心は、これからも広く世の中に生き続けていくに違いない。 写真1:E&Cコンサート 写真2:音見本 私にとっての バリアフリーは銀座から デザイナー 西川菜美(にしかわなみ) E&Cプロジェクトが普及を目的としている「共用品」は、 障害の有無とともに、年齢の高低にかかわらず使える製品・サービスです。 そのため、メンバーにも若い学生が参加し、さまざまなプロジェクトで熱心に活動していました。 当時学生だった西川菜美さんも、中心メンバーの一人です。 現在、子育て中の西川さんに、当時を振り返ってもらいました。 E&Cに関わったのは、いつ頃ですか? 西川 多摩美術大学の学生だった時です。まだ、社会には出ていないけど、 人を楽しくさせるデザインがしたいなーとか、大人として、何ができる?なんて、感じ始めた頃でした。 その中でも「ボランティア」ということに、違和感がありました。 「ボランティア」という言葉に自己犠牲感を勝手に抱いていて、それはとっても自分らしくない感じがして。 でも、E&Cは、そういうところじゃないらしい。「エンジョイ&クリエイション」ってすごくいい!と。 大人の集まりに、ちょこんと居させてもらっている感じで、最初はちょっと緊張していました。 毎回、目から鱗と言うか、初めて知ることがあって、ワクワクしていたのを覚えています。 大学4年からE&Cに参加し、その後就職して一年目に「バリアフリーは銀座から」のイベントがありました。 細かい制作物をお手伝いさせてもらっていました。プロのイベント会社に頼めば莫大な費用がかかるところを、 コツコツとみんなで作ってました。 知恵も経験もなく若さだけしか取り柄がなかったので、毎回、作業担当で頑張っていた記憶が残っています。 印象に残っていることは? 西川 仕事でもないのに、おじさん達が、とんでもなく真剣に、でも楽しそうにやっている姿が、強く印象に残っています(笑)。 イベントを通じて、学んだことは? 西川 その時は、銀座でイベントっ!!SONYビル!!日産ギャラリーっ!!電通ギャラリーっ!!という感じで(笑)。 「大風呂敷を広げてしまった者勝ち」なんだなぁ、なんて思っていましたが、思えば、前例のない事をするとき、 それを人に伝えるときに、どれだけ人をワクワクさせるかがとても大切な事だと学びました。 就職して、デザインの仕事に就きましたが、不便さ調査に代表されるように、 知ること、人と話す事が大切だということは、E&Cでイベントに関わって学んだことの一つです。 それから、人をどれだけワクワクさせるかが仕事の上でも成功の鍵だということも、教えてもらったと思います。 西川さんに、とってE&Cとは? 西川 「いろんな人がいる」こと、「多様性」とは何を、言葉や頭で考えるのではなく、会議やみなで創り出し、 多くの人に来場してもらったイベントを通じて、自分の中に沁みこんでいたということを、時間がたてばたつほど、実感しています。 また、その中でも創り出すこと(クリエイション)には、楽しさ(エンジョイ)が必要不可欠だということを実感をもって理解した場所であり時間でした。 今でも、共用品の仕事をしていますが、娘が大きくなったら、いつかじっくり、私がかかわったイベントやE&Cについて、話したいと思っています。 写真:リーフレット「バリアフリーは銀座から」 8、9ページ 年表・イラスト・写真で振り返るE&Cプロジェクト 報告書 E&Cプロジェクトは、1991年4月に発足し、1999年4月に発展的に解散するまで、月一度の会合を重ね、 障害の有無、年齢の高低にかかわらず、共に使える製品・サービスを「共用品・共用サービス」と名付け、その普及を行ってきました。 1993年10月 朝起きてから夜寝るまでの不便さ調査 視覚障害者アンケート調査報告書 E&Cの原点は、「知ること」でした。視覚に障害のある人の家庭訪問調査を経て、定量調査をメンバーで手分けして行いました。 1995年9月 耳の不自由な人達が感じている朝起きてから夜寝るまでの不便さ調査 1995年10月 妊産婦の日常生活・職場における不便さに関する調査研究 「知ること」は、聴覚に障害のある人、妊産婦の人たちへの不便さ調査へと発展しました。 調査結果を、その度に報告書としてまとめました。 1997年4月 高齢者の交通機関とその周辺での不便さ調査報告書 1998年7月 車いす使用者の日常生活の不便さに関する調査 2000年2月 弱視者不便さ調査報告書 出版物 E&Cで行い作成した不便さ調査報告書は、それぞれの障害に関して、多くの人に知ってもらえる絵本や漫画になりました。 また、活動の内容は、ビジネス書になり、さらには、日本工業規格(JIS)にもなりました。 93年10月 朝子さんの一日 94年11月 バリアフリー商品開発 95年4月 朝子さんの点字ノート 96年10月 バリアフリーの商品開発2 96年11月 “音”を見たことありますか? 97年11月 バリアフリーの生活カタログ 99年4月 ドラえもんの車いすの本 99年11月 バリアフリーの店と接客 花王(株)と共同で、不便さ調査報告書を元に、4本のバリアフリービデオを企画しました。 イベント E&Cでは、活動し得られた成果を、東京銀座のソニービルで、93年、95年、展示会を行い、 97年には、「バリアフリーは銀座から」と題して、INAX、マリオン、銀座協会、学書院、 ソニービル、和光、日産銀座ギャラリー、TEPCO銀座館、電通ギャラリー、リクルート、 博品館、ビクターの12カ所で、製品展示、講座、コンサート、疑似体験、作品展示、 そしてショーウィンドウにて、マネキンによる手話表現を行い、約20万人が参加してくださいました。 共用品展 1993年 バリアフリー・クリエーション 1995年 バリアフリーは銀座から 1997年 E&Cプロジェクトの原動力だった班活動 最初の不便さ調査の実施後は、明らかになった不便さの解決を検討する班が数多く立ち上がり、多くの提案を社会に行いました。 グループ名:調査研究グループ 班名 目的 活動成果(一部) 視覚障害者班 視覚に障害のある人の日常生活の不便さを調査し、明らかになった不便さを分類する。 聴覚障害者班 聴覚に障害のある人の日常生活の不便さを調査し、明らかになった不便さを分類する。 妊産婦班 妊産婦の日常生活からバリアとなる問題点を発見/解決を探る。 エイジフリー班(後に高齢者班) 高齢者の日常生活の不便さを調査し、明らかになった不便さを分類する。 車椅子班 車椅子使用者の日常生活の不便さを調査し、明らかになった不便さを分類する。 グループ名:配慮研究グループ 操作性班 操作部に関する解決を探る。 パッケージ班 外見が同じで、中身が異なる容器の触って分かる工夫を検討し、関係企業等に提案する。 カード班 プリペイドカードの触覚識別の研究調査を行ない標準化の提案を行う。 取扱説明書班 取扱説明書の利用上の不便さを調査、問題点を発見/解決を探る。 駅・交通班 駅・交通機関の利用上の不便さを調査、問題点を発見/解決を探る。 スペース・サービス班 人に優しい環境づくりを、ハードとソフトの両面から研究し、社会に提案する。 グループ名:普及活動グループ 共用品情報班 共用品情報の収集と普及、分類方法や配慮種目の定義、評価基準の検討する。 展示会班 展示を通じて色々な人達に共用品・共用サービスの普及を図る。 10ページ E&Cというフィールド 共用品推進機構 理事 望月庸光(もちづきのぶあき) 展示会の経緯と意義 E&Cの創立時から参加することが出来た幸運に感謝しつつ当時のことを思い出してみました。 日々の仕事は繁忙を極めましたが、週末や仕事を終えてからの集まりは日頃使っていない筋肉を使うような心地良さを感じる時間でもありました。 週末は茶菓子を持って全盲のご夫婦宅にお邪魔し、よもやま話をしながら普段の生活の様子や不便な点などの話を伺い、驚き・学び・気づきを沢山いただきました。 活動を進める中、様々な個人・企業・団体の方が加わり、E&Cの強みの一つである多様性が強化され、 銀座ソニービルでの展示会が実現できたのもその結果ではないかと思っています。 もう一つは様々な企業のプロであるのと同時にE&C活動に関しては素人というメンバーが、 日本点字図書館・障害者・研究者の方々と良い形で機能し合っていたことも大きかったと思っています。 銀座の展示会に際し、星川さん(共用品推進機構事務局長)から幾つかの検討を依頼されました。 一番難しかったのは「見えないということ」をイメージしてもらう何かを考えてほしいとの依頼でした。 目を閉じる・アイマスクをするような直接的な形ではなく、イマジネーションを刺激するために、 すべてのモノを真っ白にペイントすることを考えました。最初はコンビニをすべて真っ白にしてしまうアイディアを出しましたが、 さすがに難しいためアメリカ製の大型冷蔵庫に真っ白にした食材を入れることにしました。 冷蔵庫は展示会入り口に設置し、ポスターも作成しました。(写真1) ウィンドウディスプレイにはドラえもんにも協力してもらい、親子連れの方にも関心を持ってもらえるようにしました。(写真2) 第二回展示会ではさらに進化させ、ソニービルから飛び出して銀座全体での展開を実現しました。 単なる展示から段ボールで作成した体験空間や「朝子さんの一日」というビデオを会場で流し、 街を行き交う普通の人達にも気楽に楽しく知っていただくようにしました。 E&Cの展示会開催に向けての取り組みは、エンジョイメント&クリエイションを実践した結果だと思っています。 「言っていることとやっていることの差の無い」組織運営はとてつもなく大変ですが、 メンバー全員が迷うことなく自信と誇りを持って取り組む土台になっていたと思っています。 自分にとってのE&C E&Cはとても自然体の組織だったと思っています。個性的で様々なバックグラウンドを持つメンバーの能力を引き出し、 まるでサーカスの団長の如くまとめ上げる星川さんの役割はとても大きなものでした。 E&Cは自分にとって学びの場でもあり、チャレンジの出来るフィールドでもありました。 第二回展示会の時キャッチコピーで「やさしいが当たり前・当たり前が普通に」を考えました。 E&Cで学んだことは「普通」の大切さで、とても難しいテーマですが、今後も大切にしていきたいと思っています。 写真1:真っ白な食材が入った冷蔵庫 写真2:車椅子を押すドラえもん 11ページ 音を見たことありますか? 聞こえる世界と聞こえない世界をつなぐユニバーサルデザインアドバイザー 松森果林(まつもりかりん) 暗記シートといったら誰もが思い浮かべる赤いシート。 ご紹介したい本(写真)があります。―あなたは「音」を見たことありますか?― こんな問いかけから始まるこの一冊は、マンガのなかの音や声はすべて赤字で書かれています。 そこにシートをかぶせると音のない世界が疑似体験できるという斬新なアイデア。 鳥肌が立ちます。E&Cプロジェクト「聴覚障害班」生みの親であり、 にとっては恩師でもある松井智(まついさとし)先生のアイデアです。 私はこのマンガの原作を担当させていただきました。1995年20歳の時。 なんと光栄なことでしょうか。 私は小学四年で右耳が、高校二年で左耳も聞こえなくなった中途失聴者です。 「聴覚障害」を理由に志望していた2校の進学の夢を絶たれ、そんな時に知ったのが、 日本で唯一視覚・聴覚障害者が学ぶ為の国立筑波技術短期大学でした。 そこで人生の師となる松井先生と出会います。「障害者」になりたてほやほやの私は、 松井先生のもとで、聴覚障害のバリアについて問題意識を持ち、解決方法を提案し、 情報発信することを学びました。 学びの中で、E&Cや星川さん、そしてこの本の企画の話もたびたび聞いていました。 そんなこともすっかり忘れていた卒業間近の春、原作執筆の相談があったのです。 卒業後も松井先生とご一緒できるなら!と即答しました。 手書きのFAXで毎夜相談 社会人となり上京してからは、筑波にいる先生と毎夜FAXでやりとり。 今回の原稿を執筆するにあたり、当時の資料を探してみると膨大な量のFAXが出てきました。 スマホもケータイもなく、Eメールも普及していない時代です。 手書きの温度感やスピード感が伝わってきて、しばし読み耽ってしまいました。 タイトルが決まるまでは「耳の本」と呼び合っていたこともわかりました。 出版後は9刷2万6000部を超え、出版元小学館の編集長も「こんなに必要とされていたとは!」と驚いたそうです。 読者カードの感想は500通を超え、すべてにお礼の手紙を書いたのを覚えています。 同時期、松井先生がE&Cの中で「聴覚障害班」を立ち上げるというので、私も入会しました。 知的で素敵な大人の集まり これが社会人になったばかりの私にとっての「E&Cプロジェクト」の印象でした。 いろんな障害の有無よりも、出会う一人ひとりが魅力的でした。初めて見る白杖や車いすに目が釘付け。 どうやってコミュニケーションするんだろう?どうやって移動するんだろう?一つ一つが新鮮で学びの連続。 障害のある当事者が、日常生活の不便さを、明るく笑いながら紹介し、それを解消するアイデアがいくつも出てくる過程は毎回ワクワクしました。 障害者としても社会人としてもひよっこ状態の時に出会った堂々たる先輩方の姿はその後の私に大きな影響を与え、今の私に繋がっています。 聴覚障害班そして音カタログ 手話、音楽、劇場、教育、デザインなど興味の対象が様々なメンバーが集まりました。 でも目指すところは一つ。「聞こえる人も聞こえない人も共に楽しめること」です。 聴覚障害を知るための勉強会や、年に一度のコミュニケーション強化合宿では寝食を共にし、まるで家族のようでした。 2000年に松井先生が急逝されたあとも活動を継続し、音のある世界と音のない世界を比較して疑似体験できるHP「音カタログ」を作成。 国際UD会議で発表したり、現在は道徳教材となり、小中学校等で活用されています。 あれから20年以上が経ち、社会も、私たちの活動状況も大きく変わりましたが、 「見えない音を見えるようにする」アイデアを考え続けるのは楽しいものです。 音カタログ http://kyoyohin-net.com/oto/ 写真:『“音”を見たことありますか?』 12ページ 「プリペイドカード」JIS見直しの経緯 工業デザイナー 永井武志(ながいたけし) 1990年代、日本ではテレホンカード、オレンジカードなどのプリペイドカード(以下プリカ)が広く普及していた。 1993年E&Cプロジェクトが最初に実施した「視覚障害者の不便さ調査」によると視覚障害者の75%がプリカを利用していた。 プリカはサイズ、厚みが同じで・カードの種類が分からない・表裏や挿入方向が分からない・残額が分からない等の不便さが明らかになっていた。 これらの問題を解決しようと「カード班」が活動を開始した。 広く普及した多くのプリカを手で触っただけで識別するために多数のモデルを製作し、 視覚障害のあるメンバーの協力を得ながら試行錯誤を繰り返し提案をまとめた。(図1) 最初の提案は数あるプリカをテレホンカード、乗り物カード、買い物サービスカードの3種類に分類しカードの切り欠きによって識別し、 同じ種類のカードを持った時には自分でマーク(セルフマークと名付けた)を付け区別するという案であった。 この案は93年に銀座で開かれた共用品の提案展で発表され、好評を得た。 この提案を広く普及させるにはJIS規格にするのが良いのではと考え、日本規格協会に相談に伺った。 ちょうど94年がプリカ規格の見直しの年に当たり、E&Cのメンバー二人が審議委員として参加させていただいた。 広く普及しシステムとして出来上がっていた規格の改訂ではカードの関連機器に問題が発生しないようにしなければならず、 触覚による識別に許された加工スペースは最大で幅20ミリ奥行き1ミリの範囲しかなかった。 この条件の中でモデルによる試行錯誤を繰り返し図2のような案に決定した。 切り欠き間口の幅の違いと、底の形の違いで三種の識別が出来るようになった。 この切り欠きを左手前に来るようにカードを持てば表裏と挿入方向が自然に分かるようになった。 切り欠きや点字を使ってのセルフマークはカード関連機器にトラブルが起こる可能性があり規格には採用されなかったが、 参考意見の中には表記され、96年3月に「JIS X 6310プリペイドカード一般通則」として制定された。 私はフリーランスの工業デザイナーとして産業機器の製品デザイン開発に携わりながらE&Cプロジェクトの初期から参加、 カード班のメンバーとして活動させていただいた。 当時のE&Cは多種多様な職業の方々が集まり「皆が共に使う」という共通テーマを話し合う珍しいグループであった。 問題点を見つけ出し、解決案を考え、提案し、実現する活動はデザインプロセスそのものであった。 ただ、当時「皆が共に使う」の「皆」は健康で生活できる平均的な人をイメージしており、障害がある人、高齢者には思いが至っていなかった。 E&Cの活動を通し、生活に必要なモノやサービスをデザインする時、 最初の企画段階で「障害のある人もない人も」全ての人に配慮する事の重要性を強く意識するようになった。 E&Cの活動が仕事の上でも大いに役立ち、深く感謝している。 図1:最初に提案したカード識別の方法 図2:JIS規格になった切り欠き形状 13ページ キーワードで考える共用品講座第103講 「内と外からみたE&C」 日本福祉大学客員教授 後藤芳一(ごとうよしかず) 「内と外」について、E&C(Enjoyment & Creation以下、E&C)プロジェクトの中と社会との関係(X:組織の内と外)、 参加した個人とプロジェクト(組織)との関係(Y:個人と組織)、個人の内と外(Z:個人の動機)という視点で考えよう。 E&Cが果たした役割は共用品が、兆しの段階・形として見えず・推進体制はなく・需給方法が定まらない段階から、 概念を整理し・形にして・推進体制を設け・社会に用いられるところを担ったと整理できる。 ▼1.E&Cの内と外(Xの1:内側)  内側からみた特徴は、第1は、不便さのある当事者(利用者)、デザインや製造・サービス(供給者)、行政が参加した(タテの広がり)。 その結果、ニーズ→対策→政策という川上と川下を内部で往復でき、社会に適用しやすい解決策を磨くことができた。 第2は、モノ(例:玩具、家電)からサービスまで分野横断的に参加した(ヨコの広がり)。 その結果、縦割りでは気づかなかったことを発見し、不便さへの対応策も、より普遍的に考えられた。 第3は、非公式の組織(市民団体)として活動した。その結果、意思決定を速くでき、 特定業界の利害や省庁の所管から自由で、仮説段階のものを試すという機動的な活動ができた。 ▼2.E&Cの内と外(Xの2:外側)  社会から見ると、第1は、内部にタテの機能が揃ったことで、ニーズ(不便さ)を実践的で速やかに提言や対応策につなげられた。 第2は、特定の業界、障害種別、政策から自由であったことで、法人としては任意でありながら、社会的な働きかけに際して公共性を持った。 第3は、第1と第2の点が相まって、E&Cは当事者団体、企業、行政等に対して当分野の窓口の役割を担うこととなった。 ▼3.個人とE&C(Y)  組織内や個人で活動した場合と比べた特徴は、第1は、企業や団体を離れた個人の立場で参加した結果、 問題意識(例:自社や他社の製品の不便さ)を、立場を離れて議論できた。 2は、専門の異なる人たちが集まったので広い視点から議論でき、自分の専門を他流試合で深められた。 第3は、問題意識を共通のよりどころとすることで、同志のようなつながりになった。 基本の路線を心配しなくて済む分、各論は大胆に展開できた。 第4は、組織として働きかけることで、産業界、行政などから信用を得て、市場、標準や規格、制度、政策を動かすことができた。 ▼4.個人の内と外(動機)(Z)  1~3を除いて残るのは個々の参加者の内側の動機である。第1は、場として新鮮だった。 自分の専門性を速やかに社会に反映でき、自分の真のウデが試された。 活動や意思決定の方法が日ごろ勤める企業や団体と違って非官僚的だった。結果として別世界にいる感覚があった。 第2は、もう一つの自分を発見できる場になった。自分の意思で参加して制約なく活動できるのは、 自由である分、制約を〝言い訳〟にできない場であった。 自分は何をしたいのかを考え、組織で指示のもとで動く自分ではない、もう一つの自分が見える場だった。 第3は、指示や成果が動機ではなく、気持ちで参加できる場だった。代表者や事務局の人柄や、同志の仲間がいたことで、意義を感じられる居場所になった。 雰囲気が前向きで元気がもらえた。自分からも元気がでた。「楽しい」を動機に活動してよい場があると分かった。 一般にはX→Y(→Z)の順で動くのに対し、E&Cは、X的な目的は掲げつつも、実際の原動力は後半(Z側)が強い集まりだった。 その分、動機は元気だった。「不便さ」への向きあい方に手本がない時期に始めたので、道筋は探索的に考えるしかなかった。 逆のように見えながら、この順序が必要だった。創始者たちが名前に込めたenjoymentの精神は、こうした活動を導く〝魔法〟だったのかも知れない。 14ページ 西荻センターまつり2018 西荻地域区民センター(東京・杉並区)で3月3~4日、「西荻センターまつり2018」が開催されました。 このイベントは、子どもたちが多く来場する地域のイベントで、共用品推進機構も出展し、共用品の展示とクイズを行いました。 クイズは、シャンプー・リンス・ボディソープ容器の工夫や振動する体温計の他、千代田区や文京区のイベントでも好評の、 箱の中にある動物の玩具を触って当てるクイズを行いました。 クイズに正解した子どもたちには、(一財)日本児童教育振興財団と小学館集英社プロダクションからご提供いただいた 「忍たま乱太郎の落書き帳」と「おはスタのマスク」をプレゼントしました。 来場者からは、「こんな便利な物があるのは知らなかった。他の人にも教えたい」、 「家に帰って、缶に点字があるかどうか確かめてみます」等の感想をいただきました。 写真1:景品の忍たま乱太郎の落書き帳とおはスタのマスク 写真2:クイズの様子 共用品研究所 第二回 勉強会 共用品研究所(2017年1月1日に設置、後藤芳一所長)では12月18日に第二回勉強会を開催し、研究所外からは23名の方が参加されました。 前回の勉強会で皆様から前向きなご関心をいただきましたので、二回目となる勉強会は「共用品の研究とは何か―実践と研究の関係―」をテーマに、 研究により近づいたプログラムとしました。 研究ルールを中心とした講演1「研究とリサーチ・クエスチョンについて」(山内繁<やまうちしげる>)運営委員)は、 多くの方にとって初めて知る内容だったようです。難しかったというご感想とともに、理解が進んだ、考え方が整理できた、 研究について再認識したという声が聞かれました。 日本点字図書館の和田勉(わだつとむ)氏にお話しいただいた講演2 「研究事例―点字・触知関連規格作成のための調査・研究事例について―」には、 具体的事例でわかりやすかった、経緯を聞けて納得した等のご感想がありました。 実践の場に身を置きながら研究されたプロセスに、企業の関連部門に所属する皆様が関心を持たれたようです。 研究に取り組むことで共用品の普及に側面から寄与でき、取り組むご本人の専門性も高まります。 こうした活動を進めるために、来年度も勉強会を計画しています。 関心のある皆様のご参加をお待ちしています。 松森ハルミ(まつもりはるみ) 写真:勉強会の様子 15ページ アクセシブルデザイン関連JIS、3件制定 2月20日、年齢や障害の有無にかかわらず、使いやすい製品にするためのアクセシブルデザイン関連JISが3件、制定された。 いずれも消費者のニーズに応えるために作成されたもので、ここでそれぞれの内容を紹介したい。 ■JIS S 0012:2018 アクセシブルデザイン―消費生活用製品のアクセシビリティ一般要求事項 本規格は2000年に発行されたJISの改正版である。 製品を使いやすく設計するときに留意すべき基本的な配慮事項を規定している。 旧規格に規定された設計の基本をもとに、本文を「情報表示」と「操作・取扱い」に分け、 規定項目及び推奨項目を示すことによって、各配慮が分かりやすい規格となっている。 ■JIS S 0020:2018 アクセシブルデザイン―消費生活用製品のアクセシビリティ評価方法 本規格には、製品の使いやすさに関する評価のための、評価基準表が掲載されている。 これを利用して製品の評価を行うことにより、製造者や販売者は、 自社の製品がアクセシビリティに配慮していることを消費者へ効果的に伝えることが可能になり、 アクセシブルな製品の普及が促進される。統一した基準による評価の普及により、 使用者だけでなく流通、公共調達の関係者、施設等の設計、運営者にとっても、設計や購入上のガイドとして役立つ。 ■JIS S 0043:2018 アクセシブルデザイン―視覚に障害のある人々が利用する取扱説明書の作成における配慮事項 本規格は製品の取扱説明書作成に関して、高齢者を含む、視覚に障害のある人に対する配慮事項について規定している。 視覚に障害のある人々が製品を安全かつ適切に使用できるようにするために、取扱説明書に対する配慮事項を定める必要がある。 視覚に障害のある人が利用できる取扱説明書を作成することにより、製品のアクセシビリティを向上できる。 金丸淳子(かなまるじゅんこ) 写真1:改正されたJIS S 0012:2018 写真2:制定されたJIS S 0020:2018 写真3:制定されたJIS S 0043:2018 「アクセシブルデザインシンポジウム2018」開催 平成30年1月30日、共用品推進機構が事務局を務めるアクセシブルデザイン推進協議会(ADC)が、 YMCAアジア青少年センター(東京・千代田区)で、シンポジウムを開催しました。 「誰もが暮らしやすい社会を目指して」と題して、静岡県立大学石川准(いしかわじゅん)教授、 NPO法人表皮水疱症友の会宮本恵子(みやもとけいこ)代表理事、 東洋大学山田肇(やまだはじめ)名誉教授から、それぞれのお立場で高齢者、 障害のある人に関する国内外の最新動向についてご講演をいただきました。 森川美和(もりかわみわ) 16ページ E&Cプロジェクトは学校だった 【事務局長だより】星川安之 今回の特集であるE&Cプロジェクトが活動した91年4月から99年3月までの8年間を、 改めて振り返ると、「学校」という言葉が浮かぶ。 E&Cの第一回の会合に集まった20人は、その時まだ言葉すらなかった 「障害の有無、年齢の高低にかかわりなく共に使える製品・サービス」を、 社会に広げるというよりも、自分の会社や所属機関で創り出すには?という思いが参加動機だった人が大半であった。 異なる分野から集まった幅広い年代のメンバー自己紹介は、それだけで楽しかった。 一回目の会合で、事務局を仰せつかった私が、会合の最後に、2カ月に一度の間隔で会合を持つことを提案したところ、 TOTOで既にバリアフリーの仕事に長年従事していた坂本鐵(さかもとてつじ)司さんが、「2カ月に一度では、間延びがする。 少なくとも1カ月に一度は集まるべき」と提案し、参加者はきょとんとしながらも合意。 それから8年間、一度も休むことなく、毎月第二土曜日が、E&Cの日となった。 自社や所属機関を優先するだけでは、共用品は社会に広がらないとメンバーが実感したのは、 二回目の会合。木塚泰弘さんから彼の朝起きてから夜寝るまでの話を聞いた時だった。 久里浜にある国立特殊教育研究所で視覚障害研究の責任者であった木塚さんは、全盲。 メンバーの中には、生まれてこのかた、目の不自由な人と話をしたことがある人は少なかった。 目の不自由な人が、着る服をどう選び、食事では、ごはん、おかずの場所をどうやって知るのか?外出は?銀行では?などについて、 一つ一つユーモアを交えての話しに、皆、心が釘付けになった。 アイデアマンの花島弘さんは、みんなで不便さ調査をしようと提案。 東京都心身障害者センターで、20名の視覚障害者を紹介してもらい、 2人1組になって家庭訪問をし、見えなくて不便なこと、工夫していること、 あったらよいと思う製品を聞いて回った。 日立製作所で商品企画を担当していた田沢健一(たざわけんいち)さんは、 訪問した家庭に自分が企画し製品化した洗濯機を発見、嬉しくて「これ自分が企画した洗濯機です」と話した。 盲婦人から返ってきた答えは「前の洗濯機のボタンは触ってわかったけれど、今度のはシートスイッチ、私には使いづらいです」だった。 目からウロコが落ちた田沢さんは、自社に戻りシートスイッチに凸点や点字を付けることを提案、採用された。 その工夫は、家電製品協会から、日本工業規格へ、さらにはISO(国際標準化機構)へと広がり、今では多くの国で採用されるに至っている。 8年間は、そんな嬉しいできごとの連続だった。E&Cのメンバーは、誰もが先生であり生徒だった。 E&Cは、法人格はなかったが、確かに存在した学校だったと、今、振り返ってしみじみ思う。 共用品通信 【イベント】 ADシンポジウム2018(1月30日) 西荻センターまつり2018(3月3、4日) 【会議】 第3回TC173/SC7国内検討委員会(1月25日) 第2回TC159国内検討委員会(1月26日) 第2回AD国際標準化委員会(2月1日) 【講義・講演】 東京都荒川区立赤土小学校 共用品授業(2月3日、森川) 千葉県いすみ健康福祉センター 共用品講演(2月16日、森川) 【報道】 2センチ超えの段差を解決 日本経済新聞(1月27日) 片手で使えるモノ 日本経済新聞(2月24日) 訪日外国人の「便利」、「不便」 時事通信社 厚生福祉(12月5日) 「共に」の扉を開けた「喜びの歌」 時事通信社 厚生福祉(1月5日) 金沢市を手話で観光案内 時事通信社 厚生福祉(2月6日) 電話リレーサービス 時事通信社 厚生福祉(3月2日) 赤い椅子のある街(トイジャーナル1月号) 第7版の広辞苑 共用品を掲載(トイジャーナル  2月号) 手袋の工夫(エルダリープレス 高齢者住宅新聞 1月号) トランプ(エルダリープレス 高齢者住宅新聞 2月号) AD登場の背景 標準化と品質管理(日本規格協会 1月号) アクセシブルデザインの総合情報誌 第113号 2018(平成30)年3月25日発行 "Incl." vol.18 no.113 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2018 隔月刊、奇数月に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電 話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:http://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 山川良子 事務局 星川安之、森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、田窪友和 執 筆 後藤芳一、杉山雅章、谷川憲司、永井武志、西川奈美、松森果林、宮田桂子、望月庸光 表紙デザイン ㈱グリックス 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、 非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。 その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。 上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。