インクル135号 2021(令和3)年11月25日号 特集:東京2020パラリンピックと共用品・共用サービス Contents パラスポーツの裾野を拡げること、子ども達の未来につなげること 2ページ 大会の安全・安心を支えたアクセシビリティ 5ページ インクルーシブ社会への扉を開いた国立競技場の取り組み 8ページ 「共生社会の未来を視る」 10ページ 東京2020オリンピック・パラリンピックの放送 11ページ 東京パラリンピック競技大会で試みられた、新たな解説放送に期待 12ページ すべての放送番組へ手話言語付与を 13ページ らくらくおでかけネット及び案内用図記号の改定 14ページ 千駄ケ谷駅の改良について 15ページ ふれる博物館企画展「タッチ the スポーツ!」開催 16ページ キーワードで考える共用品講座第125講 17ページ 「ADシンポジウム~2021新しい生活様式とAD~」報告 18ページ 『耳の不自由な人をよく知る本』と『めねぎのうえんのガ・ガ・ガーン』 19ページ 事務局長だより 20ページ 共用品通信 20ページ 表紙写真 提供:Kevin Subban パラリンピック南アフリカ選手団長 レオン・フレーザー氏 2ページ パラリンピック 特集 鳥原会長インタビュー パラスポーツの裾野を拡げること、子ども達の未来につなげること  今から5年前の『インクル』100号で、鳥原光憲会長に「裾野を広げて、2020東京パラリンピックの大成功を目指す」と題してインタビューを行った。 当初順調に進んでいたように思えた大会準備は、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けた。 約1年間の開催延期を経て、2021年8月24日に開幕、9月5日に無事閉幕。本誌では、全行程を終えて鳥原会長が今思うことをうかがった。 鳥原光憲(とりはら・みつのり) 公益財団法人日本パラスポーツ協会会長 日本パラリンピック委員会会長 星川安之(ほしかわ・やすゆき)=聞き手  エックスワン=写真 ―まず、大会を終えて伝えたいことはありますか。    多くの国から敬意と感謝の言葉が届いています。この厳しい状況の中で、東京2020パラリンピックの開催を決断し実行した政府、東京都、組織委員会、関係機関に対して、日本だから、東京だからできたと言われています。 そしてボランティアの人達のおもてなしに対しても、多くの賞賛と感謝の声が届いていることをお伝えしたいと思います。 ―日本が開催国としての責任を果たした意義は大きく、国際社会での信頼が増したと思います。このような状況下でも、日本の選手達は大活躍し、大会としても大成功でしたね。     自国開催であったこと、コロナ禍で一年延期、国内外の競技大会は一切中止になる中、行動の制約があり、精神的にも不安な部分もありました。 けれどそういう状況を乗り越えてきてた選手達は、競技にかける意気込みや意識がとても高かったんです。 ―成功の要因を教えてください。   一つ目は、大会の開催が決まって(パラ)スポーツ行政が、厚生労働省から文部科学省に代わり、 そしてスポーツ庁ができたこと、それらによって、パラスポーツに関する支援が強化されたことです。 予算も拡充され、ナショナルトレーニングセンターが拡充され、 パラスポーツ仕様の最先端設備が整った屋内トレーニング施設ができたことも大きな要因です。 この効果は、東京大会以降、パリ大会で一層効果をあげると思っています。  二つ目は、メダル候補の選手や競技を特定し、戦略的に予算、人を配置して強化をはかったことです。 専任コーチをつけるとか、医・科学的なサポートなどを行いました。 その強化のサポートには、パラリンピックの関係者だけでなく、オリンピック関係の専門家に加わってもらい、 オリンピックでの経験やノウハウをパラリンピックに生かせたということです。  三つ目は、企業の協力です。東京2020パラリンピックパートナーをはじめ多くの企業が、さまざまな面で協力してくれました。 その協力は、資金面だけではなく社員の幅広いボランティア活動もありました。 今大会の選手は、学生を除き、ほとんどは企業や官公庁などに所属している人達でした。 1964年の東京パラリンピックの時の選手団のほとんどが、医療機関やリハビリなどを行う福祉施設から参加した人達だったことと比べると、大きな社会の変化を感じます。 企業に所属していることで、海外遠征などのバックアップも得られています。  四つ目は、企業だけでなく、学校、地域でパラスポーツの普及・啓発活動が盛んに行われてきたことです。 6年前から目標としてきた「裾野を広げる」ことにつながりました。それらの活動を通じて、パラスポーツファンがとても増えてきました。 これらすべてが、選手達の活躍につながったと思っています。 ―会長は当初から、「パラリピックを一番見てもらいたいのは『子ども達』」と話しておられましたが、どのようにお考えですか。  子ども達にパラスポーツを知ってもらう活動が始まったのは、2013年に東京での開催が決まった時からです。 成長期にある子ども達が、パラスポーツを観戦することで、いろいろな気づきが生まれます。 逆境にめげずに限界に挑戦するパラアスリートを見て、自分達も頑張らなければという気持ちも生まれてきます。 パラアスリートと接することで、子ども達に分け隔てのない心が育まれ、それは将来の日本の社会を、違いを認め合うより良い社会に変えていくことにつながるであろう、 そんな願いから、パラリンピックを子どもたちに一番見てもらいたかったのです。障がいのある人と接したことのない子どもがほとんどです。 パラスポーツの体験学習では、障がいのある選手と子ども達が、直接のやり取りを行います。「苦手なことやできないことはなんですか?」、 手の不自由な選手に対して、「食事はどうやって食べるの?」「背中はどう洗うの?」など素朴な質問が飛び出します。  これに対して選手は、実演してみせたりします。できないと思っていたことも、いろいろ工夫すればできるということを、子ども達は学びます。 選手達の工夫や努力を目の当たりにすることで、あれができない、これができないなどと、言っていられないという気持ちへと、変わっていくのです。  水泳の木村敬一選手は、リオのパラリンピックの前の体験学習で、生徒に「何色が一番好きですか?」と聞かれ、「私は、幼少のころから目が見えないので、 色についてはどの色がどんな色をしているかということは分かりません。けれど、一番好きな色は金です。金メダルの色です」と、ユーモアを交えて答えました。 子ども達は心を打たれ、印象に強く残ったと思います。彼は、リオのパラリンピックでは金メダルをとることができませんでした。 表彰式で「君が代」を聞けなかったことが本当に悔しかったと話していました。今回の東京パラリンピックでは、表彰台で「君が代」を聞くことができました。 木村選手の号泣する姿は多くの人の心に残っている場面のひとつでしょう。 ―変わったのは子どもだけでしょうか。  体験学習では、パラスポーツの競技大会の観戦もあり、例えば金曜日に学校の課外授業として競技大会を見に行き、 パラスポーツを好きになった子ども達が、次の土曜や日曜、親や兄弟を案内してその競技大会に観戦に行くといったことも多く見られるようになりました。 ―子どもが学んだことが親に伝わり、親も学ぶことができるのですね。  英語ではリバースエデュケーションと言いますね。子どもがパラスポーツで学習したことが親に伝わります。 一例として、親子がホテルで、エレベーターに乗る時に、車椅子の人がいるのに親が先に乗ろうとして、子どもに注意されたという話を聞きました。 ―今回の大会でのレガシーについてどのようにお考えですか。  最も大きなレガシーは、多くの国民に多様性を尊重する共生社会への気づきが生まれたことだと思います。 それとともに、ユニバーサルデザインという観点で、社会基盤が整備されたことも大きなレガシーの一つでした。 大会関連施設、開催都市、公共交通機関、そしてホストタウンにもユニバーサルデザイン化が広がっています。 また関連する法令も改正され、合理的配慮などは、公的機関だけでなく、民間にも広がりました。 ホテルも、バリアフリー対応客室が、総客室の1%以上と義務付けられましたし、都条例でも客室入口のドア幅を80㎝以上にする基準が決まりました。 障がいのある人だけでなく、高齢者や子育て世帯を含めて、誰もが活動しやすい社会基盤が今後あたり前のようになっていくと期待されます。 ―最後に、パラスポーツの裾野を拡げることについてお聞かせください。    パラリンピックを契機に、パラスポーツへの関心、理解が一挙に高まりました。こうした変化をパラスポーツの裾野を拡げる環境づくりにつなげていくことが最大の課題です。 障がいのある誰もが身近な地域で日常的にスポーツを楽しめる環境を整えるためには地域社会の人たちが支え合う体制づくりが不可欠です。 その点で、全国109の自治体で展開されている「共生社会ホストタウン」の活動は大変重要です。 今後パラスポーツの裾野を拡げるために、共生社会ホストタウンとの連携を図っていきたいと思います。  また最近、全国で五千か所近くに増えている「子ども食堂」のことを知りました。 ここは、子どもだけでなく、孤立し疎遠になっている地域社会の人達がつながり支え合う多世代交流の場になっています。 こうした「子ども食堂」のように、パラスポーツを障がいの有無にかかわらず、誰もが一緒に楽しむ交流の場づくりに活用し、 地域共生社会の実現に寄与していくことに、パラスポーツの裾野を拡げる大きな意義があると思います。  長年、共用品推進機構の「良かったこと調査」委員会の委員長をしていただき、社会に「良かったこと」を拡げてくださっている鳥原会長が、 パラリンピックを終え、すぐに次の課題の舵取りをされていることをお聞きすることができ、とても嬉しい時間でした。 共用品推進機構も裾野を拡げることに、少しでも力になれたらと思います。 写真1:パラリンピック会場風景 写真2:パラリンピック開会式の様子 写真3:パラスポーツの体験学習の様子 2021.11.25 5ページ 東京オリンピック・パラリンピックを振り返る 大会の安全・安心を支えたアクセシビリティ  今年8月24日から9月5日に開催された東京2020パラリンピック競技大会は、新型コロナウイルスによる大会延期や感染対策に伴う制約にも関わらず、 過去最高だったロンドン2012大会の164に迫る162のNPC(各国パラリンピック委員会)と難民選手団から、過去最多となる4403名の選手が参加しました。 東京大会で初めて採用されたバドミントン、テコンドーを含む22競技、539種目が実施され、アーチェリー、陸上競技、自転車、パワーリフティング、射撃、水泳の6競技で合計153種目の世界記録が樹立されるなど、 各競技で、新型コロナウイルスの影響を感じさせない非常に高いレベルの戦いが繰り広げられました。 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会パラリンピック統括室=文・写真 最もデジタルに繋がった大会  東京2020パラリンピックは残念ながら、多くの会場において無観客での開催とはなりましたが、 東京大会はパラリンピック史上過去最多の19競技と開閉会式の中継映像が制作されたことにより、日本選手団の活躍する姿が多くの方に視聴され、感動の瞬間が共有されました。  また、世界中でテレビやストリーミングで大会が観戦されるとともに、多くの人が自身の感動をSNSで発信したり共有したことにより、史上最もデジタルで人々が繋がった大会と言えます。 新型コロナウイルスで分断された時間を経て、パラアスリートが東京の舞台に集い、素晴らしいパフォーマンスを繰り広げた光景は、今の時代に、多くの人々に希望をもたらしたと確信しています。 パラリンピック閉会式当日に共同通信が公表した世論調査では、7割近い日本国民が、大会を開催して良かったと回答しています。 大会の価値が多くの方に伝わり、開催の意義を一人でも多くの方に肯定いただけたと認識しています。 アクセシビリティ・ガイドライン策定の経緯と目的    障がいの有無に関わらず、すべての人々にとってアクセシブルでインクルーシブな東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を実現するため、 東京2020組織委員会では、国の関係機関、東京都、関係地方公共団体、障がい者団体等の参画を得て「Tokyo2020 アクセシビリティ・ガイドライン」を策定し、国際パラリンピック委員会(IPC)の承認を得ました。  ガイドラインは、東京2020大会の各会場のアクセシビリティに配慮が必要なエリアと、そこへの動線となるアクセシブルルート、輸送手段、 組織委員会による情報発信・表示サイン等のバリアフリー基準、ならびに関係者の接遇トレーニング等に活用する指針となるものです。  組織委員会は、このガイドラインに基づき、東京大会に必要なアクセシビリティを確保すべく環境整備を図ることで、 障がいの有無に関わらず、すべての人々が相互に人格と個性を尊重し合う共生社会の実現に貢献することを目指しました。 ガイドライン適用の取組み    策定されたガイドラインは、大会開催に向けた様々な準備プロセスで関係者に活用されました。  大会会場についてはまず、会場所有者にガイドラインを提供し内容の説明を行うとともに、ガイドラインを踏まえた施設整備を働きかけました。 また、大会時にのみ必要な仮設設備を担当する組織委員会職員や設計事務所を対象にガイドラインの説明会を行いました。 さらには、大会に関する情報発信を行うウェブページのアクセシビリティの確保や、会場内で運営する各種サービスの仕様の詳細な検討、サービスに関わるスタッフの接遇トレーニング等、あらゆる場面において参照されました。  これらの準備検討のプロセスは、組織委員会の職員と事業者だけで粛々と進めるのではなく、IPC、国際競技団体、各国パラリンピック委員会等、アスリートを含むパラリンピックに精通した国内外の関係者も参加しています。 幾重にも議論して積み上げた運営計画を、テストイベント等での検証を経て最終化した大会の計画は、多様な当事者それぞれのニーズを踏まえた非常にきめ細やかなものとなりました。 新型コロナウイルスとアクセシビリティ    このように2020年に入るまで順調に大会準備を進めてきていたところに、新型コロナウイルスの世界的流行が発生し、2020年3月に大会を延期するという決定がなされました。  オリンピック・パラリンピック史上初めてとなる延期により、私たち東京2020大会組織委員会は、これまでの大会組織委員会や、IOC(国際オリンピック委員会)、IPCでさえ経験したことのない大会準備に取り組むことになりました。 大きな課題は大会延期により発生する追加経費を抑制するための大会の簡素化と、新型コロナウイルスへの対策でしたが、 アクセシビリティの維持、確保は組織委員会として強く意識されており、延期後の大会計画でアクセシビリティが疎かにされることはありませんでした。 むしろ、すべての人に安全で安心な大会環境を提供するため、アクセシビリティはその指標の一つとして大いに意識されることにもなりました。 空港到着時の対応    新型コロナウイルス対策で、様々な新たな手続きや制約が設けられた中で、今年7月に入ると各国のオリンピック選手団が、国内各地での事前トレーニング等のために続々と入国しました。  新型コロナウイルス禍での特別入国ということで、到着した大会関係者は空港内でまず、出発前に日本政府に承認された来日中の活動計画書や、 出国前に取得を義務付けられた陰性証明書を提示し、その上で入国審査の前に新型コロナウイルス検査を受けました。 また、大会関係者は他の入国者と動線を分離された状態のまま空港から選手村等、滞在場所へ移動しました。  新型コロナウイルス検査の手続きのため、関係者の空港滞在時間は増加し、またそのスペースの確保等の課題に対応しながらの運営でした。  オリンピック関係者の入国対応が落ち着いてきた7月半ば、国から組織委員会へ、空港での手続きや移動にサポートを必要とするアスリートがいるパラリンピックの選手団の空港対応を相談したい、という話がありました。 ちょうどその頃、パラリンピックで南アフリカの選手団長を務めるレオン・フレーザー氏がアクセシビリティの担当者に会いたいという連絡が入りました。 フレーザー氏は、オリンピックの選手団として既に来日しており、空港到着時の運営や選手村のアクセシビリティの改善点を伝えたいとのことでした。 フレーザー氏は以前から大会計画のレビューのためIPCから派遣されるなど、東京大会の準備に精通した人物であり、早速選手村に彼を訪ねました。  多忙なフレーザー氏に配慮し、まずは空港の課題のみに絞って伺うと、特別入国の為に設けられた動線の長さや通路幅、 降機の直後に多くの車いす使用者はトイレに行く必要があること、どのような手続きや手順が必要なのか誰からも説明がないこと、 関係書類を何度も提示することを求められるがそのような動作が難しい身体機能の関係者には配慮が必要であることなど、矢継ぎ早に具体的な指摘と改善提案をいただきました。  フレーザー氏の提案は国にも予め共有した上で、成田、羽田両空港の各ターミナルを視察しました。 フレーザー氏が指摘した改善箇所をその場で協議し、対策の方向性について共通認識を持つことができました。 田空港では日本人パラリンピアンによる視察も実施されました。  その後、オリンピック終了直後、IPCによる最後の空港視察に臨みました。検査後の待機スペースの作り方等、 IPCからの細かな指導も対応に反映するなど可能な限りの準備を経てパラリンピックの選手団到着のピーク期に臨んだ結果、 大きな混乱や遅延が発生することなく選手団の受入れと選手村などへの輸送を行うことができました。 パラリンピックのため再度来日したフレーザー氏からも、空港での対応はオリンピック比べて大幅に改善されたとコメントをいただくことができました。 選手村のアクセシビリティ  空港とは別に、オリンピック開催中の7月末に再度フレーザー氏に時間をいただき、今度は選手村のアクセシビリティについて、選手村の担当者も同席して話を伺いました。  東京大会の選手村はパラリンピック時に必要なアクセシブルな滞在環境の実現を強く意識しており、過去大会ではオリンピック後の移行期に行っていた、食堂の飲料を横に同じものが並ぶレイアウトから、 どの高さからでも好きなものが取れるレイアウトへの変更も、オリンピック時から採用していました。  フレーザー氏は既に自身で選手村のあらゆる場所をくまなく回り、基本的にはとても良いと評価したうえで、 パラリンピックでより良い環境とするため、新型コロナウイルスの検査場の動線、居住棟をつなぐ通路を横切る配線カバーの形状など、 車いす使用や視覚障がいなど、様々な障がいのあるアスリートの誰もがストレスなく活動できるよう、留意すべき点を挙げてくれました。 実際に滞在して使い勝手を確認した視点からのもので大変有益でした。  フレーザー氏の助言、更にはIPCによる選手村最終視察での細かな指摘への対処により、選手村はアクセシビリティに問題がない状態で開会式を迎えることができました。 大会中は、各選手団の団長とIPC、組織委員会の連絡会議が適宜開かれますが、開会式直後の会議において、フレーザー氏から「選手村のアクセシビリティは素晴らしい。 細かな指摘にも丁寧に取り組んでくれた関係者の尽力を讃えたい」という発言がありました。 当事者の目線で理解し、ともに対策を考えていくという姿勢が東京2020組織委員会に浸透しているからこそ、このようなコメントをいただけたのだと思います。  大会を契機に、このような取り組み姿勢が多くの方に肯定され、日本各地に広がることで、 「誰もが身近な地域で一生涯スポーツを楽しめる活力ある共生社会の実現」という、東京2020パラリンピック大会で目指した将来が近づくことを願います。 写真:パラリンピック開会式聖火点灯© 2021 Getty Images 写真:『Tokyo 2020 アクセシビリティ・ガイドライン』 8ページ インクルーシブ社会への扉を開いた国立競技場の取り組み 東洋大学名誉教授・国立競技場UDアドバイザー 髙橋儀平(たかはしぎへい) 国立競技場のUD整備がもたらしたもの  近年の公共施設建設でこれだけ大きな社会問題となり、なおかつこれからのユニバーサルデザイン(UD)の取り組みに影響を与えようとしている建設事業は見当たらない。国立競技場のUDは東京 2020大会のテーマである多様性と調和の中から生まれたのであるが、もとはと言えばそのテーマは2006年の国連障害者の権利条約(CRPD)から始まったものだ。CRPDでは多様な人々の 人権の尊重、公平性の確保を第1原則としている。東京大会の施設づくりもその考え方のもとに公平性のあるアクセシビリティの確保を目標としてきた。  東京大会の競技施設や宿泊施設、公共交通機関の整備はこうしてインクルーシブな社会環境を創造することを目指した。その頂点に立ったのが国立競技場の取り組みである。 無観客で終わった大会ではあったが、確実にレガシーが始まりつつある。 始まりはいつも雨  2012年11月、ラグビーワールドカップの主会場を目指した国立競技場改築の国際コンペが終了し、ザハ・ハディドのデザイン案が選ばれた。 この案についてのデザイン面での評価は省略するが、アクセシビリティの対応については、 2013年に公表された国際パラリンピック委員会(IPC)のアクセシビリティガイドを遵守していないことが2014年5月に公表された基本設計で明らかとなった。 結果、公表後まもなく国内の障害者団体から強い反発を受けることとなった。主管である日本スポーツ振興センター(JSC)は直ぐに改善の動きを見せたが、 翌年7月には建設費の膨大な高騰を理由にザハ案が白紙撤回に追い込まれる。 2015年9月、設計者・施工者の再公募が行われ、同年12月大成建設JVチームが設計施工事業者に選定された。 振り返ると国立競技場のアクセシビリティはこの失敗があり、その後のUDワークショップの成功に繋がったといえる。 筆者はザハ案の基本設計公表後に国立競技場UDアドバイザーに招聘され、ザハ案の改善から今日まで関わり続ける。 デザインビルド方式で実現した UD ワークショップの継続性  国立競技場のUDを成功裡に導いた理由は三つある。一つは世界最高のUDを目指すことを掲げたこと。 二つ目はそのために、高齢者や障害者、子育て団体等とのワークショップを行うことを業務要求水準に記述できたこと、 そして三つ目にUDのワークショップの成果を絶えず施工現場につなげられるデザインビルド方式が採用されたことである。 UDワークショップは基本設計、実施設計、施工段階を併せて実に21回開催され、画期的な取り組みとなった。 国立競技場で実現したUDの多様性 (1)車いす使用者用客席  無観客になってしまったが、パラ大会時にはIPCガイドを上回る1・3%となる車いす使用者用客席と同伴席を準備した。 客席配置は車いす席と同伴者席を1ユニットとして孤立しないよう最低2ユニット以上を各階及び水平方向に分散して配置することとした(写真1)。 同時に車いす席からフィールドを観戦する際には前列の人が立位になっても十分に視線を遮ることがないよう「サイトライン」の確保を徹底した。 国内初の国際水準の車いす使用者用客席の誕生である。 (2)車いす使用者用トイレと男女共用トイレ  トイレは機能や設備を適宜配置する分散配置を実現した。トイレ面積の関係で1階外部コンコースの車いす使用者用トイレは多機能化したが、基本は多様な利用者ニーズと必要な設備を組み合わせる機能分散を徹底した。 また多様な同伴パターンや性的マイノリティに配慮しやや広めの男女共用便房を各ブロックごとに配置するなど多様性との調和をトイレ整備でも徹底的に追求した(写真2)。 (3)カームダウンクールダウン  発達障害者団体から、大勢の人がいる競技場では、興奮しやすい状況が生じやすいので気持ちが落ち着ける場所が欲しいとの要望があった。 国内でもほとんど設計事例がないスペースの要望であったが、基本設計段階で予定されていた倉庫などの小部屋を活用することとした(写真3)。 名称やピクトグラムも初めてであったので、施工段階に入りエコモ財団に依頼し東京オリパラ大会関係者を一堂に集めたピクトグラム検討会で統一案を作成した。 この統一案は2020年5月、男女共用トイレピクトなどと一緒にJISに登録され何とか東京大会に間に合った。  この他にも強い要望があった補助犬トイレ(写真4)、磁気ループ席、エレベーター内の緊急時聴覚障害者対応モニターなど沢山のUDを生み出した。 ワークショップの意義とこれからの期待  ワークショップの大きな意義は様々な当事者が一堂に会することによりお互いの経験や発言の真意を共有し、合意に向けた取り組みが必然になることである。 そして設計者や施工者が必死になって次善策を提案する。容易なことも困難なことも含めてUDとは何かに直面し、多様なニーズをインクルーシブする経験を学ぶ。 この経験を如何に拡大できるかが問われている。 写真1:車いす使用者用客席(1階) 写真2:同伴利用可能な男女共用トイレ 写真3:カームダウンクールダウンのスペース 写真4:補助犬トイレ 10ページ 「共生社会の未来を視る」 株式会社東急イーライフデザイン 有安諒平(ありやすりょうへい) 「障害と価値観」  高校生(自由学園)の頃、病気で視力が低下し始めました。当時は、パラリンピックの存在さえ認識しておらず、障害者手帳も、机の奥にしまって生活していました。 スポーツは嫌いでした。ボールは扱えないし、敵味方の区別もつかない。やるほどに自身の障害を思い知らされる。障害を足枷のように感じていました。 障害を重荷として、マイナスとして捉えるネガティブな価値観でした。ところがそれを180度価値転換する出会いがあったのです。  大学(筑波技術大学)に進学し、知人の誘いで軽い気持ちで出場した視覚障害者柔道の大会で、全盲の選手と当たりました。 自分より重い障害の相手を前に、(え、仕掛けてもいいのかな)などと勘違いをしながら試合に望み、私は開始数秒で見事に大の字で天を仰いでいました。 この驚きと衝撃は、次第にパラアスリートへの尊敬と憧れに変わり、パラリンピックに出たい!と本気で思うようになりました。 すると自分の障害が、大会出場へのチケットのように感じました。障害があって良かったとさえ思いました。  この時初めて障害を、本質的にポジティブに捉えたことで、私は本当の意味で障害を受容できたのです。その後、競技を ボートに転向し、さらに世界は広がりを見せました。  「多様性の象徴」とも称される種目で、複雑なクルー編成が魅力の一つです。 全部で5名の選手が乗り込み、視覚障害(全盲、弱視)、運動器障害(上下肢の麻痺や切断等)の選手が混合で男女も2名ずつ、残り1名の舵手は性別や障害の有無を問いません。 様々な工夫や戦略で2000mの直線コースをレースします。今は多様性と向き合いながら練習をする日々です。 「東京大会を経て」  まさに「多様性のるつぼ」と呼ぶのに相応しい超多様性がそこにはありました。パラリンピックには180余ヶ国もの人々が集まり、文化、言語、生活様式、そして障害特性に至るまで、 本当に彩が溢れた空間でした。あの期間中、おそらく世界最大の多様性が東京にあり、小さな共生社会として存在していました。  そして「スポーツ」という共通言語で、苦悩や喜びを、皆で分かち合える、とても素敵な世界を体験しました。  「スポーツ」は共生社会の実現に向け、大きなヒントになると私は思います。 複雑な要素を持つ多様性を受け入れていく過程で、一つの壁となるのは(例えば「障害」に着目した場合)、健常者・障害者といったカテゴリー化だと感じます。 相互理解は多様性包摂への初歩として重要ですが、座学的な知識は、根底にあるカテゴリー意識を拭いきれないように思います。 「障害の有無」というのは本質的な課題ではありません。例えば同じ趣味の仲間として過ごし、仲良くなること。 そして「車椅子ユーザーのAさんと友達になった」ではなく、「友達になったAさんは車椅子ユーザーだった」となることが重要ではないでしょうか。  集団として混ざり合い、共通目的を持ち、楽しく活動していく。 これに「スポーツ」はとてもフィットしますし、パラリンピックは誰もがスポーツで活躍する為の工夫が沢山あります。 より多様な人が一緒にスポーツする上で、障害者の持つスポーツの可能性を最大限引き上げたパラリンピックは、共生社会実現に大きなヒントを与えてくれたと思います。  私個人は今後、パラ距離スキー選手としても活動し、パラアスリートの可能性を広げていきたいです。 写真:「多様性の象徴」とも称される「ボート」競技 11ページ 東京2020オリンピック・パラリンピックの放送  コロナ禍の中で開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技会場は原則、無観客となりましたが、 五輪の開会式から、パラリンピックの閉会式まで、数多くの人達が、テレビやラジオの前に釘付けになり、応援しました。 視覚や聴覚に障害のある人たちも、時間差なく競技を堪能できたのは、各放送局の多大なる努力と技術の賜物です。 ここでは、日本放送協会(NHK)さんに、そのあたりをお聞きしました。 今回行われた、聴覚障害者へのアクセシビリティに関して教えてください。  オリンピック開会式では、手話通訳を付与したダイジェスト番組を放送し、オリンピック閉会式、パラリンピック開閉会式については、 総合テレビとEテレで生中継を行い、Eテレでは全編に大きなサイズで手話通訳を付与しました。  また、オリンピック期間中の週末に放送した「東京2020オリンピック みんなでハイライト」では、MC役のタレントが自ら手話をしながら番組を進行し、 聴覚障害のあるゲストも手話でやりとりに参加したほか、インタビューVTRに手話通訳を付与するなどしました。  さらに、オリンピック・パラリンピックの、地上波での競技中継や関連番組のすべてに字幕を付与したほか、パラリンピック期間中に放送した「あさナビ」では、 生放送の映像を30秒遅らせる間に字幕を作り、画面上で話されるのと同時に出るようにする「ぴったり字幕」という試みを行いました。 開閉会式の手話通訳はどのように行われたかをお聞かせください。  番組に映った通訳者は、耳の聞こえないろうの通訳者で、向かいには、耳の聞こえる手話通訳者で「フィーダー」と呼ばれる方がいました。 フィーダーが、音声情報を手話で伝え、ろうの通訳者は、フィーダーからの情報をもとに、ろう者へ、より詳しく手話通訳する体制をとりました。 画面で音や音声がない時、ろうの通訳者が、視聴者ではなく、画面を見ていたのは、なぜですか。  ろう者同士が会話をする時、視線を合わせて話す習慣があります。 通訳者が常に正面を向いていると、そこに視線が集まってしまうと考え、映像を見てもらう合図として、通訳者に映像を眺めてもらいました。 聴覚障害者からの感想等、教えてください。  開閉会式の手話通訳には、耳の聞こえる家族と聞こえない家族が一緒に楽しめて涙が出た、などの声が聞かれました。 また「ぴったり字幕」には、突っ込みを映像と同じタイミングで笑えて、生放送の楽しさを知った、などの声がありました。 視覚障害者へは、どのような工夫をされましたか。  前述の開閉会式の番組やパラリンピック期間中のハイライト番組などで、副音声解説を付与して放送しました。  また、前述の「あさナビ」では、指示語を極力回避した「聞いただけでも分かる」説明を意識的に行ったほか、 視覚障害のある音楽家に、気持ちをバイオリン演奏で表現していただく、などの工夫を行いました。 視覚障害者からの感想等、教えてください。  前述の「あさナビ」については、障害者向けの特別な番組ではなく通常の番組を視聴している感じで楽しめた、などの声がありました。 一方で、副音声解説も付与して欲しかったという声も聞かれました。 情報アクセシビリティに関し、今後の計画をお聞かせください。  今後については、今回行った試みに対する様々なご意見なども参考にしながら検討していきたいと考えています。 12ページ 東京パラリンピック競技大会で試みられた、新たな解説放送に期待 社会福祉法人 日本視覚障害者団体連合 組織部長 三宅隆(みやけたかし)  視覚障害者がテレビ番組を視聴するときには、視覚的な情報を補うための「解説放送」を利用することがあります。  今大会では、テレビ放送において、開会式と閉会式には解説放送が付与されましたが、競技中継には付与されませんでした。  一方、NHKの新しい解説放送の試みとして、オリパラの開催期間中、限られた競技で、スマホアプリを用いた「自動解説放送」の実証実験が行われました。 ここでは、その実証実験で使われたテストアプリの説明と、使った感想などを紹介します。  このアプリでは、解説放送の音声について、声質は男性と女性、音声速度は、ゆっくりからより早くの4段階より、それぞれ選択します。 私の場合は「女性」を選択し、速度は2番目に早い「早く」を選択していました。解説放送が入る競技の時間にアプリを立ち上げておくと、競技が開始されると同時に解説も聞こえてきます。  ちなみに解説放送が流れない時間帯にアプリを起動すると、次回解説放送が流れる日時と競技名が音声で案内されます。  それでは、実際に聞いた自動解説放送付き競技の中から、大会最終日の9月5日午前に行われたバドミントン女子ダブルス車いすクラスの決勝について説明します。  この試合は、里見紗李奈(さとみさりな)選手と山崎悠麻(やまざきゆま)選手のペアと中国ペアとが対戦し、ゲームカウント2対1で日本ペアが逆転勝ちし、金メダルを獲得したというものです。  私は車いすの方が行うバドミントンがどういうものなのかも知りませんでした。ダブルスについては、横並びになった2人が相対して対戦するのだろうというくらいしか想像していませんでした。  自動解説放送では、通常の解説放送とは違い、実況や解説者が話す合間に解説が入るのではなく、選手の動きやジャッジ、得点状況など、試合で何らかの変化があったところでスマホのスピーカーから合成音声で流れてきます。 当然、実況の声とかぶることもありますが、テレビとは別のスピーカーから流れてくるため、さほど聞きにくさはありませんでした。  合成音声で流れてくる自動解説は、ある程度人の手入力で行われていたそうで、たまに得点やジャッジの修正があるものの、画面に選手がどのように映っているのか、 実況ではなかった選手のしぐさ、日本ペアが効果的に行っていたローテーションという左右が入れ替わる戦法など、実際の変化があってからやや遅れるものの、ほぼ同時に試合の状況を把握することができました。  また、他の競技結果など、字幕スーパーで表示される速報も、解説放送で流れてくることもありました。  最初は自動解説放送で知らない競技を聞いた場合、きちんと内容が把握できるのかを確認するために聞いていましたが、ゲーム終盤の方は気持ちも入ってしまい、優勝したときは、強い感動を覚えてしまいました。  今回の試みは、1つの手段として、視覚障害者も含めた解説放送を必要としている方にとって、有効なものの1つになると思います。 特に今まで我々が放送事業者に対して要望し続けている字幕スーパーの音声化を実現する1つの方法にもなり得るとも考えます。  ただし、スマホを持っていない、あるいは十分に使えていない視覚障害者もいます。 このような方たちのことも踏まえた上で、今後も、解説放送の充実や字幕スーパーの音声化を実現する技術の進歩に強い期待を抱いています。 写真:「自動解説放送」を聞く三宅氏 13ページ すべての放送番組へ手話言語付与を 一般財団法人全日本ろうあ連盟 本部事務所長 倉野直紀(くらのなおき)  新型コロナウイルス感染拡大により、1年の延期そして無観客という過去に例のない形で行われた東京2020オリンピック・パラリンピック大会(以下、東京2020オリパラ)もついに幕を下ろしました。  『まちのバリアフリー』と『心のバリアフリー』という大会のレガシーがどう引き継がれていくかが楽しみな一方、忸怩たる思いもあります。  それは、『情報バリア』が未だに残っているということを改めて思い知らされたからです。 オリパラ大会の開閉会式の放送に手話言語通訳がつかない?  全日本ろうあ連盟(以下、当連盟)は東京2020オリパラの開閉会式の放送にあたり、手話言語通訳を付けるよう、日本放送協会(以下、NHK)等へ要望書を提出しました。 NHKとやり取りを重ねた結果、NHKのEテレ放送では、オリンピック閉会式とパラリンピック開閉会式の映像に手話言語通訳が付きました。私たちの要望を真摯に検討された結果であり、感謝しています。  しかし、当連盟等が要望を出さなければ、手話言語通訳は付かなかったでしょう。なぜなら、放送における手話言語付与についてまだまだ取り組みが遅れているからなのです。  字幕付与率と比べてはるかに低い手話言語付与率内閣府による障害者基本計画(第4次)では、放送番組における字幕付与の目標値はNHK総合及び在京キー5局:100%を打ち出しています。 2020年度の字幕付与率は85%を超えており、100%となる日も遠くはありません。  しかし、手話言語付与については、2027年度までに平均15分/週以上に付与(総務省「放送分野における情報アクセシビリティに関する指針」)と目標値ははるかに低い状態です。  全国で約34万人いるきこえない人の中に、日本語とは異なる手話言語を言語・コミュニケーション手段として使うきこえない人は約19%(厚労省:平成18年身体障害児・者実態調査結果)といわれています。 韓国や台湾では、東京2020オリパラ開閉会式の放送番組に手話言語通訳が付与されていました。それに比べて、日本では、放送番組におけるバリアがまだ、はるかに高くそびえたっているのです。 今回のNHKの取り組みをきっかけに、総務省には手話言語付与率100%の目標値を設定することを求めたいと思います。そして、放送番組への手話言語通訳付与について、社会の理解がさらに進むことを願っています。 写真1:台湾の例 写真2:韓国の例 14ページ 2020東京オリンピック・パラリンピックに向けたらくらくおでかけネット及び案内用図記号の改定 公益財団法人交通エコロジー・モビリティ財団バリアフリー推進部  新型コロナ感染症の影響により、一年開催が延期されていた東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、東京オリパラ)が2021年7月~9月まで開催されました。 一部を除き無観客、バブル方式の導入など、感染防止対策を行いながらの前代未聞の開催となったことは記憶に新しい所です。 今回は東京オリパラに向け取り組みました「らくらくおでかけネット」と、案内用図記号(ピクトグラム)の改定についてご紹介させていただきます。 らくらくおでかけネットの改定  らくらくおでかけネットは、高齢者や障害者等が公共交通機関を円滑に利用するため、鉄道駅、空港、バス・旅客船のターミナルにおけるバリアフリー設備の情報やバリアフリー化された移動経路の情報を提供しています。 東京オリパラ開催を迎えるにあたり、2019年度に日本財団の支援を受けて大規模な改修を行いました。 主な改修点としては、サイト内の各所に散在していたバリアフリー情報の整理、スマートフォンの画面サイズに対応した表示、ウェブアクセシビリティに対応した音声読み上げなどです。 さらに、海外から来日する利用者のために英語表示への切替や、ロービジョン者や高齢者のためにフォントサイズ切替などの機能も加えました。 らくらくおでかけネット https://www.ecomo-rakuraku.jp/ja  また、現状の大多数の鉄道駅では、車椅子使用者が車両に乗降する際、駅員等による渡り板の設置がされていますが、単独で乗降できるようにすることを望む声が多く、 鉄道事業者はプラットホームと車両乗降口との段差・隙間を縮小するため、ホームの嵩上げや段差解消ゴムの設置などを行っています。 そこで、車椅子使用者等に段差・隙間の情報をわかりやすく提供するため、駅ごとに検索できるよう国土交通省鉄道局と連携し、鉄道事業者の協力のもと情報内容の拡充を図りました。 案内用図記号(ピクトグラム)の改定  文字や言葉を要さず、ひと目でその表現内容を理解することができる案内用図記号は、アクセシブルデザインのひとつであり、今回のオリンピック開幕式でのパフォーマンスにより、多くのメディア等でもとりあげていただいたようです。  東京オリパラ開催が決定してから、必要となるであろう図記号の検討作成を進め、標準案内用図記号ガイドラインは2017、2020、2021と改定いたしました。 2017では、新規に18個と1項目、見直し5個を追加し、JIS Z 8210(案内用図記号)に18個登録されました。2020では、新規に20個、削除は8個となり、JIS Z 8210には7個登録されました。 2021では、感染症対応の図記号を5個追加するに至りました。今後もインクルーシブな社会構築の一助となる標準を示すことを目的として取り組んで参りたいと考えております。 標準案内用図記号ガイドライン2021 http://www.ecomo.or.jp/barrierfree/pictogram/picto_top2021.htm 写真:標準案内用図記号ガイドライン2021に追加された感染症関連図記号 写真:段差・隙間の解消された場所をホーム床面、ホームドアに表示している例 15ページ 千駄ケ谷駅の改良について 東日本旅客鉄道株式会社 設備部 八城雅弘(やしろまさひろ)  千駄ケ谷駅は1904年に甲武鉄道の駅として開業し、2014年に開業110年の節目を迎えました。  また、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」)の開催において、 会場最寄り駅としてお客さまの増加が予想されたことから、お客さまの流動やバリアフリー設備の整備を目的に大規模な駅改良を実施しました。 既存駅舎の課題と工事計画  既存の千駄ケ谷駅には次の課題があり、東京2020大会を目指して改良工事を行いました。 ①改札前のスペースの拡幅  改札口と駅前広場の中心位置がずれており、改札前(駅前)のスペースが不足することでお客さまの混雑の原因になっていたため、改札口を移設し、スペースを確保しました。 ②駅内コンコースなどの拡幅  イベント時に駅内のコンコースが混雑するとともに、特にトイレを利用されるお客さまの列ができることで、コンコースの混雑を助長する状況だったため、 駅事務室等を集約してコンコースを拡幅し、トイレの面積や器具数を増やしました。 ③ホームの増設  イベントの際の列車到着時にホームの混雑が激しい状況だったため、1964年の東京オリンピックに合わせて設置した臨時ホームを更新し、常設化することでホームを増やしました。 バリアフリー設備等の整備  東京2020大会を目指した駅改良に合わせて、バリアフリー設備等の整備を行いました。 ①エレベーター  千駄ケ谷駅には11人乗りのエレベーターが整備されていましたが、「Tokyo2020アクセシビリティ・ガイドライン」で、大会参加者や関係者のニーズに応えることを目的として 24人乗り程度のエレベーターを整備することが推奨されていたことから、既存ホームと、常設化した臨時ホームの双方に24人乗りのエレベーターを整備しました。 ②バリアフリートイレの整備  「公共交通機関の旅客施設に関する移動等円滑化整備ガイドライン」では、旅客施設の規模などに応じて、 バリアフリートイレを複数設けることが望ましいとされていることから、千駄ケ谷駅の特性を考慮して、2箇所のバリアフリートイレを整備しました。 ③ベビー休憩室の整備  お子さま連れのお客さまにも、より便利にストレスなく千駄ケ谷駅をご利用いただくために、ベビー休憩室を整備し、 壁の一面はモザイクタイルで子供の成長を表現した若葉をデザインし、明るく楽しい空間としました。 ※JR東日本は、東京2020オフィシャルパートナー(旅客鉄道輸送サービス)です。 写真1:千駄ケ谷駅(改良後) 写真2:エレベーター(24人乗り) 16ページ ふれる博物館企画展「タッチtheスポーツ!」開催 社会福祉法人 日本点字図書館 伊藤宣真(いとうのぶざね) ふれる博物館の取り組み  日本点字図書館附属池田輝子記念「ふれる博物館」は、触察で得られる3次元情報により、視覚障害者の知識を豊かにし、教養を高めることの手助けをしています。 この6月から9月、企画展「タッチtheスポーツ!」を開催しました。 競技種目の理解の助けに  昨年来、オリンピック・パラリンピックの開催に合わせ、競技種目名を耳にする機会が増えることから、どのような用具を使っているのか触れていただきたく企画しました。  各競技団体に用具の貸出を依頼するにあたり、信用度の高い企画展にするため、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会「応援プログラム」の認定を受けました。  各競技団体様などにご協力いただき、陸上競技用義足、ボッチャセット、ゴールボール試合球、ゴーグルとタッピング棒、陸上競技用車いすレーサー、5人制サッカー試合球、伴走用テザーを貸出していただきました。 そのほか実際に使用した聖火リレートーチを展示し、また、全盲の尾﨑峰穂(おざきみねほ)氏がソウルパラリンピックにおいて走り幅跳びで獲得した金メダルも展示できました。 展示の工夫  展示にあたり特に力を入れた競技はゴールボールです。視覚障害者の競技種目の多くは元の種目をアレンジしたものです。 しかしゴールボールは、もともと視覚障害者のリハビリテーションのために考案された競技で、この競技を紹介するため、実物大のゴールネットの模型を作りました。 壁に張った、幅9メートル、高さ1・3メートルのネットです。ボールの重さは1キロ以上もあります。 実物大のネットの模型と試合球に触れていただき、来場者にはこの過酷な競技を感じていただけたと思っています。  また、30分の1の競技場・コートの大きさ比較模型や、高低差をつけたマラソンコースの触地図も製作し、イメージしやすいとの評判をいただきました。 障害者アスリートについて  スポーツ用の義足などとても重く、これを使うアスリートはすごいと感じたとか、パラリンピックに参加するアスリートには、勇気や根気が必要だということが分かった、といった声もいただきました。  持っている力を最大限に発揮することは、障害があろうがなかろうがアスリートには共通です。 パラリンピックの感動から、障害者スポーツのすそ野が広がり、いずれ障害の垣根が無い大会が開催されることを期待しています。 写真1:ゴールボール用のゴール実寸大模型 写真2:実際にリオパラで使用された義足 17ページ キーワードで考える共用品講座第125講 「パラリンピックと共用品・共用サービス」 日本福祉大学 客員教授・共用品研究所 所長 後藤芳一(ごとうよしかず) 1.共用品からの3つの視点  共用品からみた2020東京パラリンピック(東京パラ)の意味を考えよう。 目的:ゴールは、多様性ある社会や不便さ解消が文化として定着すること(視点1)、 方法:取組みには、節目とそれを支える平時がある(視点2)、 特性:日本の対応の特性と国際寄与に必要な普遍性(視点3)である。 2.文化の定着に向けた取組み(視点1)  取り組む「主体」と「推進力(動機)」で整理しよう(図)。 ①主体:国や制度(Ⅰ)、グループ(例:分野横断の団体)(Ⅱ)、個別組織(例:企業や学校)(Ⅲ)と個人(Ⅳ)、 ②推進力:統制力のある制度(A)、ゆるやかな方向づけ(B)、個別で独自の対応(C)だ。  制度に位置付け公的に推進(X)、団体が横断的に取り組む(Y)、企業や個人が個別に行う(Z)とする。XYZは優劣の問題でなく、状況に合う方法をとる。 ただ「文化」(強いられなくても自然に行動)の視点からは、X→Y→Zの順に文化に近づく。 (1)制度に位置付け公的に推進(X)  制度で網をかけ、公の責任で社会を変えられる。一方、官に頼って自分で判断しなくなる、制度は最低限を定めるので低い水準にお墨付きを与える恐れがある。  パラ行政を文科省に移管(ⅠAで図の★印、本誌3頁、以下同じ)、アクセシビリティ・ガイドライン(ⅡA、6頁)、案内用図記号のJIS化(ⅡA、国立競技場は9頁、交通は14頁)。 (2)団体が横断的に取り組む(Y)  広い知見を織り込め、サービスの質がそろう。一方、均質化すると個別対応が限られ、定型の策に頼って目的の確認や個々の工夫が鈍くなる可能性がある。  五輪側から協力(ⅡB、3頁)、放送の聴覚・視覚障害者対応(ⅡB、11~13頁)、らくらくおでかけネットの改定(ⅡB、14頁)、国立競技場のUD対応(ⅡB、頁)。 (3)企業や個人が個別に行う(Z)  自発の動機で、個々の状況に対応しやすく合理的配慮に適する。「文化」に近い姿だ。ただ提供するサービスの質がそろわない、我流の乱立で経験が蓄積しない恐れがある。  企業の協力(ⅢC、3頁)、空港の対応(ⅢC、6頁)、選手村のアクセス(ⅢC、6頁)、子どもの体験機会(ⅢBとC、3頁)、パラローイング(ⅣB、10頁)。 3.節目から平時へ(視点2)  東京パラは単独では存在しない。過去の蓄積をもとに開かれ、実践は先も続く。前後は平時、パラは節目だ。 例えばⅠ(Ⅰ=記号は2に同じ)には改正障害者基本法→障害者差別解消法→同権利条約→改正差別解消法や、改正バリアフリー法があった。 Ⅱは障害者やバリアフリー関連団体の活動、ⅢとⅣは障壁除去や社会的包摂の考えの普及、ボランティアや市民活動などの裾野があった。  真価が問われるのは目標、期限、終わりがないとき、平時に戻るこれからだ。自ら動機を見つける取組みだ。過去の平時に先例がある。共用品やアクセシブルデザインもその一つだ。 4.特性を普遍性に織り込む(視点3)  不測の状況のもとで東京パラは無事に終えた。造り込む現場力、ボトムアップで回せる市民の水準(この国は、肝心な時は民の賢明さで成り立ってきた)、世界水準のバリアフリー(ハード)がこれを支えた。 一方、レガシーとして世界に寄与するには、特殊性は普遍性を制約する恐れがある。  ただ、自国・地域の独自性を反映させてこそ世界は進歩する。特異性を普遍的価値に織り込む。ここでも、日本の特性を形にして国際普及させてきた共用品は先例として寄与できる。 写真:講図(XYZ図) 18ページ オンデマンド配信「ADシンポジウム~2021新しい生活様式とAD~」報告  アクセシブルデザイン推進協議会(ADC)は、異なる業界団体が集まり、アクセシブルデザイン(AD)・福祉用具関連の調査、開発、標準化、普及、国際化等の事業について情報共有を行っている。 普及事業の一つにシンポジウム開催があるが、今年度は新型コロナウイルス感染症対策のため、初のオンデマンド配信を行った。 12日間、いつでも視聴可能  2021年10月4日(月)から10月15日(金)までの12日間、オンライン動画共有プラットホーム「YouTube」を使用して、事前登録をしていただいた230名を対象に配信した。 動画配信は、すべて日本語字幕を付け、多くの方々に様々な場面でご覧いただけるようにした。また視聴分析結果から、視聴者の半数は字幕機能を利用して視聴したことが分かり、今後の配信のあり方についての一つの指標となった。 多様な四つのテーマでの展開  今年度は「新しい生活様式とAD」をテーマとして実施した。 一つ目は、ヨコハマSDGsデザインセンターセンター長・神戸大学客員教授の信時正人(のぶときまさと)氏に「SDGsがめざす『ほんとう』のゴール」と題して講演をいただいた。 視聴者からは、「SDGsについて、全ての産業や職業の方々が関わってくることを踏まえ、目指すべき本当のゴールとは何かを知るよい機会となったこと」や「自分の身近なところからできることを納得して始めていく。 その活動がたくさんの人の活動とつながって、持続可能な社会となるストーリーに結びつくことができれば、素敵だと思いました」というコメントが寄せられた。  二つ目の、社会福祉法人友愛十字会 砧(きぬた)ホーム施設長鈴木健太(すずきけんた)氏に「介護ロボット活用の真相~使い方のルールで高めるテクノロジーへのアクセサビリティー~」では、 視聴者から、「今後の社会において、介護は切っても切り離せない課題で、介護のための道具を現場としていかに使用するのかなど、誰でも使いやすいルールを共有していく事が非常に重要であると感じました」というコメントが寄せられた。 三つ目は、本シンポジウムのテーマから、「困りごと等」を中心に講演や報告をいただいた。 講演は、知的障害の視点から、社会福祉法人東京都手をつなぐ育成会副理事長永田直子(ながたなおこ)氏、発達障害の視点から橋口亜希子個人事務所代表橋口亜希子(はしぐちあきこ)氏が行い、 交通エコロジー・モビリティ財団理事兼バリアフリー推進部長吉田哲郎(よしだてつろう)氏と同財団調査役の竹島恵子(たけしまけいこ)氏が司会・進行並びに報告等を行った。 「実際に日々、障害を持たれている方と関わっているからこそわかる生活様式を教えて頂き勉強になりました」 「理解することは『同じ』に気付くことや、情報を発信することでバリアフリー化を進展させることも出来るという提案は響きました」という視聴者からのコメントがあった。 テーマ4では、ADC幹事団体が活動報告を行った。 次年度に向けて  公開期間中の全チャネル視聴回数は929回となり、多くの皆様にご視聴いただくことができた。 次年度については「新たな取り組み事例を紹介してほしい」などのコメントも多く、対面での開催が難しい昨今の状況下でできることを行っていきたいと考えている。 森川美和(もりかわみわ) 写真1:テーマ別トップ画面一覧 19ページ 新刊 2冊 『耳の不自由な人をよく知る本』と『めねぎのうえんのガ・ガ・ガーン』 耳の不自由な人をよく知る本 監修 大沼直紀(おおぬまなおき)  本年1月に発行された『目の不自由な人をよく知る本』に続いて、『耳の不自由な人をよく知る本』が、合同出版より12月に発行される。 共用品推進機構は、企画段階から参画し、聴覚障害者に行った「不便さ調査」「良かったこと調査」を参考に複数のライターが取材を重ね作りあげた一冊だ。  冒頭では、ろうと難聴それぞれの特徴を当事者が語り、聞こえ方の特徴を解説、1章の「耳の不自由な人のくらし」では、 年齢や聴力の程度が異なる人たちのそれぞれの一日を紹介し、耳が不自由といってもさまざまな違いがあることを知るきっかけになる。  続く2章では、手話、音声、文字、指文字など、コミュニケーションを行う時に、使用する言語等を紹介し、ここでは、人により異なる方法を用いていることを知ることができる。  3章では、耳の不自由な人をサポートする仕事である手話通訳、要約筆記、言語聴覚士、補聴器相談医等と共に、電話リレーサービス、遠隔手話派遣などの各種サービスが紹介されている。  4章では、耳の不自由な人が学ぶ学校等、5章では「社会でかがやく人」と題して、薬剤師、医師、弁護士、公認会計士、映画監督、バスの運転士、政治家、デフリンピックで活躍するアスリートなどが紹介されている。  6章の「ともに生きていくために」では、共生社会にむけての課題と共に、課題を解決していくためのヒントが書かれている。  監修は、長年聴覚障害児・者への教育に携わってこられた大沼直紀先生が行ってくださり、とても読みやすいけれど、奥の深い本に仕上がっている。 ■対象:小学校中学年~大人 ■ページ数:104ページ ■定価:3800円+税 めねぎのうえんのガ・ガ・ガーン 文・絵 多屋光孫(たやみつひろ) 合同出版  この絵本の舞台は、浜松にある「芽ねぎ」や「青梗菜」などを作っている京丸園という農家である。鈴木厚志(すずきあつし)さんは、この農家の13代目。 20年前、近くの特別支援学校の先生が、生徒をこの農園に就職させたいとやってきたところから、この話は始まる。  鈴木さんは、それまで障害のある人と接したことがほとんどなく、障害のある人を雇用するなど考えず、どうやって断ろうかを考えていた。  人は、想像していなかったことがおこると「ガーン」と、頭の中に衝撃が生まれる。この絵本の題にもなっている「ガーン」がまさしくそれ。 しかもこの本の中では、鈴木さんの頭の中に生まれたガーンが、3回も、紹介されている。  私が、はじめて鈴木さんと会ったのは、10年以上前、静岡県主催のユニバーサルデザインに関するシンポジウムでのことだった。  障害のある人を知らなかったという鈴木さんの話に、自分を重ねた。一つ目のガーンで、障害のある人を雇用することになったと聞き、心の中で拍手を送った。 二度目のガーンでは、情報の伝え方の違いで、伝わり方が180度異なることを、知った。三度目のガーンでは、共に働く意義と楽しさを教わり、目頭が熱くなったことを今でも覚えている。  そのガーン3連発を、絵本作家の多屋光孫さんが、『ゆうこさんのルーペ』に続き、魅力満載の絵と文で、みごとに表現してくれている。 星川安之 20ページ 特集、東京2020パラリンピックと共用品・共用サービスによせて 【事務局長だより】 星川安之  2020東京五輪・パラリンピックが、東京に決まる前年に、共用品推進機構は「良かったこと調査」を始めました。それまで不便なモノやコトを指摘する「不便さ調査」とは180度の方向転換です。 不便さ調査は、障害ごとに行うため異なる障害当事者が一堂に集まる機会は限られていました。 しかし、「良かったこと調査」では、テーマを一つに決め、多くの障害当事者団体の人に参加してもらい、議論を進めることになります。 その座長を引き受けてくださったのが、今回の特集の冒頭でお話しくださった鳥原光憲会長(当時障がい者スポーツ協会)です。  16の障害当事者団体の代表の人達があつまり、調査のアンケート項目を作るための議論、そして実施後のまとめ方法の議論は、多くの異なる意見が出されましたが、 一つ一つの意見の意図を汲み取り、誰もが納得いく方向に、鳥原会長が導かれるのを横で学ばせていただいておりました。  今回の特集を組むのに、最初に相談したのが公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会パラリンピック統括室長代理の仲前信治さんでした。 スポーツマンで語学も堪能、しかも新聞記者の経験のある仲前さんは、大分県にある太陽の家で障害者スポーツに出会い、今回のパラリンピックの成功の立役者のお一人です。  新国立競技場に新たなアクセシビリティを、何度も複数の当事者と議論を重ね、実行した高橋儀平さんには、 共用品推進機構で、公共トイレの洗浄ボタンの位置を日本産業規格(JIS)にする時の委員長を行っていただきました。 パラリンピック終了後のNHKのクローズアップ現代で、高橋さんが中心に行われた新国立競技場のアクセシビリティへの取り組みをとても嬉しく拝見させていただきました。  パラアスリートの有安諒平さんは、私が卒業した自由学園に大学2年まで在籍し、その後、私が以前経営協議会の委員を仰せつかっていた筑波技術大学で学ばれました。 彼が、パラリンピックの修了後、自由学園の在校生に行った講演を聞き感動し、今回の執筆を依頼したところ、すぐに承諾してくれました。 今回のパラリンピックは、無観客で行うことが決まり、家でテレビでの視聴だったので、アクセシビリティについてもと思い、 2つの当事者団体と共に、日本放送協会(NHK)さんにも書いていただくことができました。  さらには、交通関連でマークと外出時アクセシビリティルートを知ることができるらくらくおでかけネットを、交通エコロジーモビリティ財団の竹島恵子さんが、 そして競技場のあるJR千駄ヶ谷駅のことを、JR東日本の八城雅弘さんが執筆してくださいました。  触れる博物館は、普段触れないモノに触れられることを目的に行っていますが、このパラリンピック特集の時のことを同館の館長である伊藤宣真さんが書いてくださいました。  多くの貴重な努力の全てが継続され、広く深く受けつがれることを願っています。 共用品通信 【イベント】(オンラインイベント) 心の目線を合わせる「東大で障害者のリアル」(9月17日) 心の目線を合わせる「みやの森カフェのひみつ」(10月15日) 心の目線を合わせる「感覚の違い、捉え方のちがい」(11月5日) 【展示会】 国際福祉機器展 主催者コーナー「伝わるマスク展」(11月10日~12日) 【会議】 第5回オンラインE&C会議(10月29日) 【委員会】 ISO/TC 173/SC 7/WG 7 オンライン会議(9月28日) 【講義・講演】 学習院女子大学(10月18日、森川) タカラトミー共用品講座第1回(10月19日、芳賀・星川) 日本工業大学(10月21日) 日本福祉大学 オンデマンド/オンライン(10月23日・24日、森川・星川) 西荻みなみ 共生社会の教養(10月30日、星川) UDナイト(11月10日) 【報道】 時事通信社 厚生福祉 8月27日 人・まち思いカルタ 時事通信社 厚生福祉 9月28日 共生社会の教養 時事通信社 厚生福祉 10月1日 4こま漫画 時事通信社 厚生福祉 10月15日 コロナ禍での買い物 時事通信社 厚生福祉 10月26日 駅前の花壇 トイジャーナル 10月号 アトリエ ニキティキ  トイジャーナル 11月号 95歳の時計店店主 福祉介護テクノプラス 10月号 コミュニケーション支援ボード(前編) 福祉介護テクノプラス 11月号 コミュニケーション支援ボード(後編) 高齢者住宅新聞 9月8日 筆談ボード 高齢者住宅新聞 10月13日 セルフレジ シルバー産業新聞 9月10日 ネイチャーズウォーク 日本ねじ研究協会誌 8月 良かったこと調査 日本ねじ研究協会誌 9月 第15回アクセシブルミーティング(みんなの会議) 都政新報 8月20日 共生社会への第一歩④ いい意味でおせっかいになる 都政新報 8月27日 共生社会への第一歩⑤ 得意な声で職種を広げる 都政新報 9月 3日 共生社会への第一歩⑥ 異なるニーズに応える 都政新報 9月10日 共生社会への第一歩⑦ 2センチの段差とつり革の高さ 都政新報 9月17日 共生社会への第一歩⑧ 空気を書く 都政新報 9月24日 共生社会への第一歩⑨ 駆けてきた2人が放った言葉 都政新報 10月1日 共生社会への第一歩⑩ 誰もが使いやすいモノやサービスに 福祉用具の日しんぶん 10月1日 共用品の原点は『かしわ餅』? アクセシブルデザインの総合情報誌 第135号 2021(令和3)年11月25日発行 "Incl." vol.22 no.135 The Accessible Design Foundation of Japan (The Kyoyo-Hin Foundation), 2021 隔月刊、奇数月25日に発行 編集・発行 (公財)共用品推進機構 〒101-0064 東京都千代田区神田猿楽町2-5-4 OGAビル2F 電話:03-5280-0020 ファクス:03-5280-2373 Eメール:jimukyoku@kyoyohin.org ホームページURL:https://kyoyohin.org/ 発行人 富山幹太郎 編集長 星川安之 事務局 森川美和、金丸淳子、松森ハルミ、木原慶子、田窪友和 執筆 有安諒平、伊藤宣真、倉野直紀、後藤芳一、髙橋儀平、三宅隆、八城雅弘、交通エコロジー・モビリティ財団バリアフリー推進部、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会パラリンピック統括室 編集・印刷・製本 サンパートナーズ㈱ 写真 有限会社エックスワン 公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会パラリンピック統括室  本誌の全部または一部を視覚障害者やこのままの形では利用できない方々のために、非営利の目的で点訳、音訳、拡大複写することを承認いたします。その場合は、共用品推進機構までご連絡ください。  上記以外の目的で、無断で複写複製することは著作権者の権利侵害になります。